ふと、昔のことを思い出してました。
ツインソウルとのことで悩んでいる時って、日常の全ての出来事の中での自分の気持ちを見ていくと悩みの原因がわかるんだけど、ついツインとのことだけをどうにかしたい、そう思ってしまうようです。
ツインソウルとの関係について知りたい、どうしたらいいの?とか、またお仕事や、健康、人間関係においてもそうですが、悩みは違えどその悩みの部分だけをどうにかしようとしてもビェ──・゚・(。>д<。)・゚・──ン!!無理なんです…。
自分の好きなことをしながら楽しく過ごすと一時的に楽になるかもしれないし楽しく過ごし続けることも出来る。
でも、本心からは逃げられない。
それは、どんな楽しみでも悩みでも体験するのは自分自身。
その自分が人間関係を体験し、その自分が人を好きになり向き合う。
自分が健康について体現してるし、他の誰とでもなく、この自分自身とは常にいつも一緒。
その自分がツインソウルと向き合うとか、その自分が職場にいき仕事をして他の人との関係を築いていくわけです。
楽しくても悲しくても自分とはいつも一緒。
自分の本心から目を反らす方法は沢山あるけど、いつか自分の本心と向き合うことになるんですよね。
人の体験を自分に照らし合わせて見るとわかることが出てきたりしませんか?
誰かの実体験を聞いたままにするだけじゃもったいない。
誰かの実体験をキッカケにして自分に照らし合わせてみるんです。
そうすると、何かが浮かび上がってくる。
ということを私はしてきたので当時の自分の心の動きの体験を書いてみます。
本心にうっすら気がついているのに回りを気にしていたり、また悪く思われたくなくて自分を我慢させている同士へのエールを込めて。
ふと思い出してました。
長男を出産したときのことや、長女や次女を出産したときのことを思い出してました。
前の結婚で元義理母と同居していたことや、主婦していたことや色んなことを。
あの時、あの当時を思い出すとツインソウルとか運命の出会いとか、魂からのメッセージがあるのに耳を傾けることを忘れていたなぁって思う。
でも、何かが違う、何か忘れているような、何かスッキリしなくて、楽しいはずの日常も、今その瞬間を感じられず、不足感に意識のライトを照らしていたあの時を思い出していました。
自分の体験するであろう予告編って人は沢山見てる。
でも自分に起こって欲しいことには、夢物語のようなことだって取り消したり、ドラマみたいなことはまさかそんなことが自分の人生に起こるはずがない、なーんていう考えをしがち。
むしろ、不安や起こって欲しくないことを常な考え、イメージし、意識のライトを照らしてしまっていたりするの。
不安や心配は出てきてしまう、考えないようにしても無理、まずは、気づくだけでいい。
自分の本当の気持ちを無視していることにも自分で気づけないままにして。
だから魂の底からは、本心がガンガン突き上げてくるなんで聞いてくれないの?と言うかのような悲鳴に近い叫びが。
昔の自分の思いを思い出しながら、今の視点から当時の自分に気持ちを合わせて見てみました。
そして客観的な視点で自分の当時の生活での思いをドラマを見るように見ていくと?
孫のことについて、夫のことについて、いちいち口を挟んでうるさい義理母とのことを思い出した。
勘違いしまくる義理母に嫌悪感を抱いている自分がいました。
同居はしたくない、別居したいのに本当の気持ちを我慢させている自分がいたんです。
でも、回りの人、つまり当時の夫や当時の義理母の気持ちを優先してしまう自分もいました。
義理母は一人になってしまうから今さら別居したいって言ったらどんなに傷つくだろう?寂しいだろう?
と考えすぎてしまう自分がいる。
そして、同時に同居を解消したいのに、冷たい女性だとか、悪く思われたくない、そういう自分もいました。
そして客観的な視点で当時の自分の生活での思いをドラマを見るように見ていくと?
本当の思いがあるのに、そこに出てきた思いに蓋をする。
そして本心に気づかないようにして自分に我慢させて平気なふりをして生活していました。
本心は義理母と暮らしたくない。自分と夫と子供達だけで暮らしたいのだから、でも、だけど、と 分離した考えからの気持ちが見えます。
義理母は一人になってしまうから今さら別居したいって言ったらどんなに傷つくだろう?寂しいだろう?
