7月23日(木)

 

昨日から今日にかけて、1泊2日の日程で、福井を訪れました。

継体大王の故郷を訪ねる旅です。

 

22日8時半、大阪駅近くに集合。

バスで永平寺を目指します。

永平寺自体は今回のコースに含まれていませんが、門前の食事処で

お昼をいただくとのこと。

 

ところが、バスに乗ってすぐに渋滞に見舞われました。

もともとこの両日は平日だったのですが、オリンピックの関係で祝日が移動したため、

4連休の初日になってしまったのです。

 

 

約一時間遅れで食事処に到着。

 

お昼をいただいた後永平寺の中には入りませんが、周りを案内していただきました。

 

 

永平寺を訪れるのは初めてです。

歴史を感じさせる古木に囲まれた荘厳な雰囲気のお寺でした。

 

 

唐門です。勅使門のことだそうです。

もちろん、一般の人はここは通りません。

 

再びバスに乗り、松岡古墳群に行きました。

松岡古墳群は、永平寺町にあります。

この古墳群には4世紀中葉北陸第2の大きさを誇る手繰ケ城山古墳が

含まれていますが、山を登って一時間半ほども歩かなければならないため、

下にある春日山古墳を訪れました。

ほっとしました。

春日山古墳は6世紀後半の円墳です。

 

 

 

横穴式石室。横口式の長持ち型石棺です。

出雲地方によく見られる形です。

 

この松岡山では4世紀から6世紀にかけての長い期間、古墳が造営されました。

しかも、古い時期には山の頂上付近、新しい時期には山のふもとに造られています。

埋葬されている人々は、一族だったのでしょう。

ここは越の国の王墓だと考えられます。

 

松岡山古墳群とは、九頭竜川をはさんで山の尾根にある六呂瀬山古墳に行きました。

こちらは、4世紀後半から5世紀前半にかけての古墳です。

 

 

前方後円墳が2基。円墳が2基あります。

 

 

山の尾根を利用しているせいか、坂がきつくて大変でした。

わたしは途中でギブアップ。古墳の全貌をよう確認しませんでした。

 

 

 

継体大王の母振姫一族を祀る高向神社に行きました。

式内社です。

幼少のころ父を亡くした継体は、母のふるさと高向で育ったと

『日本書紀』は伝えています。

 

 

おかあさま、たいへんな美人さんだったそうです。

 

 

宿泊は、福井市内のホテルで。

お食事よかったです。お酒もおいしくいただきました。

 

 

今朝はホテル周辺を散歩しました。

県庁前の蓮華が美しかったです。

 

 

柴田神社。柴田勝家のお城があったところです。

 

勝家の像。

ここでお市の方と共に亡くなられたのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月20日(火)

 

毎日毎日猛暑が続きます。

そんな中ですが、奥飛鳥に行ってきました。

 

10時5分、近鉄吉野線「壺阪山駅」に到着。

そこから歩きます。

 

 

すぐに子嶋寺に着きました。ほんとに駅の近くです。

このころは、まだ暑さもそれほどには感じず

飛鳥の田園風景いいな、とか人のいないさびれた風のお寺最高とかって

呑気に思っていました。

 

 

 

 

観光地として有名な京都の清水寺は、2代目を継いだ延鎮と

東山で修業中だった坂上田村麻呂が建立したそうです。

清水寺はこの子嶋寺の末寺ということになります。

 

子嶋寺を出て、田園地帯を歩き、キトラ古墳を横目に見て、

 

 

 

少し迷いながら

 

 

(この上に神社があるのではと思ったのです)

 

やっと呉津彦神社に着きました。

 

 

 

この神社名に含まれる「呉」という文字から、中国の南部の呉や百済と

何だか関連がありそうというのは、容易に想像できます。

この神社の所在地「栗原」という地名も「呉原」から来ているそうです。

 

 

呉原寺(栗原寺)跡。

案内板がありました。

「竹林寺」は「呉原寺」の別称ですが、6世紀末坂上大直駒子が建立しました。

坂上氏は東漢氏から出てきた一族で、征夷大将軍になった坂上田村麻呂が

有名です。

この付近からは瓦も出ていて過去には礎石も確認されているそうです。

 

 

案内板を過ぎてどんどん歩きました。

 

