学資保険を比較検討中の方へ!失敗しない学資保険の選び方

学資保険を比較検討中の方へ!失敗しない学資保険の選び方

こども保険、学資保険を選ぶうえで何を参考にするべきなのか?おすすめの学資保険を取り扱う生命保険会社をご紹介。

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"喘息と診断されたのは1才半の頃からだったと思いますが、その前後から、救急受診や入院を繰り返すようになり、私も仕事を続けることができなくなったくらいでした。

当時は小児の喘息治療がまだまだ欧米型の予防治療に切り替わっておらず、有効な治療薬も認可されるかされないか、という瀬戸際でした。そして治療薬が認可されても、正しく使用を指導できる医師が少なく、対処療法に留まることになるというジレンマを抱えていました。

そのように発作をくりかえす状態で4才になった頃アレルギーの会経由で知り合ったとある専門医の方について真剣に喘息と薬の勉強を始め、海外の論文を読んだり、将来もし成人喘息に移行してしまった時に自分でコントロールができるよう、長男にも病気のことや薬、呼吸量を測る意味などを話すようにしてきました。

幸い小学校に入ってから発作は起きなくなり、その後も6年間予防薬と予防治療は続け、中1の秋に医師より「小児ぜんそく卒業」と言っていただきました。親子ともに辛い経験ではありましたが、得ることも大きかったと思います。"
"子どもが2才の時、ウイルス性胃腸炎にかかった時の体験談です。

この病気の最初の症状は、突然の嘔吐でした。
赤ちゃんのころは何もなくても嘔吐することがよくありましたが、2才をすぎてからはほとんどありませんでしたので、以上がすぐわかりました。

食欲はあるので、食べては数回吐くといった感じで、症状が続きました。翌日からは下痢がはじまりました。水のような下痢で、お腹の痛みはあまりないようでした。

医者で診察してもらうと、「ウイルス性胃腸炎」と診断され、抗生物質と整腸剤などをもらいました。冬場だったので、「ノロウイルス」や「ロタウイルス」が流行していましたが、ウイルス名を特定するような検査はされませんでした。

薬を飲み、症状は2日ほどで軽快しました。まだ幼稚園に行っていませんでしたので、どこからウイルスをもらてきたかはわかりません。

ところがその後、看病した私をはじめ、同居の家族に次々同じ症状が出て、感染力の強さがわかりました。子どもはすぐ治ったのに、大人の方が長引いて、治すまで大変でした。"
"育児書にはよく書いてある熱性けいれんですが、うちの子もやるとは思ってもいませんでした。

娘が1歳になってすぐのころです。
急に高い熱が出て、病院に行くと「風邪でしょう」という診断でした。
当時娘は、離乳食も進まずお茶も飲まず、ほとんどおっぱいだけしか飲んでいませんでした。
そのため、赤ちゃん用イオン水もジュースも飲めず、おっぱいも吐いてしまい、熱が続いていました。
そんな時、寝ている娘をふと見ると、両手両足が硬直し白目をむいていました。
熱性けいれんは知識としてはありましたが、実際に見たのは初めてでオロオロするばかりでした。
時間にすれば数十秒、長くても1分ちょっとだったと思うのですが、とてもとても長く感じました。
救急車で病院に運び数日の入院で、退院しました。

それから3か月。
高い熱が出たときにまた、けいれんを起こしました。
熱性けいれんを起こす子は10人に1人。繰り返す起こす子は、さらに10分の1だと説明されました。
もしかすると、何か病気が隠れているのかもしれないと説明され、後日脳波の検査をしました。

その結果、特に問題はありませんでしたが、結果が出るまでの数日はとてもとても長く感じました。

現在、娘は小3になり元気に小学校に通っていますが熱が出るたびにやはり心配になります。"
"姉と弟の二人兄弟です。
弟の方は産まれて6か月位は熱を出すこともなく元気に過ごしておりましたが、6か月を過ぎる頃、姉がインフルエンザにかかり、それが弟にもうつってしまいました。
初めてかかるインフルエンザでもありまだ赤ちゃんだったので、すぐに病院に行きインフルエンザに効く吸入をしていただきました。
病院から帰ってもすぐに熱が下がるというわけでもなく、午後8時頃には40度まで熱があがりました。
小さい身体で荒い息を繰り返し泣く元気もないような我が子の姿を見て、心配でたまらず小児救急医療電話相談に電話をしました。
病状を説明し対処方法を聞きました。
今すぐ、救急病院に行ったほうが良いんだったら、そうするつもりでしたが、看護婦さんが言われるには、病院でインフルエンザの薬を処方されたのだったら救急病院に行っても出来ることはないと思いますという返答でした
しかたなく、救急病院に行くことをあきらめ、苦しむわが子を胸に抱いてあげることしかできませんでした。
こういう時に何もしてあげられない事が情けなかったです。
幸い翌日から熱が下がり始め、3日もすると平熱に戻りましたが、忘れられない出来事となりました。"
"子供の頃はたくさんの習い事をしていて、スイミングも習ったことがあります。8歳~9歳くらいまでだった気がします。長くは続きませんでした。

