絶空のNOAH

絶空のNOAH

 「科学的でない」と否定される事の中に、実証されていないけれど否定する方が『科学的でない』と思える事象がある。そうしたものに日記形式で触れてみたい。

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存在の意味は、「他人と同じ」ということでは得られない。

その『他人』も、そう思っているからだ。

自己存在の本質的意味は、どこかで偉い人が知っていたり、

難しい本の奥に書いてあればいいのではなく、

自分自身の認識においてこそ、得るべきものなのだ。

サハラ砂漠にて

サハラ砂漠に挑む前、僕は『何とかなるかも知れない』と思った。

サハラを越えた後には逆に、『こんなの無理だ』と確信した。

おそらく僕は、あの果てしない地平線の真ん中に斃れ(あるいは

僕の認識可能性=量子的パラレルワールドの分岐のほとんどが

あそこで尽き)、この人生は、死の刹那の夢なのだ、と。

それでもきっと、世界は僕の中に在るのだが‥‥


(写真は実は、サハラ砂漠横断の時のではなく、サハラ砂漠の中の湖、

トゥルカナ湖往復1,080kmサイクリングの途中のものである。

サハラ横断1,600km=ビクトリア湖畔のキスム(自宅)→エルゴン山(4,320m)

→イシオロ→ガルバトゥラ→ガリッサ→マリンディ(インド洋)17日間の

終盤のオアシス、バランバラへの到着直前の夕闇の中で強盗に襲われ、

バッグの中身をぶちまけた時にフィルムを紛失したため、この時の写真は、

ほとんど無いのである。 全財産を盗まれた時、ケニア人の真の優しさ

(強きと戦い弱きを救う厳しい自然の掟)に触れることができた)

 カンボジアの首都・プノンペンを朝出た高速ボートは、メコン河を遡り、夕方にはラタナキリへの中間地点(というよりメコン水運の要衝)クラティエに着く

 「ボート」といっても、トイレ・テレビ付きの豪華版だ。
雨期にはボロボロに寸断される陸路に代って、早くて快適な交通手段となる。ただし、しばしば海賊(いや河賊か)に襲撃されるリスクを除けば、だが。

 雨期なら、ラタナキリの最寄りのメコン河畔の町・ストゥントレンまでボートで遡上できるのだが、乾期はここまで。

ここで大河のメコン河が多島海(河)化し、浅瀬になるので、水位が下がるとボートは通れなくなるのだ。


 しかし、その「多島海」のおかげで、メコン河に数十頭しかいない淡水イルカの生息地として、絶好の観察地点となっている。

翌朝、乗り合いトラックに乗る前、夜明け前の薄暗がりの中、バイクタクシーを飛ばして観察ポイントに行ってみた。

誰も居ない河岸の広場で、流れを感じないほど静かなメコン河を見つめていると、まるで耳を塞いでいるかのように無音で、ただ空と空を映す川面が朝焼けに染まっていく。

『そう都合よく見れるもんじゃないか』と諦めかけた時、手前の小島のあたりに、黒い影が一瞬現れて消えた。

 イルカの特徴的な背びれを予想していたので、そのノッペリした影に、イルカじゃない別の何か(それも大きさからして想像し難いが)ではないか、と思ったが、バイクタクシーの運ちゃんは、確かにイルカだという。

背びれの事を聞くと、彼は黙って広場の片隅を指差した。そこにはセメントで下手くそに作られた、背びれのないイルカの像があった。

 その黒い背中は、音もなく、波も立てず、少しずつ場所を変えながら、ヌメッと水面に現れては消え、やがて夢のように去った。

 ラタナキリに向かう乗り合いトラックの出発時間が迫っていたので、バイクタクシーを急かして町にトンボ帰りし、買出しに来ていたラタナキリの人たちで既に満員の、ピックアップトラックに飛び乗った。

 人と荷物で満杯の荷台に、ようやく足を突っ込むスペースを見つけ、後部のハッチの縁に腰掛けたが、この姿勢で丸一日、ラフロードを走るのがどんなに無謀な事か、いやというほど思い知らされる事になる




