「銃撃戦の匂いが残っているってことは、ここが襲撃されたのは俺たちが着く直前です。まだ追いつける、今すぐビショップに向かいます。」
「これが予期せぬ事態ってやつか。」
皮肉を言いながらヴァイソンさんは、ジュンと一緒にビルから走り出ると車に乗り込んだ。
ジュンはロサンゼルス市内を猛スピードで運転しながら、"いちゃりばちょーでー" の本部に連絡した。
しかし、応答がない。
もう一度試したが、結果は同じだ。
次に、個人的に信頼しているエージェント数人にかけてみたが、呼び出し音がするだけで一人も出ない。
本部も襲撃された?
いや、"sekissulogy" の攻撃にも耐えた "いちゃりばちょーでー" がそう簡単に壊滅するはずがない。
なにか別の理由がある。
「支援はありません。2人だけで林さんを奪還します。」
「勘弁しろよ!」
「ハイウェイに出たらスピードを上げます。」
ジュンは、ヴァイソンさんの言葉を遮るように言った。
「今でも150キロ出てるぞ!」
ヴァイソンさんが怒鳴る。
「せきしゅーのスポーツカーほどじゃないけど、この車もそれなりにカスタムされてます。」
ジュンがそう言った直後にサイレンが聞こえた。
ヴァイソンさんがバックミラーを見ると、ロサンゼルス市警のパトカーが1台追ってきている。
「街中でこんなスピード出すから警察に見つかっちまった!」
もうお手上げだといった口調でヴァイソンさんが言った。
「ところでヴァイソンさんは、"Numb/Encore" って曲を知ってますか?」
ジュンがヴァイソンさんの顔を見ながらニヤリと笑った。
「おい!!ジュンお前まさか!!」
ジュンがシフトレバーについている小さなボタンを押しながらアクセルを目一杯踏み込むと、車が急激に加速した。
同時に、アップテンポのイントロで始まる曲が爆音で鳴り響いた。
スピードメーターは240キロを超えている。
「まだ街中だ!!」
「予期せぬ事態に臨機応変に対応しているだけです。」
ヴァイソンさんが叫ぶと、ジュンはいつも通りの表情と口調で応えた。
コイツもイカれ野郎だったのか、ヴァイソンさんは今さら気づいた。
「このまま警察を振り切ります。」
「頼むから一般人を巻き込むことだけはするなよ。」
もうどうにでもなれ、という気持ちでヴァイソンさんは言った。
ジュンのリクルートに乗ったのは自分の意思だ、最後までやり切るしかない。
見事なハンドル捌きで一般車両や通行人をかわしてハイウェイに入った瞬間にジュンは、クラッチペダルを踏み込みながら、シフトレバーのボタンを押した。
車がさらに加速し、スピードメーターは450キロ近くを表示している。
このスピードなら警察のヘリコプターでも追跡できない。
「心当たりがあると言った言葉について説明します。
"マスター" は、"sekissulogy" の長官のコードネームです。」
他の車を次々と抜き去りながら、ジュンが言った。
「じゃあ、アイツらは自分たちのボスに殺されたってことか?」
「それはまだわかりません。
もう一つ言うと、これは罠の可能性が高いです。
襲撃のタイミング、ビショップへの誘導、本部や他のエージェントに連絡がつかない、怪しい要素が多すぎます。」
「罠だってわかっててビショップに向かって突っ込んでんのか!?」
「本部と連絡がつかない以上、他に林さんの奪還に繋がる手がかりはありません。」
「いったん退いて、本部がどうなってんのか確かめるべきじゃねえか?
