FASを呈したFTDの1症例報告です。

FAS としての症候論
本例のFAS の病態であるが,助詞の省略と促音の脱落を中核とし,発語失行,音韻性錯語,非流暢性失語,economy of speech の要素が重なった結果,イントネーション・音の高低・強弱・リズム・音調のそれぞれに微細な変化をきたし,日本語には不適切な韻律を生じたうえに,感情的韻律の表出障害が加わったことが主因であると考えられる。

本例におけるFTD とFAS の関連性と特異性
まず,右前頭葉眼窩面~穹隆面の障害が感情的韻律の表出障害に関与した可能性がある。
左前頭葉の発話中枢(Broca 領域,中心前回下部)の障害は画像的には明らかでなかったが,発語失行,非流暢性失語はやはり左前頭葉内の変性過程の結果と解釈する必要があろう。
さらに,economy of speech と発話量低下には発話に関する発動性低下が関与したと考えられ,補足運動野が含まれる左前頭葉後方内側上部の機能障害がその原因となった可能性が推測される。
このように本例のFAS には,変性性疾患を反映して両側半球の機能障害が複合的に関与した点が強調される。

本例はFTLDのような発話・言語機能に障害を呈する変性性疾患がFAS を発症する可能性を示唆する症例であると考えられた。

よろしければ、下記または本文献をご覧ください。


Foreign accent syndrome を初発症状とするfrontotemporal dementia.
新しい症候の可能性?
福井俊哉 (高次脳機能研究26(4): 397 ~ 407,2006)

