This is my リア充ライフ

This is my リア充ライフ

リア充の定義とはなんなのか、なんであるべきなのか。そう思わせるブログを書いて行きたい。

Amebaでブログを始めよう!

久々のブログだというのに、なんとも鬱々としたタイトルになってしまったが、別に私は就活や勉強に病み果てているわけではないから安心してくださいませ。

まあ確かに就活や勉強に忙しいのは事実であるが、一般的な就活に比べたら就職浪人という事態はほぼほぼ無いのでまだ気楽なものだとは思う。

特に今のご時世、医者という職業の需要はあるわけで、それくらいで病んでいたら世間の人様に失礼な気がする。



(2ヶ月間、第1志望の分院に実習してコネを作ったりもしていた)


就活や勉強そのものはそこまでの苦痛でもないのだが、最大にハードなのは「就活・国試の勉強・実習」の3輪駆動を同時にこなす事である。

特に今は、学外の病院で実習中であり内部病院と比べて学友がいるわけでもなく周りの大人も会ったことのない大人たちであって、いつもより心理的にハードなのはご想像いただけるだろう。

コミュ力抜群な方であれば、何のことはないのであろうが自分はそんなにコミュニケーション力がある人間ではないのであって、慣れない地で慣れない人たちから何かを学び取るというのは中々ハードなのである。


唯一の救いは、実習しているのが自分が目指す小児科であるということである。毎日子供たちと出会い挨拶を交わし診察をするだけで、心も和むものである。特にこの数年間はコロナウイルスのせいで、部活動で子供たちと関わる事も無くなったまま引退してしまったので子供たちと関われるのは楽しくて仕方ない。


そうなるといよいよ、鬱々としたタイトルの意味が分からなくなると思われるだろうが、小児科を学ぶということが実は鬱々とする理由にもなるのである。



(ハードな実習をしてると、太ると分かっていても巨大なカツ丼を食したくもなる)


小児の患者の多くは本人たちにも家庭にも特に問題はなくとも突然に病気という災いが降りかかる。その病気が風邪のような大したものでなければいいのだが、実習する病院にいる子たちはまだ学校にも行ってないような小さなうちから親元を離れ入院生活を強いられなくてはならない重めな病を抱えた子たちなのである。

そんな子たちを見ていると「神様なんていないな」とつくづく思うのである。


みなさんは芦田愛菜氏が主演した「星の子」という映画をご存知だろうか?


芦田愛菜氏演じる主人公の女の子が幼い頃謎の熱に侵されていたとき、親が知り合いから「この水を飲むといいよ」と怪しげな勧誘を受け試したところ状態が改善しその水を信仰する不思議な宗教にハマっていった。そんな家庭で育った主人公も思春期を迎え周囲との関係性を考えていく中で宗教家である家庭とのギャップに悩んでいく中で…


というのが大体のあらすじ。様々なサブスクで配信されているので、興味が湧いた方は一見してみてくださいな。



(映画として面白かったかはノーコメントだが、考えさせられるものであった)


自分も生まれつき得体の知れない病を持っており、昔のそのまた昔には「万病が治る水」なんてのが某県にあるということで家族旅行に行ったこともある。

それが、星の子よろしく効いていたら違う人生もあったのだろうが、残念ながら水だけで難病が治るはずもなくかれこれ20数年間ずっと病と付き合ってきた。


そんな自分や病棟に入院する子たちを見ていると、神様なんていないなと思えてしまうのである。

前世云々とか言い出すとキリがないが、少なくともこの世に生まれ出た彼らは特に大罪を犯したわけでもないのである。


もともと、自分の腕の手術がうまくいかなかった+受験失敗という経験をした辺りから神様とかその類を全く信じない人間になってしまった。

それどころか、ラッキー○○みたいな占いも正直あまり好きではないのである。

だって、食べ物や色を変えたからって幸福が訪れるならそれこそ努力なんてしなくて良くなる。

それこそ、○月○日生まれの2歳の子が病になってしまったとして「○月○日のラッキーフードは坦々麺です!辛いものを食べて気分も爽快に」とか言われたとして、2歳の子に激辛坦々麺を食べさせるのは半ば狂行じゃないだろうか。


そんな事を考え始めると鬱々としてしまいたくもなるのである。




(光を心に…とは言っても限界がある。こういうオンラインでのライブステージ配信はありがたいが、やっぱり生で光を感じなきゃいかんのだろうか?)


せめて神様がいないのならば、医者がそんな子たちの励みになりたいのである。

先日、シン・ウルトラマンを鑑賞した。その中にも神様のようなウルトラマンという存在の登場に困惑する人の葛藤が描かれていた。しかし、ウルトラマンは怪獣と戦うことが出来るだけで神様のような大層なものではないというエピソードがある。

自分も神様やウルトラマンのような大層なものではなくとも、病という敵と闘う子供たちに対し医学という武器を携えた助っ人として一緒に戦ってあげたいのである。


とあるウルトラマンのコンセプトの中に「ギリギリまで信じて頑張れば奇跡は起きる」というものがある。人智を超えた奇跡なんてのは、本当にギリギリの状態までやる事をやって、ほぼ成功が確実であろうという段階の最後の最後のほんのちょっとしたあと1歩というところを埋めてくれるものなんじゃないかと思うのだ。

病と闘う子供たちにギリギリまで頑張れというのは、それこそ酷である。それで奇跡や神が降りないというのなら、医者がその役割を担おうではないか。



(そもそも奇跡にすがりつこうなんてのは、人間ごときにはお門違いではないだろうか。)


とまあ、長々と何やら書いてきた。最近、就活にあたり医師を目指す理由とか医師としての理想とかを考える機会があり、文章にしてみようと思って久々にブログを綴ってみた。


未だに私立医学部合格体験記の記事のアクセスが時折みられており、おそらく受験生でこの記事を目にする方もいるのだろう。

もし「自分は頑張っているのに」とか「奇跡が起きればな」とか考えているのならば、そんな期待はするなかれ。


そんな期待すら考えられなくなるくらいになってはじめて、「ギリギリまで頑張っている」と言えるものである。



(ギリギリまで頑張って、ギリギリまで踏ん張って、ピンチの連続のどうにもならない時にふと手を差し伸べてくれる存在はいるかもね。)