すっかり秋めいてきました。みなさまいかがお過ごしでしょうか?

 

最近お子さんが発達障害と診断を受けた、もしくはうちの子発達障害かもしれないというご両親とお話をする機会があります。そんなとき、私はいつも父を思い出します。

 

発達障害の特性はなくなることはありませんが、対応次第で軽減できるし、二次的なストレスも回避できます。ポイントは、「世の中の常識やルール、モラル、約束に縛られない」「皆と同じを目指さない」「どうにもできないことや苦手なことを頑張ってやらせない」ことです。

 

私の父は、おそらく特性を持っているのですが「障害」というほど深刻な状態ではなく、特性によって生じる困難が周りの人のサポートと環境を調整することで比較的順調な当事者として人生を歩むことができています(今年86歳健在)。

 

苦手さを抱えながらも家族、職場の上司など良き理解者たちに囲まれ世の中と折り合いをつけることができています。

 

父にはどうにもできないことや苦手なことがあります。それは人とコミュニケーションをとることと、自分が果たすべき社会的役割を理解することです。社会生活上、かなり大切なことが苦手です。

 

このような特性を持つ人がお父さんになったとき、その家庭はなかなか波乱万丈になります。誤解しないでいただきたいのは、波乱万丈=不幸ではありません。数えきれないほどのエピソードがありますが、その中のとっておきをいくつかご紹介します。

 

エピソード1<自分の結婚式を途中で抜け出し車検にいく>

・車検の期日が迫っているのに仕事を調整することができませんでした。困っているのに職場の上司に休みの申請を申し出ることもできず、堂々と休みが取れた自分の結婚式の日に中抜けしてようやく車検にいくことができました。

 

エピソード2<職場を転々とする>

・私の父は脳外科医です。決められていることで理解できていることは忠実にまもる真面目さを持っています。なかなか厳しい仕事です。無口で真面目な人は理不尽な仕事も回ってくることが多いとのこと。仕事の分担について同僚と話し合うことができれば良いのですが自分の要求をうまく伝えられず、ずっと我慢をしてしまいます。限界が近づくと、同僚を殴って翌日職場をやめてしまいます。

 

エピソード3<人と暮らせない>

・エピソード2のため、私たち家族は東京、長野、愛媛、埼玉と短い期間で転々とします。6歳上の兄が愛媛の学校で「標準語を話す」とからかわれたことをきっかけに引っ越すのをやめて埼玉に家を買いました。私が2年生の時です。しかし、数年経つと職場や家族の人間関係の煩わしさから逃げたくなり、単身で大好きな九州へと引っ越してしまいます。はっきり言って家出です。この時は宮崎県でした。この頃、夫婦断絶・親子断絶・家族解散が口癖です。今も父は長野、母は埼玉で別々に暮らす通い婚です。

 

エピソード4<生活費を入れない>

・(あえて)普通、父親は家族に生活費を渡すはずなのですが、父は毎月の生活費というものがわからないようです。母は口座にお金がなくなると父に「生活費がなくなりました。」と連絡をします。すると翌日多額の生活費がドカンと振り込まれます。

 

エピソード5<決まったたことをやめられない>

・父は健康のため毎日1万5千歩歩いています。私が息子たちを連れて父に会いに行った時、温泉宿をとってくれたのですが、宿でも「今日は5千歩しか歩いてないからじいちゃん歩いてくるね」と一人でふらりとどこかに出かけ1時間以上戻りませんでした。孫がいても自分のルーティーンを休むことはできません。

 

こんなエピソードがワンサカあります。

 

そんな父が、父らしく元気にいられるのは何よりも母の理解と埼玉の病院の院長先生の理解があったからです。同僚を殴ってやめた父を院長先生は3年くらい経つと「もういいでしょう?」とどこに行っても迎えにきてくれたのです。そして、煩わしい退職の交渉、手続きや挨拶もきっちり肩代わりしてくれました。また数年経つとどこかに行ってしまうのですが、何度も迎えにきてくれました。五島列島や大分にも迎えにきてくれました。家族にとっては不器用な父を理解してくれるありがたい存在でした。

 

コミュニケーションは苦手でしたが、真面目で一生懸命なところを理解してくれ、苦しい時は自由に泳がせてくれるそんな周囲の方のサポートがありました。家族のことも嫌いではないのでしょうが一緒に住むことはできないのです。母はそれをよく理解し、時々遊びに行く関係を今も続けています。

 

父もなんとか周囲に合わせよう、周りの期待に応えようと努力もするのですが、それを頑張ると不眠症になり睡眠薬が手放せなくなります。

 

父は70歳を過ぎた頃「お父さん、とうとう大人になれなかったよ。」と言いました。

私は「大人になるってなんだろうね。」と答えました。

 

いつも日本のどこかを点々としているので、会えた時はレアです。

 

ちなみに私の結婚式も早退しました。新婦の父が早退って聞いたことありますか?

 

でも、父にしてみたら娘の結婚式なんて、人間関係の究極の苦痛の場だったのかもしれません。私たち家族は「お父さんだから仕方ないか。顔出しただけでも頑張ったよね。」と誰も責めません。非常識というか「超」常識というか、普通ではありません。

 

父には真面目さや素直さがあり、高校の先生の勧めで医学部に進学し医師になりました。九州や瀬戸内海が大好きでよく風景画を描いています。ルーティーンを手がかりに自分の行動を見つけ、いろいろなことを吸収する力も持っています。苦手なこともあるし、得意なこともあるのです。

 

人生なので、いい時もあれば悪い時もあります。それは障害のある人でもない人でも同じではないでしょうか?

 

発達障害と診断を受けたり、もしかしたらそうなんじゃないかと不安に感じているご両親に私が言えることがあるとすれば、あまり難しく考えずに、その子のできないことや苦手なことを知り、皆と同じが目標ではなく、どう手伝えるか考えていければいいのかなと思います。そして周りに理解してくれる人を集められるかというのは大事なポイントになるかと思います。

 

「西高根モンテッソーリ子どものいえ」は実はそんな父と母が無料で貸してくれている場所です。

 

二人からのメッセージです。

 

「館林の皆さんで自由に使ってください。まあ、頑張って。(父)」


「のびのびやってください。(母)」



そんな場所ですので、子育て中のみなさまご興味あればご連絡ください。

お待ちしています。

 

古賀久美子(西高根モンテッソーリ子どものいえ代表)