あれから1年... | I weak to yuchun.

あれから1年...








お久しぶりです。

皆様、お元気ですか?

笑顔の日々を送っていますか?








もう、読者様はほとんど離れてしまっているでしょうね。

この日まで、書けずにいました。

2時46分になった瞬間、TVでは黙祷をする人々。

沿岸の方達に比べたら....

それでも、あの経験の無い揺れの恐怖が体に染み付いていて

ゾクっと全身が固まりました。

1年が過ぎても、手付かずの場所がまだまだあって..

身内が見つからず探し続けている方がいて..

そんな中、ある家族をTVで見ました。

金物屋をやっていたお年寄りの夫婦と息子さん。

津波が来るから逃げようと。

しかし、お父さんはシャッターを閉めてから行くと。

その後、お父さんは行方不明に。

戻ってみた店は残っていたものの瓦礫が詰まっていた。

シャッターは開いたまま。

お父さんは、きっとここにいる。

自衛隊の捜索の末、お父さんは見つかった。

お母さんが、お父さんの手を握り...

「すぐ、いくからね。」

そう言ったんだと。

涙を堪えることが出来ませんでした。











お母さんを亡くした家族。

遺体の確認に行ったお父さん。

人間の体は水に浸ると膨らみます。

本人か分からなかった遺体。

しかし、お父さんと同じデザインのリングをしていた。

そこで初めて、妻だと。

中学生の息子さんは、助けてあげられなかったとないていました。









たくさんの悲しみ。





大切な人が側に居る。

心配してくれる人が居る。

その幸せを、どうか忘れないでください。





笑顔になれるように。

少しでも癒されるように。

私は、大切な人たちを支えていきます。

家をなくしても津波に負けなかった友人の家の桜の木。

今年も咲いてくれることでしょう。

物資を送ってくれた友達。

あの時は、本当に助かりました。

ありがとう...ありがとう。

支えてくれた人たちに、メールを送りました。

K、O...

あなたたちのメールには涙しました。

「生きててくれて、ありがとう。」

消えないように保護したメール。

何かあっちゃ嫌だけど。

そのときは、必ず。

本気で死が過ぎった揺れの恐怖。

暗闇、空腹、寒さ.....

トイレも、お風呂も使えない。

コンビニも、全ての店が開いていない。

スタンドもダメなら車もダメ。

携帯も使えず、ラジオでの情報収集。

津波によって家や思い出を奪われたという知らせ。

ヘリが飛び交う空の下。

開いてる店はないかと彷徨った数日。

東北人は...とは言いませんが。

日本人は温かい。

知らない人とも協力し合った。

それは、世界中が認めていましたね。

不安定な日本になってしまいましたが1人じゃない。

不安も、悲しみも。

分け合えば少しでも楽になる。

頼ってみてもいいじゃない。

頼られたら、精一杯考えてみよう。

私は、そう思います。
















~Pray for Japan~

song by TVXQ&JJ









※津波映像を含みます。ご注意ください。






















更新もしていなかったのに。

解除しないでくれている読者様、声をかけてくれる皆さん。





たくさんの、ありがとう。