金魚 7月25日(火)

 

仏教大学四条センターに行きました。

吉田富夫先生の「中華人民共和国の異見者たち」の3回目です。

今日は、「魏京生」でした。

 

1948年に新中国が誕生してからの30年足らずの歴史をざっとおさらい。

反右派闘争があり、文革があり、そして、今日のテーマ 1978年12月に始まり、

わずか三か月ほどで終焉を迎えた民権運動までの歴史です。

それは、共産党一党独裁の下で、人の思想を裁くという厳しく悲しいできごとの連続です。

つい、先日獄中で亡くなった ノーベル平和賞の受賞者である劉暁波さんもその犠牲者のひとりです。

 

なのに、ちょっと言い方は悪いかもしれませんが、この時代の歴史を振り返るとき、

わたしの胸はわくわく、ドキドキしてしまいます。

特に、吉田先生の熱い語り口も手伝って、なんだかなあ、上手く言えないのですが、

この時代に切ないノスタルジーを感じてしまうのです。

わたしにとっては、同時代史です。ただし、安全地帯からながめている同時代者に過ぎません。

もちろん、当事者にとっては、人生をつぶされるという悲惨なできごとなのですが……

 

1978年。20代でした。

そのころ、大阪市大の香坂順一先生が運営しておられた「愚公会」というところに、

中国語を習いに行っていました。

中国語も今でこそ、メジャーな外国語になっていますが、その頃はマイナーな言語でした。

リスニング教材なんか全然なかったし、中国人の先生に教わるということも

まずありませんでした。

鶴橋の古いビルの2階の教室で、夜、習いに行ったことを覚えています。

中国語で、「インターナショナル」や「東方紅」を歌いました。

両方とも、有名な革命ソングです。

 

たぶん、そのころのことを思い出すからでしょうね。

わくわくしてしまうのは・・・・・・。

ちょっと、わたしの親世代の人たちが、戦争には反対なのに、

酔っぱらうと軍歌を歌っちゃうみたいな感じでしょうか。

歳をとったということでしょうか。

 

このころ、民権運動のリーダーだった人たちは、

その思想が一番過激だった魏京生も、比較的穏健派だった徐文立・王軍濤も、

最終的には逮捕・投獄されています。

97年、北京でオリンピックを開催させるからというアメリカとの取引きで、釈放され、

アメリカにわたったそうです。

 

夕方は、久しぶりに、韓国語。

 

毎日毎日、よく勉強しています。