自発的にやりたいと言ったらしいのですが、友達がやっているからやりたいなどという言い方だったらしいです。私自身は覚えていません。スイミングはひたすら泳ぎ込んだり、けっこう辛かったです。体が小さく運動神経がいいわけではなかったのでした。

それでも、最初はクロール、背泳ぎ、平泳ぎ、と順々にマスターしていきました。スピードは遅いですが、それなりにフォームは綺麗だと思います。最後のバタフライになったとき、なんだか難しくて、できている気がしないのと、練習が辛くなってやめてしまいました。なのでバタフライだけマスターせずに終わったのでした。

私と1歳下の妹も一緒だったのですが、妹と同じ体格のせいか、いつもクラスを一緒にあがっていったので、絶対、妹に負けないようにとかなり無理していました。小さいながらもそういう意地がありました。"
"私は子供の頃に書道を習いに教室へ隔週で土曜日に通う生活をしていました。

始めたきっかけは単に親に連れられて、訳もわからず始めている状況でした。姉がいるのですが、一緒に通わされていましたので、とくに寂しい気持ちにはならず、ただ書を習いに通う日々でした。

先生は40歳ほどの女性の方で、とても気さくな方でした。行儀が悪いこどもには静かに怒ることもありましたが、とてもやさしい印象をもちました。

先生はよく、「書道を通して文字を上手く書けるようになるだけではなく、礼儀や作法、考え方、人のつながり学ぶ物だ」と、よくお話されました。ほかには「書に向かうときは、余計なことを考えず、心を落ち着かせてから書くものである。字がうまく書けないときは心が落ち着いていない証拠。自分の状態が字によく現れる」など、上手に字を書くことだけではなく、自分自身を見つめるもとして、書があるというお話でした。

10年近く続け、中学の時に辞めることになりましたが、その後の人生において、この考え方、教えは私の中にしっかりと根づいて、自分を見つめるときの考え方のひとつなりました。

たとえば、物事がうまくいかないとは、自分の焦りを沈めるためまず一呼吸。書をしたためる前の気持ちのような穏やかさをとりもどしてから、行動を起こす。これにより落ち着いて物事を運ぶ準備をすることできるようになりました。

書を通して自分を見つめ直す。文字を通して生き方を学ぶ。そんな習い事をさせていただいたのではないかと、今は思っています。"
わが家は超がつくほど貧乏で、まわりの友達はみんなピアノとか習字とか習い事をしていたのにお金がなくて何も習わせてもらえませんでした。そんな親に泣きながらお願いしてようやく習わせてもらったのが、そろばんです。なんとかOKが出たのは、お寺でやっている教室で月謝が安かったからです。小学4年生で初めて習い事を始めたのです。最初は嬉しくって張り切って通っていました。そろばんは、どんどん級が上がっていくので練習すればするほど結果がでます。それが嬉しくってもともと負けず嫌いな性格でしたのであっと言う間に1級を修得してしまいました。でもさすがに段に上がると、難しくて試験を受けても落ちまくる日々でした。中学生になっていましたので、部活との両立も難しく途中でやめてしまいました。でもその後商業高校に入学したので、そろばんは大変役に立ちましたね。お金がないのに習わせてもらった親には感謝しています。今も経理の仕事をしています。そろばんを習っていたおかげですね。
"私が幼かった頃習っていたのはスイミングと英会話教室です。スイミング教室には私が小学校に上がる前、幼稚園に通っていた際に通い始めました。そのきっかけは、私の水嫌いにありました。泳げないどころか、私は朝顔を洗うのも嫌だった程、水が苦手だったからです。
水嫌いを克服する為に通い始めたスイミング教室でしたが、始めはもちろんとても大変でした。他の子達が華麗に泳ぐ中、私はまず水の中に潜る、というところからスタートしました。スイミング教室へ通うのが嫌でたまらなくて、毎週教室の前夜になると布団の中では泣いて過ごしていました。しかし、そんな習い事も数か月経って水に慣れてくるとさほど嫌ではなくなり、少しずつ泳げる様になっていきました。始めはとても大変でしたが、今となっては良い思い出になっています。
英会話教室は、小学校5年生の頃に習っていました。その頃はアルファベットしか知らず、英語が話せる様になりたい、という思いから自ら通う事を決めました。同じ目標を持つ友達と一緒に学ぶ英語は、とても楽しかったのを覚えています。"
"確か3才くらいから、中学校に入る直前くらいまでピアノを習っていました。姉が習っていたから、というのが理由だったと思います。

当時私は、ピアノを弾くよりも身体を動かす習い事がしたいと思っていたのですが、通学に時間のかかる小学校に通っていたこともあり、バレエなど他の習い事は小学校入学時にやめざるをえず、ピアノだけが残っていた状態でした。

正直なところあまりやる気もなく、熱心に練習していた記憶もありません。あまりいい生徒ではなかったと思います。小学校中学年くらいからは海外や国内のロックバンドに興味を持つようになり、クラシックのピアノ曲を練習することに一気に興味を失ってしまった、ということも手伝いました。

と、中途半端に終わってしまったピアノ歴ですが、譜も読め、聴音もできるので、その後ギターを弾いたり、ダンスを習ったりという際にものすごく役にたってはいます。むしろ今になって思えば、がちがちにピアノを弾きつづけなかったこともプラスになっているのではと考えています。"