片上公人さんがお亡くなりになられたという報が入ってきたしょぼん

 古希を迎えたばかりであるから、早く亡くなったといえる。ご冥福をお祈りしたい。


 片上さんは、女性秘書のセクハラ問題で、参議院議員を辞めることとなった。しかし、実際の片上さんを知ると、そのような性癖は全くなく、冤罪であることが分かる。豪放磊落で、夢を語る少年のようなまなざし目 それは終生変わらなかった。ただ、裁判でも十分な支援を得られずに、見殺しにされたという面は、可哀想でならなかった。落ち度といえば、議員会館のドアを閉めていたことである。密室での秘書のやられたという訴えは、恥ずかしさをこらえてのものであるから、やらかしたことは間違いがないというのが、裁判官も含めての結論であった。本当か否かは闇の中であるということだが、この秘書は以前にも他の議員の秘書のときにセクハラを問題にしたことがあるということも、裁判が終わってから分かったことである。


 電車の中での痴漢も、金をせしめるためにでっち上げるという性悪な女もいる叫び それも、従来は裁判では負けること、長期の裁判で生活が破綻しかねないこと、世間からは冷たい目で見られることなどから、金で解決をすることを奨められるという。


 片上さんの場合も、金で解決をしたほうが、良かったのかも知れない。しかし、絶対にやっていないということからは、そのような妥協の考えは出なかったと思う。それだからこそ、もっと片上さんを信じて応援をするようなことが出来なかったのかということが悔やまれる。


 冤罪が雪がれる時代になっている。裁判官の心証によって、罪を決めるということは、非常に困難なことである。神ではないことからは、疑わしきは罰せずが正しい判断であると思う。片上さんの場合も、女性の証言だけしかなくして、男性の方の言い分は聞き入れなかった、女性が嘘を言っているという可能性も考えられるとするならば、疑わしきは罰せずの範疇の問題であったはずである。


 セクハラが、男性ならばやるだろうという裁判官の態度は、自身の品位も否定していることになることに気付くべきである。


 亡くなられて、神や仏の裁きを受けるということがあるならば、片上さんは、堂々としなかったことを抗弁し、無罪を勝ち取ることができると思われ、それができることになったのが、唯一の救いである。


 こてこての関西弁も聞けなくなった。お通夜に行く予定である。

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