だいたい、林さんがまだ生きてるかもわからねえ。」
「確かにその通りです。でも、なんとなく感じるんです、確信はないですが。」
「なにを感じるんだよ?」
ジュンは答えなかった。
「言えよ。」
ヴァイソンさんがせっつく。
「これはただの罠じゃない、もっと大きな裏がある気がします、根拠はありません。」
ジュンにしては珍しく歯切れが悪い言い方だった。
「根拠のない裏の正体を見るためにわざわざ罠に飛び込むのか?」
「そうです。
ヴァイソンさんは今なら車を降りれますが、俺がそう言っても降りない。違いますか?」
今度は、ヴァイソンさんが答えなかった。
ビショップの町に入ると、高速で走る3台のSUVの後ろ姿がかすかに見えた。
その直後に、左右の横道からそれぞれ2台ずつ同じ型のSUVが現れ、ジュンとヴァイソンさんの乗る車を追いかけ始めた。
SUVもカスタムされてるらしくかなり速い。
300キロは出ているだろう。
「やっぱり罠です。敵は挟み撃ちを狙ってます。」
「でも、俺たちの前を塞がなきゃ挟み撃ちにならねえぞ。」
「…俺たちが前の車列を追いかけ続けるように誘ってますね。」
「誘いに乗るのか?」
「乗ります。」
ジュンは間髪入れずに答えた。
「よし、やろうぜ。」
拳銃のセイフティーを解除しながらヴァイソンさんが言った。
前方の3台は、町を抜けるとバターミルクエリアに向かう道へ進んでいった。
オフロードに入ったら今のスピードは維持できない。
追いつけないままオフロードに入り、しばらく進んだ所で前の3台が止まった。
50メートルほど開けてジュンも停車する。
「始まります。車から出ないでください。」
3台の車から黒いコンバットスーツを着た兵隊がワラワラと出てきた。
それに混じってスーツを着た男が1人と、それを引きずるように歩かせて遠ざかっていく兵隊が2人見えた。
「あのスーツが林さんです。」
そう言いながら、ジュンがハンドルについているボタンを操作すると、バンパーから4本の銃口が伸びて連射し始めた。
「前の連中はこれで牽制できます。」
「後ろは?」
ヴァイソンさんが尋ねると、ジュンが別のボタンを押した。
トランクが開いて小型のガトリングガンが現れ、後方から接近する車列に向かって、凄まじい勢いで弾丸を放つ。
「この車は強力な防弾車だから、車の中にいる限りこっちが有利です。」
「敵の車も防弾だぞ。こっちが先に弾切れしたらどうする?」
「ある程度、敵が身を隠したら強行突破します。ロケットランチャーでも出てこなければ問題ありません。」
「あれがそのロケットランチャーってやつじゃねえのか?」
前方の車の後部座席から敵が引っ張り出した、筒状のものを指差しながらヴァイソンさんが言った。
「クソッ!」
ジュンが大声を出した途端、ロケットランチャーを持つ兵隊の頭が弾けて血しぶきが飛んだ。
近くにいた兵隊も2人、3人と頭を撃ち抜かれて倒れ、敵は慌てて車内や岩陰に身を隠した。
「ヒット。エネミー、ダウン。」
せきしゅーが、観測手用の一眼スコープを覗きながら言った。
次の標的に照準を合わせて、グッチがスナイパーライフルの引き金を引く。
「狙撃です、誰かが援護してくれてます。」
ジュンが状況に目を凝らしながら言った。
「誰が?支援はないんだろ?」
「わかりません。」
かすかに笑いながらジュンは答えた。
護衛していた2人の兵隊を狙撃で撃ち倒されながらも、林さんは車が入って行けない方向に逃げていく。
「林さんを2人で追いかけます。」
「おっしゃ。」
ジュンと同時にヴァイソンさんも車を降りて走り出した。
正体不明のスナイパーによる狙撃で敵が動けない中、林さんの背中を目指して全力疾走する。
ジュンは、自分たちの進路上に隠れていた敵を走りながら撃ち殺していった。
「そろそろ潮時やな。引き上げようや。」
「なぜ護衛だけで林さんは殺さない?」
グッチはスナイパーライフルを解体しながら、せきしゅーに尋ねた。
「存在せんからや。」
「どういう意味だ?」
「そのまんまの意味や。
出生届や戸籍はもちろん、書類やその他どこにもデータがない。
2年近く尋問したけど、一切なんの情報も吐かんかった、荒っぽい手を使ってもな。」
「殺さない理由になっていない。」
「俺たちは死人や、存在しない人間を殺すかどうかは生きてる奴らにまかせようや。」
理解ができないと言いたげなグッチに向かって、せきしゅーがニヤリと笑った。
「それより降りるんが一苦労やで、これ。」
2人はグランパの頂上からクライムダウンを始めた。
かなりの距離を走らされてジュンとヴァイソンさんは林さんに追いつくと、タックルして地面に押し倒した。
「…クソッ、疲れた、肺が痛え。」
大きく呼吸しながらヴァイソンさんが愚痴る。
「…林さんを確保できました、後は本部に連行すれば任務は成功です。」
息を整えながらジュンは応えた。
林さんは、地面に押さえつけられたまま無言で荒く呼吸している。
「でも、結局よくわからねえ。ジュンの言う裏は見えたのか?」
