命
久し振りに有栖川有栖さんに連絡をした。
妙な名前だと、思われる方もいらっしゃるでしょうが、
文筆を生業となさっている方とご理解下さい。
皇族ではない。
先日…と言っても、2ヶ月程前に新刊本を送って頂いていたのに、
お礼の一言も言っていなかった。
新刊本がでる度に送って頂いているのに、
本当に失礼極まりない。
明日こそ連絡しようとずるずるしている間に、
2ヶ月も経ってしまっていた。
今出来る事を先延ばしにしちゃいけないのだ。
人間、そんな生き方をしちゃいけない。
子どもたちにそう教えているのに、
自分がそれをやってしまっている。
あきませんわ。
クローゼットにこもって、反省せねば。
にも関わらず、温かいメールが返ってきた。
読み進んでいくと、
家族の一員だったネコちゃんが天寿を全うしたとあった。
三男が「天寿」ってなに?
と聞くので、たくさん生きて天国にいったんだと、答えた。
隣で一緒にメールを読んでいた子ども達は、
ゼンマイの切れた人形のようになっている。
子ども達はネコちゃんと遊ぶのも楽しみの一つだった。
こんな時、どう言ったらいいのか?
気のきいた言葉が浮かばない。
メールの最後の方には、
新しく仔猫ちゃんを家族に迎えたとある。
僕は、子ども達に今度仔猫ちゃんに、
ご挨拶に行こうと言った。
その場はそれで話は終わった。
しばらくして、三男が
「おじさん家のネコちゃんは、こねこちゃんに生まれ変わったの?」と。
僕は「そうかも知れない」と言った。
僕は信仰深い人間でも何でもない。
だけど、肉体=命と決めつけるのは、
いささか乱暴な気もしている。
僕は、子ども達に、目に見えるものが全てではない。
あるからといって触れるとは限らないと話している。
例えば、空気は見えないけど、確実に存在する。
空気が動くと、風になりその存在を感じる。
光は見えるけど触れない。
炎もみえるけど触れない。けど、熱さを感じる。
バカげていると言う方もいらっしゃるだろうが、
時に僕は、今は亡き人の気配を感じて、
その面影をさがす事がある。
命とはそんなものかも知れない。
妙な名前だと、思われる方もいらっしゃるでしょうが、
文筆を生業となさっている方とご理解下さい。
皇族ではない。
先日…と言っても、2ヶ月程前に新刊本を送って頂いていたのに、
お礼の一言も言っていなかった。
新刊本がでる度に送って頂いているのに、
本当に失礼極まりない。
明日こそ連絡しようとずるずるしている間に、
2ヶ月も経ってしまっていた。
今出来る事を先延ばしにしちゃいけないのだ。
人間、そんな生き方をしちゃいけない。
子どもたちにそう教えているのに、
自分がそれをやってしまっている。
あきませんわ。
クローゼットにこもって、反省せねば。
にも関わらず、温かいメールが返ってきた。
読み進んでいくと、
家族の一員だったネコちゃんが天寿を全うしたとあった。
三男が「天寿」ってなに?
と聞くので、たくさん生きて天国にいったんだと、答えた。
隣で一緒にメールを読んでいた子ども達は、
ゼンマイの切れた人形のようになっている。
子ども達はネコちゃんと遊ぶのも楽しみの一つだった。
こんな時、どう言ったらいいのか?
気のきいた言葉が浮かばない。
メールの最後の方には、
新しく仔猫ちゃんを家族に迎えたとある。
僕は、子ども達に今度仔猫ちゃんに、
ご挨拶に行こうと言った。
その場はそれで話は終わった。
しばらくして、三男が
「おじさん家のネコちゃんは、こねこちゃんに生まれ変わったの?」と。
僕は「そうかも知れない」と言った。
僕は信仰深い人間でも何でもない。
だけど、肉体=命と決めつけるのは、
いささか乱暴な気もしている。
僕は、子ども達に、目に見えるものが全てではない。
あるからといって触れるとは限らないと話している。
例えば、空気は見えないけど、確実に存在する。
空気が動くと、風になりその存在を感じる。
光は見えるけど触れない。
炎もみえるけど触れない。けど、熱さを感じる。
バカげていると言う方もいらっしゃるだろうが、
時に僕は、今は亡き人の気配を感じて、
その面影をさがす事がある。
命とはそんなものかも知れない。