Ⅵ.考  察
本例はFTD として典型的な症状を次々に呈したが,初発症状は特異な発話障害であった。それは「外国語なまりの日本語に聞こえる」という特徴を有しており,FAS としての基本的条件(Munsonら2005)を満たしていた。FAS と診断した際にはeconomy of speech を認め,また,その時点では症候的には明らかではなかったが,3 ヵ月後の言語検査により軽微な発語失行と非流暢性失語の合併が確認された。その後,比較的急速に発話量が減少してFAS をはじめとするすべての口頭言語障害は隠蔽された。脳血流低下の中心は右前頭葉眼窩面と穹隆面にあった。左前頭葉後方内側上面にも血流低下を認めたが,従来,FAS の責任病巣とされているBroca 領域,左側中心前回,基底核などには画像上の病変を認めなかった。今までにFTDがFAS を合併した報告はないため,両者の関連性を中心に考察する。
1.FTD としての症候論
本例は初期には計画性・洞察力障害,脱抑制的行動,ついで時刻表的・紋切り的・固執的・環境依存的な社会行動異常,進行性の情意鈍麻,進行性人格障害を呈した。記憶障害や視空間認知障害は明らかではなかった。発症初期は通常の会話ではFAS とともにeconomy of speech が認められ,初診3 ヵ月後の標準失語症検査と音読サンプルの音声言語学的解析では軽微ながら発語失行と音韻性錯語による言い誤りに加えて,助詞の脱落を主体とする失文法,復唱障害,語想起障害などの非流暢性失語の要素を認めた。これらの程度は人格行動障害に比べて非常に軽度であり,また,失語が臨床像の前景となった時期はないため本例は進行性失語の診断基準は満たさない。また,単語の意味理解,環境音認知,既知相貌認知は正確であり,言語性・視覚性意味記憶障害がないことから本例は意味性痴呆ではない。したがって,本例は軽度な言語障害を伴ったFTD(Neary ら1998)と診断される。一方,Pub ─Med および医学中央雑誌WEB 版にて検索した限りではFTD または進行性失語・意味性痴呆とFAS の合併に関する報告がないことが強調される。
脳画像所見のなかではSPECT 所見が臨床症状と良好に相関した。脳血流の相対的低下領域が右前頭葉主体であったことは臨床症状の主体が社会行動異常であり,言語の障害が軽微であったことが説明されよう。前頭葉萎縮中心と症状の対応(Snowden ら1996a)に従うと,右前頭葉眼窩面の変性から発病したために当初脱抑制的行動異常がやや目立ち,進行の過程で病変が基底核に及んで時刻表的・紋切り型行動異常を生じ,前頭葉穹隆面に障害が拡大して発動性の低下が加味されるに従い,これらの陽性症状が沈静化したと推測される。発話に比較的限られた発動性低下には左前頭葉内側面後上部の機能低下のかかわりが無視できない。
情動障害はFTD の共通症状であるが,本例では病変が右半球主体であったことが関連する可能性がある。一般に右脳損傷の場合,感情に伴う韻律表出は中心溝より前方病変にて減弱し,後方病変にて増大する(Shapiro ら1985)。本例では韻律による感情表出が高度に障害され,韻律の感情理解障害は中等度であり,一方,顔面表情からの感情理解は保たれていた。これらは,脳変性の主座が右前頭葉眼窩面にあり右脳後方の障害は軽度なことに合致すると思われる。他方,脳MRI が臨床症状に見合った限局性萎縮を呈さなかった点は言及に値する。脳萎縮の程度は病期と病理組織に依存するところが大きい。発症半年後と2 年後に行った脳MRI では特異的な脳萎縮パターンや経時的変化を指摘することができなかった。長期の経過については今後の検討を待ちたい。一方,前頭側頭葉萎縮の特徴と組織学的所見との関連性が示唆されている(Snowden ら1996b)。つまり,frontal lobe degeneration type では萎縮程度は軽度で左右差が少なく,び慢性・非限局性であり,ナイフ刃様萎縮は呈さず,基底核萎縮が軽度であるとされている。対照的にPick ─type の場合では,萎縮は高度・限局性,左右差が強く,基底核萎縮が高度である。病理組織型に関する推測には慎重を要するが,本例の脳形態所見に特徴が乏しいことは組織型がfrontal lobe degeneration type である可能性を示唆するかもしれない。以上の臨床経過,SPECT 所見,およびMRI上にて前頭側頭葉の限局性萎縮が明確ではない点を既知の病理学的知見をもって補填説明すれば,本例を右半球優位のFTD であると診断することに矛盾はない。
2.FAS の概論
FTD である本例が発話障害を背景にしてFAS を生じたと診断したが,その妥当性を立証するためにFAS 既報告例における症候と病因を整理する。まず,FAS の定義であるが,患者が母国語を話す場合,その母国語を共有する第三者が患者の発話に対して外国語のようだという違和感を持つならば,その発話異常をFAS と称することができる(Munson ら2005)。FAS は単に言語が「異常である」ではなく「外国語のようだ」との印象を聞き手に与えることの独自性(Dankoviˇcová ら2001)を有している。
音声言語学的分析によると,FAS はイントネーションに代表される超分節素の障害(Monrad ─Krohn 1947)を中核とし,分節素の障害が加味されたものである(Dankoviˇcová ら2001,Van Borsel ら2005)。さらに,FAS には音の高低(pitch),強弱(stress),リズム,音調(tone)などのイントネーション以外の超分節素障害も関与する(Monrad─ Krohn 1947,Blumstein ら1987,Gurd ら1988,福井ら1990,Takayama ら1993,Christoph ら2004,Avila ら2004,Van Borsel ら2005,Munson ら2005)。一方,母音変化・2 重母音の増加や子音の変化などの分節素の障害もFASの発現にかかわる(Pick 1919,Graff ─ Radford ら1986,Blumstein ら1987,福井ら1990,Reeves ら2001, 佐々木ら2003, Christoph ら2004,Verhoeven ら2005,Fridriksson ら2005,Lippert ─Gruener ら2005,Munson ら2005)。
FAS は失語症の回復期に観察されることが多い(Pick 1919,Monrad─ Krohn 1947,Graff ─ Radfordら1986,Blumstein ら1987,佐々木ら2003,Christoph ら2004,Munson ら2005)。一方,言語障害を伴わないFAS 症例(Gurd ら1988,福井ら1990,Takayama ら1993,Dankoviˇcová ら2001,Reeves ら2001,Avila ら2004,Van Borsel ら2005,Ryalls ら2006)の存在は,FAS が失語や発語失行に並存する必然的症状ではないことを示唆する。本例のFAS のように,失語・発語失行との関連性を有しながらも,それらとは区別されるべきFAS としての独自性を有することを理解する際に重要な事実である。
