遅い夢は、ない。【4】 | 日本とスペインをつなぐ架け橋 原田郁美

遅い夢は、ない。【4】

遅い夢は、ない。【3】から続けます。

「娘さんから何て言われたんですか?」



「夢はどうしたの?」

って。

「私が大学決まったら留学したいって言ってたよね?

 どうして行かないの?」


ハッと夢から醒めた瞬間でした。

いえ、夢を再び見始めた瞬間、

と言った方が正しいかもしれません。」



「そんな時、ソムリエ協会誌で 【イタリアソムリエ6ヶ月研修旅行】

 の記事を見つけ、これだ!と思いました。

 ”実習期間終了後、ミラノのイタリアソムリエ協会でソムリエ試験”

 とあり、フランス語はハードルが高すぎる、

 ローマ字なら何とかなるかも?と、イタリア留学を決断しました。

 娘や主人の理解のおかげもあって、

 2002年4月3日からイタリアのトリノに。

 あれは46才の時でした。」



「イタリアワインなんて、キャンティ、バローロ

 くらいしか知らない私に比べて、

 日本から同行した研修生10人は皆さんイタリアワインに精通。

 正直、私一人でしたよ。無知なのは。

 勉強に通っていた時だってイタリアワインはSangiovese

 くらいしか覚えてないです。

 殆どフランスワインばかり勉強していましたからね。

 その当時ちょうどスペインでは、金色の網掛けワインが

 盛んに出始めた頃でしたね!

 今のスペインワインとは全く別物のクォリティーでしたが。」



「ワイン概論の分厚い教科書を肩に背負って、

 肌寒い小雪が舞うトリノの市電で学校まで往復する日々。

 週1回、イタリア語のレッスンもありましたが、

 まったくもって理解できず。

 研修生の中で私が一番歳上で、

 そして一番の劣等生でした。」


遅い夢は、ない。【5】につづく。

・遅い夢は、ない。はこちら→★
・遅い夢は、ない。【1】はこちら→★
・遅い夢は、ない。【2】はこちら→★
・遅い夢は、ない。【3】はこちら→★