いつかまた出逢える日まで

いつかまた出逢える日まで

好きなこと、書きたくなったことを
書きたい時にゆるゆると

 

7月1日

 

雨のせいだ…

 

ってことにしよう。

 

気分がことのほか沈むのも

いつも以上に胸が痛いのも

そんな事ばかり思い浮かぶのも

 

 

全部雨のせいだ。

 

 

7月6日

ものすごく予定外に早く新しい家族が我が家にやって来た日。

お預かり体験開始。

確実にラブが繋いでくれた縁。

 

7月7日

生まれつき目が見えない子。

メスのシーズー。白茶。4.5㎏。2歳くらい?

環境が変わったせいだと思うがわんこ落ち着かない。

くるくるしてる。

ご飯は食べ出すと早い。よく食べる。

でも規定量30gだけ。それを一日2回。

お預かり中はおやつはあげてはいけないと言われている。(あげたくてうずうずする)

トイレの成功率はまだ低い。

 

7月8日

ご飯時間がズレにズレているが食べ出すとちゃんとたいらげる。

散歩はしたことがない子だから徐々にと言われているので外はまだ。

でも家の中のトイレを覚えさせるのもなかなか難しい。

試しにベランダに出してみたらおしっこをした。

うんちはサークル外の部屋の中でされた。

だが腰を上げる構えですぐ分かるのでサッとシートをお尻の後ろに当ててセーフ。

今日は日中よく寝てくれてるほうかも。

 

7月9日

今日はベランダに出したら真っ先にうんちをした。続けておしっこも。

やっぱり外の方が気持ちいいみたい。

我が家に慣れて来てくれてるようで嬉しい、

サークルに入らずに部屋のそこかしこで休むように。

おしっこもそこかしこで。

ご飯の時間は相変わらずズレてて遅くなる一方。

 

7月15日

四十九日。

まさかこの日を待たずして新しい子を迎えることになろうとは。

 

 

 

 

ラブのことを書こうとするとまだ胸が詰まるようになり手が止まる。

でも後になればきっと何もかも思い出になるから

思い返した時にあの時の事は何も覚えてないというのも切ないので、

ずっと覚えていたいので、

ぽつぽつ忘れないうちに大切な記録として書いておきたいとは思う。

それでもやっぱりラブの亡くなる前後の事はまだ書けない感じだから

ラブが亡くなってから予想外に早くお預かりするようになったわんこの事から

少しづつ書いて置こう。

 

 

と思って、確か新しいわんこの毎日の記録を続けて行くつもりで書いてたものが

下書きにあったはずと引っ張り出して来たのが上記の7月中のもの。

たった5日間で終わってるのがさすが私…真顔

 

 

これ以降トライアルの期間も明け正式に我が家の子になったのは7月21日のこと。

ラブを亡くしてからまだ二ヵ月も経たないうちに本当にバタバタと物事が進み

決まったという感じだった。

 

 

名前は「こまめ」ちゃん。ビーグルあたま家族で考えて付けた名前。

 

 

犬猫保護施設のサイトを何気なく見ていたら出会ってしまったシーズーの子。ビーグルあたま

まっさきに「ラブに似てる!!!」って食い入るように見てしまった写真。

会いに行きたくなっていても立ってもいられずで

腰の重い私が珍しくさっさと施設に連絡し会える段取りをつけてもらい実際に対面。

(一度目はその子がお披露目会に来ていなくて二度目でやっと会えたのだが)

全然似てないのに似てるとやっぱり思った、、って自分でもよく分からん事を言うが

今でもなぜか分からないけど似てると見える。私の目には。

シーズーならみんなそう見えるわけではない。

同じ犬種の子を他にもいっぱい見たけど全然似てるとは思わなかった。

 

ラブを亡くしたばかりだし実際にすぐに飼おうと決めて会いに行ったわけでもない。

けれど会ったら引き取る以外の選択肢は無くなる予感だけはあった。

トライアル中も、もうすっかりウチの子としか見ていなかったし。

ラブのために在庫しておいたあれもこれもラブがいなくなった直後は

そこにあるというだけで目に入ると辛すぎて大量のトイレシートもオムツもご飯も

お世話になった病院に寄付させてもらった。

実際もう二度と使う事はないだろうとその時は本当に思ってた。

 

なのに、結局また新たにせっせと用意し始める。

そういう準備もきっと私を徐々に回復させてくれてたんだと思う。

 

 

 

私にとって何が一番大切だったか、

本当はどうでもよかった事に私がいかに囚われていたか、

気づかせてくれたのはラブ。

ラブがいなくなってしまってから。

 

今はほどほどに、、って感覚で何でも捉える事が出来るようになった。

余計なもので心を覆う事はもう無い。

そんな事に勝手にかかずらってる間に一番大切なものや、

その大切なものをもっともっと中心に考えて過ごせたはずの貴重な時間を

失ってしまったから。

 

 

書かない、ということではなく、自分が嫌だと思うものにもう囚われたりしない。

でも意識的に気持ちを薄くして行こうなどとせずとも何だか自然と、

のめり込む自分がいなくなった感じがする。

 

もう二度とあんな後悔はしたくないという思いが強かったせいかな?

 

繰り返すまい!と心に誓ってこまめと過ごし、またブログを書き始める。