失語との関連を反映して,通常病巣は左半球にある(Pick 1919,Monrad─ Krohn 1947,Graff ─Radford ら1986,Christoph ら2004,Munson ら2005)。一方,右半球損傷によるFAS は少なく,くも膜下出血後の中大脳動脈領域梗塞(Dankoviˇcová ら2001)と右基底核梗塞(Gonzalez─ Alvarez ら2003 )の2 例のみである。原因疾患と2006年12月31日(403)57して,血管障害(Pick 1919,Graff ─ Radford ら1986, Blumstein ら1987, Gurd ら1988,Takayama ら1993, Dankoviˇcová ら2001,Gonzalez ─ Alvarez ら2003,Christoph ら2004,Avila ら2004,Fridriksson ら2005,Munson ら2005,Ryalls ら2006)が多く,ほかに,外傷(Monrad─ Krohn 1947,Lippert ─ Gruener ら2005),多発性硬化症(Bakker ら2004),心因性(福井ら1990,Van Borsel ら2005),転換反応(Verhoevenら2005),統合失調症の急性増悪(Reeves ら2001)などがある。
FAS の発症機序に関しては,発語失行による韻律障害(Ackermann ら1993),脳損傷による発話運動の制御機構障害に対する補償的反応(Fridriksson ら2005)などが示唆されているが一定の見解はない。他方,FAS には脳の器質的損傷は必須ではないとする考え方(福井ら1990,Reeves ら2001,Van Borsel ら2005,Verhoevenら2005)もある。このようにFAS の発症に多種多様な因子がかかわることを踏まえると,本例のような変性性認知症がFAS を生じる可能性も十分に考えられる。とくにFTD と進行性失語は発語失行,非流暢性失語,economy of speech などの発話障害を呈する点でFAS を呈する可能性はさらに高いことが予測される。
3.FAS としての症候論
まず,Munson ら(2005)の定義に従い,本例が日本語を話した際に,第三者である家族と医療スタッフが本例の発話から英語なまりの日本語を一様に想起した点から,本例の発話異常をFAS とすることが可能である。FAS の概念に対して,外国語のような印象を受けるか,また,どの外国語を想起するかに関しては聞き手により一定しないという批判(Christoph ら2004)があるが,本例の言語が「英語なまりのようだ」との共通した印象を不定多数の聞き手に与えた確固たる独自性が認められる。
本例のFAS の病態であるが,助詞の省略と促音の脱落を中核とし,発語失行,音韻性錯語,非流暢性失語,economy of speech の要素が重なった結果,イントネーション・音の高低・強弱・リズム・音調のそれぞれに微細な変化をきたし,日本語には不適切な韻律を生じたうえに,感情的韻律の表出障害が加わったことが主因であると考えられる。見かたを変えると,助詞の省略と促音の脱落,音韻性錯語はeconomy of speech や非流暢性失語の結果ともとらえられる。したがって,これらの諸因子は交互作用性にFAS 発症にかかわったと考えられ,これはFAS の原因を超分節素と分節素の複合的障害ととらえるDankoviˇcová ら(2001)やVan Borsel ら(2005)の説を支持する。一方,FAS は偶発的なものにすぎない(VanBorsel ら2005)との指摘があるが,この「偶発性」には患者と聞き手が置かれた環境因子が関与する可能性が考えられる。つまり,本例の場合は英語を母国語とする者が日本語を話す韻律にもっとも近いと思われ,その背景として英語には促音はないという言語特異性が重要である。さらに本邦では英語話者が多い,英語は義務教育における必須外国語である,日本人にとり英語は身近な外国語であるなどの社会・教育的環境が,さらには,言語学的経験や知識が「偶発的」に患者側のFAS の発現と聞き手側のFAS に対する感受性に寄与した可能性がある。同様に,中国語様のFAS を呈した既報告自験例(福井ら1990)においても環境因子の影響が無視できない。本例は脳器質的疾患を有さず解離反応が原因と考えられたが,発症直前に中国語話者と頻回に接していたという個人環境因子がFAS 発症に関与した可能性がある。つまり,既報告自験例の発話を再検討したところ,発話速度低下,失文法的傾向(短い文,助詞の省略),終止形への「です」「ね」の付加,促音の脱落,有声舌子音の濁音化(たおれたとき→タオレタドキー)と無声子音の延長(そのときの→ソノトキーノ)などを認めた。これらは中国語話者や韓国語話者が日本語を話すときの特徴と一致する。一方,本例と既報告自験例のFAS における共通点は助詞の省略と促音の脱落であった。
4.本例におけるFTD とFAS の関連性と特異性
FTD である本例のFAS の発症機序をどのように解釈すべきであろうか。本例は変性性疾患であるために,SPECT 所見が示すとおり病理学的変化は両側性である。まず,右前頭葉眼窩面~穹隆面の58(404) 高次脳機能研究 第26 巻第4 号障害が感情的韻律の表出障害に関与した可能性は上述したとおりである。左前頭葉の発話中枢(Broca 領域,中心前回下部)の障害は画像的には明らかでなかったが,発語失行,非流暢性失語はやはり左前頭葉内の変性過程の結果と解釈する必要があろう。さらに,economy of speech と発話量低下には発話に関する発動性低下が関与したと考えられ,補足運動野が含まれる左前頭葉後方内側上部の機能障害がその原因となった可能性が推測される。このように本例のFAS には,変性性疾患を反映して両側半球の機能障害が複合的に関与した点が強調される。さらに,無言や失語の回復期に認められることが多いFAS とは反対に,本例のFAS は発語失行や失語が進行する過程で一過性に出現した点で特異的である。いずれの場合でもFAS は発話・言語機能が量的・質的に変動する過程において出現するという点において一致し,改善ないしは悪化しつつある発話制御機構に対する補償的反応としてF A S が出現するとの説(Fridriksson ら2005)の可能性が浮上する。本例はfrontotemporal lobar degeneration のような発話・言語機能に障害を呈する変性性疾患がFAS を発症する可能性を示唆する症例であると考えられた。

引用:高次脳機能研究26(4): 397 ~ 407,2006