落穂拾い(’00)
監督:アニエス・ヴァルダ
ある日、パリの市場で、道路に落ちているものを拾う人たちを目にして
ミレーの名画 「落穂拾い」 を連想したアニエス・ヴァルダ。
そこで彼女は、フランス各地の “現代の落穂拾い” を探しに旅に出る。
こういう発想、感性の豊さ。 この人にしか出来ないと思いますっ。
そもそも “落穂拾い” とは、主だった意味として、穀物を収穫する時に全部刈らずに
貧しい人たちのために残しておいて、後から寡婦や孤児といった人たちが
落ちた穂を拾い集める行為のことで、農村社会での昔ながらの慣習だそうで
“現代の落穂拾い”は、少し意味合いが違う残し方、拾い方をしている。
ジャカイモ畑では、形が悪かったり大きさが規格に合わなかったり
また市場に納品する量が決まっているため、大量のジャガイモを捨ててしまう。
そこへ、食べるものに困った人たちが、ごそ~っと“落穂拾い”していくんです。
または困っていそうにもない人たちも、落選したジャガイモを車に大量に積んでいく。
子供たちは、月曜もジャガイモ~♪ 火曜もジャガイモ~♪ なんて歌いながら。
そこで、アニエスはハート形のジャカイモと出会い、自宅に持ち帰る。
都会に目を向けると、まだまだ食べられるものが大量に捨てられていて
ホームレスたちが“落穂拾い”をする。最高の掘り出し物は真空パックのフォアグラ。
この格差社会の構図は、ある程度予想できた画なのですが
ゴミを拾う人たちの中には、定職に就いていて社会保険まである人が
捨てられた食べ物だけで生活してるんです。それは消費社会に対する怒りの行動。
市場に目を向けると、ある男性が捨てられた野菜だけを吟味しながら
その場で食べてる。その男性は修士課程を終えたにも関わらず新聞売りをして
食生活は全て市場に捨てられた野菜だけでまかなっているベジタリアン。
しかも、生物学専攻だったから栄養のバランスを完璧に計算しながら
“落穂拾い”をしているんです。 彼の住んでいる簡易宿泊所にお邪魔すると
夜になってアフリカからの移民たちのために、識字教室を開いている。
“拾う”という行為に着目しただけで、さまざまな人生が映し出される。
また、街には食べ物だけでなく家具や電化製品も大量に捨てられていて
そんなガラクタを集めて再利用したり、壮大なアート作品を作っている人がいたりして
そこでまた、アニエスはガラクタの中から“針のない時計”と出会い自宅に持ち帰る。
「針のない時計とは、私に合っている。時の流れが見えない」
移動中の車の窓から見える大型トレーラーを手で覆い“落穂拾い”する。
さまざまな“落穂拾い”をする人たちと出会いながら、映像を“落穂拾い”する。
ガラクタが集められた掘り出し物の店で、ミレーの「落穂拾い」を模した絵画と
出会ったのも、単なる偶然ではないような気がします。
「ヤラセは一切ありませんからね!」 ってアニエスが念を押していました(笑)
パリの市場でものを拾う人たちを見たアニエス・ヴァルダ監督が、ミレーの名画「落穂拾い」を連想して制作したドキュメンタリー。
カメラを持った監督がフランス各地の表情を収めながら、自身の人生を見つめ直す。
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