「…見えていません。」
「こういう時はな、すでに死んでる奴から疑うってのがセオリーだ。
一連の出来事が起き始めた時点で死んでいて、その上で一番得するのは誰だ?よく考えてみろ。」
ヴァイソンさんが畳みかけるようにジュンに言った。
すでに死んでいるかは別として、ヴァイソンさんの言うことにも一理ある。
「この状況で一番得をする者…」
ジュンが記憶を遡っていると、視界の隅に人影が見えて、そちらに素早く視線を送った。
「ヴァイソンさんはここで林さんと動かないでください!」
ジュンは大声で指示すると、拳銃を抜きながら人影に向かって走った。
「なんなんだよ。」
突然のことに対応できていないヴァイソンさんは、よくわからないまま指示に従った。
「ミレー!!」
岩が点在する荒野に1人で立つ "M" の50メートルほど前で止まると、ジュンは拳銃を構えて叫んだ。
"M" が振り向いて、ジュンと目を合わせた。
"M" = "マスター" 、本名がミレー。
"M" は "マスター" のMで、ミレーのM。
クソ単純でクソふざけてやがる。
ジュンは怒りにまかせて引き金を引きかけたが、ミレーに見つめられると撃てなかった。
ミレーは、数秒待ってジュンが自分を撃てないと確信してから、素早い抜き撃ちでジュンの右手を撃ち抜いた。
拳銃が吹っ飛び、痛みと衝撃でジュンは思わず地面に膝をついた。
ミレーが拳銃を構えもせずにブラブラとジュンに向かって歩いてきた。
「どうした、ジュン?こんなところで走ったり叫んだりして。そんなことしてないでもっとこの景色を楽しめ。
どこまでも広がる青空、遠くに連なる雪をかぶった山々、そしてたくさんの素晴らしい岩たち。
ビショップはロッククライマーの楽園だ。」
ジュンから2メートルほどの所でミレーは立ち止まると、いつもと変わらない口調で言った。
「目的はなんだ?」
ジュンは左手で右手をキツく押さえて止血しながら、ミレーを睨みつけた。
「特に理由はないが、なにもかもブチ壊したくなる時があるだろ?
林さんはブチ壊し方を知ってる。だから欲しい。
世界が壊れてお前も死ぬように私が仕組むたびに、お前はそれを阻止して生還した。
いい加減飽きてきたから、自分の手で殺してやろうと思ってな。」
どいつもこいつもイカれてやがる。
ミレーの答えを聞いてジュンは思った。
林さんを押さえつけたままヴァイソンさんが様子を見ていると、銃声と共にジュンが膝をついた。
ジュンが撃たれたらしい。
撃った女が歩いてきて、数メートル開けてジュンの右側に立つ。
ヴァイソンさんは、立ち上がって拳銃を抜くと、慎重にジュンの頭へ狙いをつけた。
すぐに林さんが逃げ出したが、そのまま行かせた。
「見ろ、ヴァイソンさんが拳銃をこっちに向けている。ここまで100メートル以上離れているのに当たると思っているのか。」
心底おもしろがっているかのようにミレーが言った。
ジュンもヴァイソンさんを見ると、ヴァイソンさんはジュンを狙っていた。
ヴァイソンさんはわかってる。
ジュンがそう思った瞬間に銃声が響き、ミレーの身体が崩れ落ちた。
「……不可能…だ…。」
肝臓から真っ暗な血を流しながら、ミレーが囁くような声を絞り出した。
ジュンは立ち上がり、左手で拳銃を拾うと、ミレーの頭に3発撃ち込んだ。
逃げた林さんを再び追いかけて捕まえると、車まで戻って縛り上げてから後部座席に座らせた。
敵の兵隊はすでに去った後で、死体だけが残されていた。
応急手当てしただけのジュンの右手では運転できないので、代わりにヴァイソンさんがハンドルを握る。
「つまり、"いちゃりばちょーでー" と "sekissulogy" の長官は同じ人間で、今回どころか何年も前から、俺やジュンを含めたいろんな人間を操って、世界滅亡を企んでた。それがあの女ってことか?」
ロサンゼルスに向かう車内で、ヴァイソンさんはジュンの説明を聞いて言った。
「そうです。それを知ってしまい、 "M" を殺した以上、俺もヴァイソンさんも "いちゃりばちょーでー" には戻れません。」
「じゃあ、これからどうする?後部座席の林さんをどうするかも考えないといけねえぞ。」
「…死んだはずの人間が援護してくれる世界です。生きてる俺たちにできることはもっとあると思いませんか?」
「死んだはずの人間か、似たような言葉をさっき使ったな。
どっちにしろ俺は最後までジュンとやるぜ。」
「それにしても、ヴァイソンさんは自分の弾が狙いより右に逸れるって自覚してたんですね。」
「いや、あれはジュンを狙って撃った。
あの女がジュンを痛ぶってから殺しそうだったし、それなら一思いに楽にしてやろうと思ってな。
そしたら偶然あの女に当たった。
そんなことより、空港の売店で無修正のエロ本買うから選ぶの手伝ってくれ。」
ヴァイソンさんを殺して埋めるにはピッタリの場所だな。
車外に広がる荒野を眺めながら、ジュンはベルトに仕込んだナイフに手をかけた。
ミッション:インポッシブル
レッド・ポイント