「わかんねえ・・・さっぱり、わかんねえ・・・」
羅生門(’50)
監督、黒澤 明
原作は、芥川龍之介の短編小説 『藪の中』 を、同 『羅生門』 でサンドウィッチした構成になってます。
これは、凄い映画に出会ってしまいましたね。
タイム誌によると、『高を括って映画館に入った人々がフラフラになって出てきた。落雷のような感動を覚えた』
私も落雷に打たれ、フラフラになりました(笑)
対立する複数の視点から同じ出来事を全く違う風に回想し、真実がどうだったのか観客を混乱させるという手法が
用いられており、多くの国の映画やフィクションに影響を与えているそうです。
ミステリーとしても楽しむこともでき、また人間の心理をつく鋭い視点。
真実など、どのようにでもなってしまう人間の心の恐ろしさ・・・
『鬼でさえ人間のあさましさに恐れをなして逃げ出した』 なんていう台詞もあります。
三船敏郎が、人妻の京マチ子を手篭めにするシーンがあるのですが、京マチ子は鎖骨すら見せていないのに
官能的なんです。エロティックなんです。
短刀が、サクッと地面に刺さるとこなんかは鳥肌が立ちました。
あと、三船敏郎の足の間にカメラを据えて、京マチ子がひれ伏してしまう。
蔑まされ度合いが倍増です。
三船敏郎の泥臭く、汗の臭いがこちらにまで漂ってくるような演技も素晴らしかったのですが
京マチ子の変貌ぶりには、女の底知れぬ 『性(さが)』 に、それこそ恐れをなして逃げ出してしまう。
少女のような可憐な女性かと思ったら、弱々しく男へ向ける色のついた眼差し、
そうかと思ったら激情し男を蔑むような目をする。
『私を、ひと思いに殺してください!』
と、京マチ子が懇願するシーンがあって、これが1番の見せ場で1番好きなシーンだな・・・・・・
と思っていたら、その後、もっと凄い見せ場がやってきます。
あの泣き笑いは、淀川長治さんの言葉を借りれば
『怖いですねぇ 恐ろしいですねぇ』
多分、日曜洋画劇場で言ったと思います。あ、邦画だからやってないか(笑)
当初、黒澤監督は、この役に原節子を起用しようと考えていたが、京マチ子がこの役を熱望して眉毛を剃って
オーディションに臨んだため、彼女の熱意を黒澤監督が買い、京マチ子に決まったそう。
一部のファンからは、 『すれっからしな女を演じさせたら彼女の右に出る者はいない』 と評されているそうです。
凄い褒め方ですね(笑)
上の画の、目つきも凄いんですけど、三船敏郎の肩にかけてる指の圧力
そっと手を添えるでもなく、鷲掴みでもなく、何とも言えない圧のかけ方、悪い女です(笑)
下の画は、検察官である検非違使に証言するシーン。他に三船敏郎、志村喬、巫女が同じように証言する。
検非違使は全く映さず、声もなし、証言者の独演のようで、舞台でも出来そうなシュチュエーションだが、
これは 『能』 がベースになっているんだそう。
羅生門での雨の降らせ方は半端ないです。尋常ではない降らせ方です。
黒澤監督は雨を強烈にモノクロ画面に印象付けるため、大量の墨汁を水に混ぜホースで降らせたそうです。
このふり幅が効いて、雨があがったときの爽やかさが更に感じられます。
そう言えば、私が鑑賞している時も半端ない大雨だったんですよ。
『蜘蛛巣城』 の時は扇風機が誤作動するし、黒澤映画を観るときは何かが起こります。
本作の完成時、世間の評価もぱっとせず、大映社長(当時)の永田雅一も、「この映画はわけがわからん」と批判していた。
しかし本作がヴェネツィアに出品されて金獅子賞を受賞すると、永田は一転してこれを自分の手柄のように語った。
黒澤は後年、このことを回想し、まるで 『羅生門』 の映画そのものだ、と表している。
本当に人間の心というのは、わからないものです。
ベネチア国際映画祭金獅子賞受賞作
ベネチア国際映画祭受賞作
アカデミー賞外国語映画賞(当時名誉賞)受賞作
アカデミー賞受賞作
黒澤明監督作品
生きる(’52)
蜘蛛巣城(’57)
影武者(’80)
山中で武士とその妻が山賊に襲われ、武士は死亡し、事件は検非違使によって吟味される事になるが、山賊と生き残った女性の言い分は真っ向から対立する。検非違使は霊媒師の口寄せによって武士の霊を呼び出すが、その言葉もまた、二人の言い分とは異なっていた…。
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