今のTACOSは、もー手が付けられないくらい異常に強いらしい。『激TACOS』とプログラム名を変更するんじゃないかという勢いがある。第15回選手権では決勝まで進んで6位だが、今は24のR換算で2500には達しているのではないかと思える程の怖い存在だ。


謎電にとって好敵手とは既に言えない雲の上の存在になりつつあるTACOSだが、7年前の第9回デビュー当時は一次予選すら突破できない程度でしかなく、私の印象では、計算機将棋に興味がある学生が趣味で作ってる、というものだった。しかしながら第13回選手権頃に大ブレイクしたのにはちょっと驚く。トータルの順位を見れば、第9~12回の4年間は謎電にアドバンテージがあったが、第13回で一気に追い抜かれてしまったのである。


さて、ここで謎電の過去の栄光を自慢することにする(笑)


TACOSと謎電の初対局は、非常に印象深く良く覚えている。TACOSが初めて一次予選を突破し、二次に現れた第11回選手権の時の事だ。その二次の最終戦(9戦目)、その時点でTACOSが1勝6敗1分、謎電が2勝6敗と最下位を争っている状況。その差が0.5ポイントしかなかった。因みに当時、私は飯田先生を良く知らず、そもそもお顔を存じておらず、背広を着ていらっしゃったので、正直「どこのオッさんか?」と思っていた[*1]


対TACOS戦が始まる時、そのオッさんに「一局教えて頂けますか?」と挨拶されてしまった時には、「いえー、教えるって程のものではないですよ、私のプログラムは」と返したのだが、「いやいや、謎的電棋さんは先輩ですから、是非教えてください」と繰り返されるので、一次突破組にそれほど負ける気がしてなかった私は、「判りました、0.5勝差がどれだけ大差であるかをお教え致しましょう」とトンでもない返事を本気で言ってしまったのであった(実話)。


恐らく、飯田先生もこの返答にはビックリされたのではないかと思う。でも、何故か負ける気がしなかったんですよ、なんとなく。 といったことがありながらも、対局中はオッさん同士でその将棋の話が弾むわけで、左図は、76手目に謎電が▽38銀と指したところ。そう、この時であった。そのオッさんの口から、次の一言が飛び出る。


「この手は専門的に観て損だな~」


なんと、職業棋士独特の云い回しが。無論、この時のオッさんがプロ棋士だと知らない私は、この言葉の意味をちょっと考え込んだ。非専門的に見ても駒の働きが悪く疑問手に見えるし、口癖なのかな~、とか呑気に思っていた。結局真相は懇親会の時まで知ることなく、局面は進んでいったのだった。


結果この将棋は、その年の選手権二次最下位を謎電がTACOSに譲った一局となった。人間として、いや計算機として、譲り合う心の大切さを知った、貴重な対局ではなかったかと思う。


TACOSとの対局はこの一局だけである。実力が大きく異なるとなかなか当たらないのだが、出きれば来年あたり、もう一度対局したいと思っている。その為には私の方が相当努力しなければならない状況になっていることは言うまでもない。


[*1] なお、飯田先生と私は同じ年の生まれである。従ってどっちもオッさんなのだが、どっちかというと私の方が若く見えるよね、ね、ね。