Ethiopia
 よく、高い所から落ちたりした時など、「一瞬の出来事がスローモーションのように見えた」といった話を聞くが、半信半疑だった(後から思い出してそう感じるだけじゃないか、と)。
 しかし、この画像の、エチオピア高原の赤い荒野をゴロゴロと横転するランクルの助手席に乗っていた僕は、ぐるぐる回る風景の中を、ゆっくり遠ざかっていくフロントグラスを眺めながら、天井、ドア、と回転に応じて素早く手を入れ替えて体を支え、ポッカリ開いたフロントから飛び出そうになるのをこらえたのだ。

 画像から分かるように、あと数m滑っていたら(あるいは飛び出していたら)、高原の大地を削って流れる10mほどの深さの岩だらけの谷に転落していた。
 とんだ命拾いだが、助手席にいながらスピードオーバーを制止できず、後ろに乗っていた大学教授(上の写真)に打撲傷を負わせたコンサルタントが、国際協力から足を洗うハメになるのを救うほどには、強運でなかった。

 また、この後2年近く、階段を上る時に足を引きずるほど右膝が痛んだことが、3時間10分のベストタイム(あるいは大阪-東京560kmマラソンの中間地点で休暇が尽きて棄権するまで2位だった)を誇ったマラソンを引退する原因ともなった。
マラソン
(ヤフーで、自分で作れる「みんなの検定」ていうのが出来たよ↓)

http://minna.cert.yahoo.co.jp/tzm/342

サバンナ

(ラタナキリの画像が、今壊れているi-Bookに入っているので場つなぎの面白画像で)

 協力隊でケニアで2年間過ごす中で、休暇を利用して計6千kmのサイクリングに挑んだ。

「挑んだ」というと凄そうだが、家はケニアの奥地、ビクトリア湖畔なので、隣町までサバンナを

百kmも走らねばならないのだから、まともにサイクリングすれば、すぐに千kmに達する。

 この画像は、協力隊員の任期中に1回だけ許される、隣国への旅行の時の様子である。

 日程を提出して許可をもらったが、JOCV職員は当然、唯一の公共交通機関であるバスで行く

ものと思い込んでいる。で、実はナイロビから国境をチャリで越え、キリマンジャロ山(5,895m)、

メルー山(4,565m)の登山、セレンゲティのヒッチハイク(国立公園内はサイクリング禁止なので)と

タンザニアを満喫しながら3週間、走行距離2,130km、我が家に続くビクトリア湖畔に到った。


 「国立公園内はサイクリング禁止」とはいえ柵があるわけじゃないので、チャリで走っていると

普通にシマウマやキリンを見かける。これは、メルー山登山後、一周している時の様子である。

遠くからキリンがゆったりと走ってくるので、『どうしよう』と停止したら、向うも『妙な奴がいるな』

と道の手前で信号待ち。

  “出会い頭にゆずり合って膠着状態”ていう、街角でよくある出来事のサバンナ版。

(こういう時って、種を超えて相手が何を考えているか、手に取るように分かるんですよね(^^;))

ラタナキリ

 ラタナキリは、カンボジア北部のベトナム国境沿いに広がる秘境である。好事家には「ラタナキリ・ブルー」と呼ばれる、美しい空色をした宝石の産地として知られ、東南アジアをうろつく海外コンサルとしては、一度訪ねてみたい所であった。

 しかし、その地政学的な位置からして、リスキーな場所であり、日本人コンサルに何かがあっては面倒なJICA(国際協力機構)は、どのようにそれらしくプロポーザルに書いても、ラタナキリへの立ち入りの部分は却下した


 この写真は、ASEANのインドシナ半島の観光開発プロジェクトで、ついにラタナキリを訪ねた時に撮った、道端の食堂である。途上国をよく知る人間には、何やら懐かしい光景だろう。

 このプロジェクトを安く請け負った会社側は経費節約のために、カンボジアには僕一人を送り込んだのである。日本大使館も、ASEANのプロジェクトであれば、そう厳しくは立ち寄り先をチェックしない。

 晴れて自由の身になった(←仕事はどうした!)僕は、嬉々としてメコン河のボートと乗り合いトラックを乗り継ぎ、丸二日かけてラタナキリに入ったのであった。