私の母の実家は釜石の市街地から離れた
「室浜」という小さな集落です。
「本家」になるので、親戚が集まる場所でした。
数百人しか住んでいなかったのではないでしょうか。
親戚の半分以上が「室浜」に住んでいました。
母は、震災から始めて室浜に行きました。
道路が遮断され、徒歩でないとたどり着けなく危ないためです。
5月5日に、母と私と兄二人、年齢の大きい甥っ子と行きました。
車が通れないため、車を停めて徒歩で行きます。
20メートル位でしょうか。
高台の道路まで波が上ったようです。
すべてが飲み込まれたのだと、ひと目でわかりました。
山火事もおきました。
この高台を道路を下から見上げると↓
かなりの高さである事がわかります。
中学の時、クラスのみんなでお泊り会もしたっけ。
盆踊りでは、母が仮装して出たっけ。
室浜には防空壕がいたる所にあって、よくかくれんぼして遊んだな。
自分が生まれ育った地を、ゆっくり歩く母の姿。
母の姿に涙が出ました。
数年前に建てたばかりの、従兄弟の兄ちゃんの家は基礎が残っていました。
玄関先にいた犬のクロは、数メートル先でみつかり埋葬しました。
赤旗は、解体希望です。
解体・・・・と言っても、何も残ってないのですが。
室浜は、もう誰も住まないだろう・・住めないだろうと言われています。
釜石の市街地と比べると、あきらかに人の手があまり入っていない事がわかりました。
ペットの死体などが、いたる所に見えるようにそのままなんです。
思わず、目をそむけてしまう場面が沢山ありました。
室浜の人達は山に逃げて、一夜を越したそうです。
住民は漁師が多く、私の祖父も漁師でした。
すべてを無くし・・・絶望の中にいます。
釜石や宮古・大船度などTVによく出てくる地の漁港は
国からも助けられるでしょう。
ですが、室浜のような小さな集落の漁港は絶望的です。
そしてこのような集落は、岩手の三陸海岸だけでも数十とあります。
TVにも週刊誌にも、一度も名前が出ない町・村。
沢山沢山あります。
どこも全滅です。
仮設など建てる所はありません。
生き残った人は皆、遠く離れた避難所にいます。
途方にくれています。
今回の震災は広範囲で、すべての実態を把握するのは無理なのでしょう。
ですが、悲痛な叫びが届けられない事、届かない事・・・・
被災地でも格差が大きく、前に進めない方々がいっぱいいらっしゃいます。
その事を知ってるのに、何もできない自分に悔しさを感じます。
室浜が無くなっちゃうなんて・・・・・
自分の大切な場所が消えるって・・・・
思い出の場所が一瞬にしてゼロになった・・
この感覚は味わった人にしかわからない事でしょう。
自分の知っている過去がどこにもないという現実。