 

 

ゆるやかな上り坂。

おまけに舗道の照り返しがきつい。

どう考えても、人間が真夏に歩くようにはできていない道です。

 

 

空は美しい。夏の空です。

 

 

男綱(おづな)

 

 

毎年1月に五穀豊穣を祈って、神事が行われるそうです。

 

更に歩いて龍福寺に着きました。

 

 

 

龍福寺の近くには、遣隋使として中国に渡った南淵請安の墓があります。

 

またここで迷いました。

 

 

この写真ではよく見えないのですが、この写真に見えている道ではなく、

右側に向かって行くべきだったのです。

 

 

それでも、何とか請安先生のお墓にたどり着きました。

 

 

すみません。写真を回転させないままに貼り付けてしまいました。

 

お墓を出て、またまたどんどん歩きます。

まめに水分を補給しないとヤバい感じになってきています。

 

 

写真で見ると、こんなに美しい空なんですが・・・・・・

 

 

関西大学の飛鳥文化研究所がこんなところにありました。

前を通り過ぎて、また頑張って歩きます。

 

 

ほんとに、あっつい!

 

やっと着きました。

宇須多伎比売命(うすたきひめのみこと)神社です。

 

 

やっとです。

が、階段が見えてしまいました。

 

そば近くを流れる川辺で、まずはお昼。

阿倍野のコンビニで買ってきたおにぎりがぬくぬくになっていました。

 

 

奥飛鳥の美しい景色を堪能しながらの帰り道。

 

 

道も少し下りになってきているので、ここまで来るとほっとしました。

 

 

 

坂田寺跡に着きました。

この寺は、鞍部多須那(くらつくりべのたすな)が

587年用明天皇の病気平癒のため、丈六の仏像と寺を建立したそうです。

仏師として有名な鞍作鳥は、多須那の孫になります。

 

ここから石舞台のバス停まで急ぎました。

赤かめのバスは一時間に一本です。

2時58分発のバスにぎりぎりで間に合いました。

飛鳥駅まで15分ほどでした。

 

 

近鉄電車で、阿倍野橋まで帰りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

7月6日(火)

 

「姫島・宇佐・豊前」を巡るツアーの2日目。

今日は、姫島に渡ります。

 

中津駅前のホテルを出て、闇無浜神社に行きました。

その名の通り、海に近い神社です。

 

736年に新羅に派遣された使節が、山口県防府市佐波島近海から

流されてこのあたりに漂着したと考えられています。

このときの遣新羅使は筑紫で疫瘡の流行にぶつかり、新羅からは放還され、

その中で大使も病死するなど、さんざんな目に逢っています。

ただ、他の遣新羅史についての史料が乏しいのに比べ、

このときの遣新羅使については、万葉集に残されている歌をたどることによって、

その経路や大使・副使以外の一行の名前もわかるそうです。

 

 

 

 

 

境内には万葉の歌碑も建てられています。

遣新羅使の歌ではありませんが。

柿本人麻呂の歌ということです。

 

 

フェリーで姫島に向かいます。

姫島へは、20分ほど。

 

 

 

まずは、お昼。

旅行中は、朝も昼もたっぷりいただいてしまうので、少し気を付けないと。

お刺身もエビフライも美味でした。

 

 

比賣語曽神社は、阿加流比賣を祀っています。

阿加流比賣は『古事記』に登場する女性で、新羅の国の王子 

天之日矛の妻でした。

その後、夫に罵られたことから、親の国に帰ると言って難波の津に

逃げできました。

『日本書紀』には、阿加流比賣という名まえではありませんが、

似たような物語があり、娘は難波からここ姫島に着いたとされています。

 

 

 

その後、縄文時代に黒曜石を産出したという観音﨑へ行きました。

 

 

ここの黒曜石は、黒くなく珍しい乳白色。

 

 

眺めは美しいですが、ここにたどりつくまでが大変でした。

登りは息が切れるし、下りは膝にくる。

このシリーズのツアーは、簡単には終わらせてくれないです。

 

またフェリーに乗って、今度は国東の両子寺に行きました。

 

 

 

 

 

 

珍しい石像の仁王像。

階段が多いのが難点ですが、境内も広くて静かないいお寺でした。

 

 

