はじめまして。
はにゃ の姉の のん といいます。
この度、妹に代わりご報告させて頂きます。
去る7月11日 午前3時24分
妹、はにゃが永眠致しました。
9日早朝に痙攣を起こし、
意識を失いましたが、
その後落ち着き、
少しですが会話もできました。
その日の夜に再び意識を失い、
また戻ってきてくれました。
10日は、意識がある中痙攣に苦しみ、
本当に辛そうでした。
幼い子のような口調になり、
何かをわかっているのか、
『いややーいややー』
『離れたくないー』
『ずっとみんなと一緒がいいー』
そう言ってずっと泣いていました。
痙攣も落ち着いてきて、ホッとしていた夜。
お見舞いに行った私たちが帰る準備をしていると、
それまで何も喋らずしんどそうにしていた妹が突然、
『○○も!』
と、力強く自分の名前を言ったのです。
ちゃんと話が聞こえていて、
自分も帰る!と言ったことにみんなで驚きました。
日付が変わった11日2時前、
母から『昏睡状態』と連絡を受け、
急いで駆け付けました。
私たちが到着すると、
閉じていた目が開き、
わずかですが反応もしてくれました。
妹にだけ相談していた、
今、私のおなかにいる第二子の名前も、
『○○で決まりやからな!覚えといてよ!』
と言うと、一筋涙を流したのです。
意識があるうちに、
妹がずっと着たがっていた私とおそろいのマキシワンピを着せ、
私も着替え、一緒に写真を撮りました。
その写メを妹にも見せたんですが、
それをちゃんと見れたのかどうか。。
見えてたらいいなと願うばかり。。
最期は苦しむことなく、
本当にきれいな顔で眠るように逝きました。
私がメイクをさせてもらい、
今にも起きそうな、そんな表情でした。
なぜ病気になったのが妹だったのか、
なぜもっと早く気付いてやれなかったのか、
なぜあんな男がよかったのか、、、
カードローンを作らされたり、
妹がいない間に妹のお金を勝手に取ったり、
本当に、ここでは書ききれないほど苦労させられていたんです。
そんな男を好きになり、
結婚したことが悔しいと泣いた妹。
何も知らなかった私たち家族もたくさん泣きました。
助けてあげられなかった。
絶対、死なずに済んだはずだった。
悔しくて悔しくてたまらないのです。。
妹の死に目にも間に合わず、
お通夜後もヘラヘラどんちゃん騒ぎ。
嫁を亡くして笑っていられる旦那がどこにいる。
その神経がわからない。
妹は幸せだったんだろうか。
妹の人生ってなんだったんだろう。。
今こうして家に帰ってこれたことを、
喜んでくれていたらいいなと、
ただただ願うばかりです。
これまで、妹のブログを見て下さっていた皆様、
本当にありがとうございました。
自身の記録と、
同じように病気で闘っている人の励みになれば、
と妹自ら始めたブログ。
毎日200以上アクセスがあったようで、
本人も驚いていたし、
励みにもなったことと思います。
生きたい、と苦手な薬も頑張って飲み、
二回意識を失っても戻ってきてくれ、
本当にものすごい生命力で、
頑張り屋の妹でした。
自慢の妹でした。
生まれ変わっても私の妹になってくれると信じています。
最後に長文を読んで頂き
ありがとうございました。
妹が頑張った証を、
少しでも知ってもらえれば嬉しいです。
今まで、本当にどうもありがとうございました。
はにゃ の姉の のん といいます。
この度、妹に代わりご報告させて頂きます。
去る7月11日 午前3時24分
妹、はにゃが永眠致しました。
9日早朝に痙攣を起こし、
意識を失いましたが、
その後落ち着き、
少しですが会話もできました。
その日の夜に再び意識を失い、
また戻ってきてくれました。
10日は、意識がある中痙攣に苦しみ、
本当に辛そうでした。
幼い子のような口調になり、
何かをわかっているのか、
『いややーいややー』
『離れたくないー』
『ずっとみんなと一緒がいいー』
そう言ってずっと泣いていました。
痙攣も落ち着いてきて、ホッとしていた夜。
お見舞いに行った私たちが帰る準備をしていると、
それまで何も喋らずしんどそうにしていた妹が突然、
『○○も!』
と、力強く自分の名前を言ったのです。
ちゃんと話が聞こえていて、
自分も帰る!と言ったことにみんなで驚きました。
日付が変わった11日2時前、
母から『昏睡状態』と連絡を受け、
急いで駆け付けました。
私たちが到着すると、
閉じていた目が開き、
わずかですが反応もしてくれました。
妹にだけ相談していた、
今、私のおなかにいる第二子の名前も、
『○○で決まりやからな!覚えといてよ!』
と言うと、一筋涙を流したのです。
意識があるうちに、
妹がずっと着たがっていた私とおそろいのマキシワンピを着せ、
私も着替え、一緒に写真を撮りました。
その写メを妹にも見せたんですが、
それをちゃんと見れたのかどうか。。
見えてたらいいなと願うばかり。。
最期は苦しむことなく、
本当にきれいな顔で眠るように逝きました。
私がメイクをさせてもらい、
今にも起きそうな、そんな表情でした。
なぜ病気になったのが妹だったのか、
なぜもっと早く気付いてやれなかったのか、
なぜあんな男がよかったのか、、、
カードローンを作らされたり、
妹がいない間に妹のお金を勝手に取ったり、
本当に、ここでは書ききれないほど苦労させられていたんです。
そんな男を好きになり、
結婚したことが悔しいと泣いた妹。
何も知らなかった私たち家族もたくさん泣きました。
助けてあげられなかった。
絶対、死なずに済んだはずだった。
悔しくて悔しくてたまらないのです。。
妹の死に目にも間に合わず、
お通夜後もヘラヘラどんちゃん騒ぎ。
嫁を亡くして笑っていられる旦那がどこにいる。
その神経がわからない。
妹は幸せだったんだろうか。
妹の人生ってなんだったんだろう。。
今こうして家に帰ってこれたことを、
喜んでくれていたらいいなと、
ただただ願うばかりです。
これまで、妹のブログを見て下さっていた皆様、
本当にありがとうございました。
自身の記録と、
同じように病気で闘っている人の励みになれば、
と妹自ら始めたブログ。
毎日200以上アクセスがあったようで、
本人も驚いていたし、
励みにもなったことと思います。
生きたい、と苦手な薬も頑張って飲み、
二回意識を失っても戻ってきてくれ、
本当にものすごい生命力で、
頑張り屋の妹でした。
自慢の妹でした。
生まれ変わっても私の妹になってくれると信じています。
最後に長文を読んで頂き
ありがとうございました。
妹が頑張った証を、
少しでも知ってもらえれば嬉しいです。
今まで、本当にどうもありがとうございました。