みかん 2月23日(土)

 

北九州から帰ってきて、その足で、京都に行きました。

京都に残る東アジア交流関連遺跡 と標題に書きましたが、

主なキーワードは、円仁と秦氏です。

 

まず、京都市考古資料館に行きました。

 

 

写真は、樫原廃寺(かたぎはらはいじ)から出土した瓦です。

 

その後は、石座神社(いわくらじんじゃ)、赤山禅院に行きました。

 

 

石座神社は、本殿がふたつにわかれていて、計12神が祀られています。

そのうち、新羅明神・松尾明神・賀茂明神・稲荷明神などが、渡来系の人々や秦氏とつながりがあります。

 

円仁は、唐留学時、一時期、山東半島にある赤山法華院に滞在したことがあります。

赤山明神はこの赤山法華院に祀られていた神で、円仁が帰国の途中暴風雨に見舞われた際、

船首にあらわれ暴風雨をおさめたという説話が残っています。

京都の赤山禅院は、その円仁の遺命によって、天台座主安慧(あんね)が建立しました。

 

その後は、さらに北へ。

比叡山延暦寺に行きました。

 

 

みかん 2月24日(日)

 

京都2日目は、強行軍でした。

 

 

まず、鴻臚館跡へ。

鴻臚館は、平安時代、海外からきた人たちを泊める施設でした。

この時代、(公的に)海外から来る人というのは、ほぼ渤海人でした。

鴻臚館は、朱雀大路をはさんで東西にありました。

因みに、京都のシンボル的なお寺である東寺も朱雀大路をはさんで対称的な位置に西寺がありました。

 

 

樫原廃寺跡です。

瓦積み基壇や、八角の塔があったことが確認されています。

八角塔は、高句麗に起源があります。

 

 

高野新笠の御陵に行きました。

ここにたどり着くまでには、ちょっとした山道。

ちょっとした山道ですが、わたしには、結構こたえました。

 

高野新笠は、光仁天皇夫人、桓武天皇の生母です。

新笠は、百済系渡来人の娘です。

桓武は、自らの中に流れる渡来系の血を意識したのか、

桓武朝には、高麗福信や坂上田村麻呂などの渡来系の人々を重用したそうです。

 

 

松尾大社は、秦氏の神社であり、今も多くの氏子を抱える大きな神社です。

造酒の神さまでもあるそうです。

 

 

蛇塚です。住宅地の中にある前方後円墳。

ふだんは鍵がかかっていて入れませんが、事前に連絡しておくと、

この古墳のお向かいのおうちの方が鍵を持ってらっしゃって開けてくださいます。

何だか、町内で守っているお墓という感じでした。

 

 

秦氏の氏寺である広隆寺。

このお寺には、かの有名な半跏思惟像があります。

たまに、無性にお会いしたくなるそんな仏さまですよね。

 

 

蚕の社。

秦氏は、機織り技術や養蚕とも関わりがあります。

この神社には、ユニークな三柱鳥居があります。

 

 

最後に大覚寺古墳群や、天塚古墳を見て回りました。

上の写真大沢の池の隣には、観光地で有名な大覚寺がありますが、

今回の旅では、そういうメジャーなところは、あまり行きませんでした。