夜は、別府湾を臨むホテルに泊まりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

7月5日(月)

 

 

 

鷹居八幡神社へ行きました。

鷹居は八幡神を初めて祀ったところだそうです。

駅館川(やっかんがわ)をはさんで、渡来系の辛嶋氏が居住する地域と、

やまとから入って来た大神氏が居住する地域との接点にあたるこの鷹居は

八幡神にとって重要な地ですが、ちょっと淋しい感じのする神社でした。

 

 

 

鷹居八幡神社だけではわかりにくいということで、

同じく駅間川沿いにある郡瀬神社にも連れて行っていただきました。

 

 

法鏡寺廃寺跡です。

実は、添乗員のT氏(今回の旅行社の会長さんです)が事前に

下調べをして場所を特定してくださったところです。

下校途中の中学生や公民館の方に聞いてもどうしてもわからない。

最終的に役所に電話してその説明を聞きながらここまでたどり着いたと言う

苦労の結晶のようなところです。

T氏からは、「草茫々で、何もない。案内板すらないので、みなさんがっかりしないように」

と言われていましたが、T氏の努力のおかげで役所が草刈りを済ませて

くださっていたようです。一応中に入ることはできました。

いかにも意味ありげに石を積んだ写真がありますが、

法鏡寺創建時のものとは関係はありません。

調査はされていて、百済系の軒丸瓦などが出ています。

 

 

 

法鏡寺廃寺跡から、辛島泉神社に行きました。

 

 

 

虚空蔵寺跡を訪れました。

虚空蔵寺跡は法鏡寺跡と並んで、九州での数少ない古代寺院跡として

有名です。塔跡の礎石は11個が残っているそうです。

 

 

方形周溝墓の石棺が残っている乙咩(おとめ)神社。

 

 

狛犬の表情がこわそうで、何となくユーモラス。

大分に来てから見る狛犬。奈良や京都で見る狛犬とはちょっと違う気がします。

 

 

 

 

巨木と池が印象的だった薦神社。

 

あっ、この子もかわいかったです。。

金でお化粧かな? ペディキュアもしています。

 

 

今日のラストは、八幡神社でした。

ホテル到着は、6時半。

八幡神社に特化して、神社をたくさん回りました。

たくさん過ぎて、もうどの神社がどんなだったか・・・・・・

頭がパンパンです。

 

 

やっとお楽しみの夕飯。

どこに行っても、九州はほんとお魚がおいしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月5日(月)

 

壱岐・対馬のツアーに参加後、博多に昨日まで2日間滞在。

今日から、「姫島・宇佐・豊前の渡来遺跡(新羅系)をめぐる」と題する

ツアーに参加です。

一旦、家にもどるという方法もあったのですが、どうせまた

こちらにもどってこなければならないので、居残りました。

 

小倉で、本団に合流。

例によって同行講師先生作成のぶあつ~い資料を渡されました。

ありがたい。感動ものですが、こんなのバスの中で読み切れないです。

 

初日の今日は、大分の神社巡り。

 

 

まずは、宇佐神宮。

とにかく、暑かった。時刻は1時過ぎ。夏の日盛りです。

 

 

左から、応神天皇、比め大神 神功皇后をお祀りしているそうです。

 

 

 

宇佐神宮境内にある弥勒寺址もたずねました。

ご覧のように、今はただの草地にしか見えません。

が、東側にある勅使道を避けて建てられているため、

南側にある塔の位置が高く、金堂、講堂と行くにしたがって

低くなっている変わった構造になっているそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月28日(月)

 

 

 

到津(いとうづ)八幡神社へ向かう参道です。

 

神社の前を流れる板櫃川。

 

 

 

神社に階段は付き物。

致し方ありません。上るしかないですね。

 

 

この神社の名前の由来は、神功皇后が応仁天皇を出産後、

長門豊浦宮に遷幸の際、船をここに寄せたところからきているそうです。

 

最後は、乳山八幡宮に寄りました。

 

 

 

この神社は、名まえからだいたい想像がつきますが、

神功皇后が皇子(応神天皇)にお乳を与えたところだそうです。

 

拝殿の横にある「御神徳絵図」です。

赤ちゃんを抱いているのは、武内宿禰です。

 

八幡駅から小倉にもどり、新幹線で博多まで行きました。

博多に着いたのが、5時を回ったところです。

 

明日は、ツアーに参加して壱岐島へ行きます。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月28日

 

明日29日から7月2日まで、壱岐対馬 のツアーに参加します。

このツアーは東京出発の方が大半らしいですが、関西発のわたしは

前泊しないと、集合時刻に行くのは厳しそうなので、前もって博多に来ました。

 

途中、小倉で一旦下車。

小倉にある神社を三社回りました。

いずれも神功皇后ゆかりの神社です。

 

篠崎八幡神社です。

 

 

拝殿の手前に皇子(応神天皇)が立ったとされる大石があります。

 

 

次に到津八幡神社に向かいました。

途中、近くの中華料理屋さんで遅昼をいただきました。

この中華料理屋さん、中華料理店らしく油ギッシュな外観でしたが、

入ってみれば意外に(失礼)清潔で明るい雰囲気。

値段もお手頃で、しかもおいしくてびっくりでした。

ことば遣いから察するに、本場中国の方の経営のようでした。

「唐彩 清水店」です。お勧めです。

お客さんが多いのも納得でした。

 

(ネットが不安定のようです。続きはまた次回に)

 

 

 

 

 

 

 

コスモス 9月29日(火)

 

朝晩はめっきり涼しくなりました。

過ごしやすい季節になりつつあります。

 

 

朝のウォーキング。

今日はがんばりました。

 

でも、なんででしょうね。

全く変化がありません。

不思議でしようがないくらい、敵は頑固です。

体重の話です。

 

 

9月27日(日)

 

やっと、涼しくなってきました。

朝のウォーキングも、少し歩きやすくなってきました。

なのに、最近、逆にさぼることが多くなっています。

 

朝、起きれないんです。

何だか、気持ちよくってつい寝過ごしてしまうことが増えました。

別に朝行けなくても、涼しいんだから昼間に歩こうと思い、ついそのままずるずると

おさぼりになってしまう傾向が……

 

だめですね。

真夏の日々は、あんなに暑くても頑張っていたのに。

 

今朝は、ひさしぶりに頑張りました。

数日歩かなかったせいか、体が重い。

まあ、今日に限らず体はいつも重いのですがね。

 

また、がんばりましょう。

 

 

朝の散歩コースの途中にある野々井遺跡。

弥生時代から5世紀にかけて、ここには、須恵器の生産に関わった人々が

住んでいたと考えられます。

泉北地域は、当時、須恵器の大生産地でした。

 

 

泉北は、山を切り開いて造成されたニュータウンなので、付近には、

田畑も緑もまだまだ残っています。

京都での生活も楽しかったですが、泉北に帰ってみれば、

それはそれで、落ち着いた生活が送れている気がします。

特に、このコロナ禍の時期、ここに帰ってきていて良かったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

ぶどう 9月23日(火)

 

昨日は、東京で渤海史の勉強会がありました。

せっかく東京まで来たので、もう一泊して、東村山市にある下宅部遺跡まで

足を伸ばしました。

 

今春のちょうどコロナが流行り始めたころでしょうか。

そのころ、縄文時代に漆を使った文化があると教えていただきました。

それまでのわたしの中では漆と縄文時代とは全く結びつきませんでした。

漆器というと、高級、高度な技術、保管が難しそうというイメージがあったからです。

まさか、縄文時代の人が、と驚きました。

幾つになっても、学びというのは、新鮮な驚きを与えてくれるものですね。

 

中でも、下宅部遺跡は、漆文化の最も古い遺跡のひとつです。

一度訪れてみたいと思いながら、コロナ禍のせいで、来ることができませんでした。

やっと、念願が叶ったという感じです。

 

 

東村山市、こんなことを言ってはなんですが、結構都会でした。

 

 

遺跡は大部分地下に保存され、遺跡公園となっています。

 

 

 

 

 

 

下宅部遺跡の出土品は、東村山市八国山たいけんの里の

収蔵展示室で見ることができました。

 

 

帰り、少し時間があったので、国分寺に寄りました。

とはいうものの、たっぷり時間があったわけではないので、駆け足でした。

次回、ゆっくり来てみたいと思わせてくれる場所でした。

国分寺駅から十数分のところです。

上の写真は、国分寺楼門です。