と想像して感じてしまう。
と同時に同居を解消したいのに、冷たい女性だととか、悪く思われたくない。
これって客観的に見ると自己犠牲です。
その中で自分に我慢させながら自分に折り合いをつけて楽しく過ごしても本心は突き上げてくる。
どっちの自分も自分。
なんだけど、そのままにすると、今の自分を見失ってしまう。
今現在の視点から見るとわかりますが、当時の自分は本心を見ないようにしていたんですよ。無意識に。
なぜなら、本心を見たら別居することが最善だとわかっていたから。
でも、できないじゃんとか、だけどそれするのって無理だよね?とか矛盾した分離した考えがあってハートに蓋をして❤️過ごしていたわけです。
本心が浮かんできたら黙らる。
出会った全ての人がそれぞれな挑戦したい課題にチャレンジしに地球に降りてきたり、またサポートする為にだったり、赦し合う為だったり、大切な同士であり仲間。その中でも心通い合わせられる人は同志ですよね。同じ志を持つ者同志。
元夫と私の関係は私からすると今でも本心に気づかせてくれるきっかけとなった大切な人です。
でも、当時はそんなふうには思えなかった。
私が自分の本心を無視し、我慢させ、当時の夫に八つ当たりしする思いがあったから。
あなたさえわかってくれたら?
あなたが気持ちをわかってさえくれたら我慢するのに、とか我慢が報われるのにと思ってましたから。
そして、本心を我慢させて過ごしていた当時の私は自分の個性や魅力や才能さえも見る余裕がなかったんです。
自分に我慢させ続けてしまう。
自分の本心が突き上げてくるのに何か楽しいことや新しいことを探して他の事で気持ちを満たしてやり過ごそうとする。
自分から目を反らす方が楽に思ってしまうから。
本心に気がついたらそのままじゃいられなくなる。
その中で自分の気持ちを大切にすることがなぜ?必要なのか?
だってどこに行こうと、誰と過ごそうと、不満であろうと幸せであろうと、そう感じる自分自身とは常に一緒だから。
当時の私の場合だと自分の気持ちを大切にせずに義理母とか元夫に気持ちを向けていたので、自分の気持ちが中心ではない日常です。
なので相手が気持ちをわかってくれないと恨みのような気持ちにもなるし、怒りにもなる。
また自分は悪く思われたくないからって自分の気持ちに蓋をする。
それはしたくてしていることじゃないから苦しくなるんです。
ここでやっかいなことは、自分が相手にわかってもらえないってことは不快だから気づくんです。
でも悪く思われたくないからって思いがあるってことにはなかなか気がつけないの。
誰に悪く思われたっていいじゃない、ってことなんだけど、なかなかそうは思えない。
それって数々の操作や世の中的な洗脳や、思い込みや罪悪感なんですよ。
前世も含めた記憶の罪悪感なんです。
自分以外の人の気持ち、大切に出来るあなたは素晴らしいよ優しいよ思いやりがあるよそれと自分の幸せは同時にあっていい。
自分以外の人の気持ちだけを優先させるのは?自己犠牲。
そうなると、人の気持ちを大切にしてるのにその人がわかってくれないと?悲しみや怒りがわいてくる。
でも自分の気持ちも大切にしながら、人の気持ちを大切にすると?
自己犠牲ではなくなるから自由。解放。
『また同時に、片方だけではないから、
自己犠牲的になってしまう、ということは、どこかで相手を自分の思い通りにしたいという欲求の裏返しでもあるんですね。』
白か?黒か?じゃなくて、白も黒も。
でも、相手が白か?黒か?で
白も黒もじゃないなら?
ここで自分が選択する必要は出てきますよね。
当時の私の結婚生活の中で自分の本心、自分の望む気持ちを知った時に、まず当時の夫に本心を話す必要が出てきました。
そして話しました。
気持ちは伝わらず、平行線でした。
でも考え方や思い、それは違うと言うことがわかったので、次に自分の気持ちをどうするのか?という課題が出てきて
お互いの夫婦の為なのか?
相手にとってだけ◎で
私にとってだけ◎なのか?
それとも相手にとっては◎で
私にとっては×、自己犠牲なのか?
また同じように自分の気持ちに向き合うんですが、矛盾した思いを1つに合わせる。
慣れてないと難しいって思ってしまいがちですが、意外にシンプル。
→それ、やってて楽しい? 楽しくないなら、その思いの中に自分の本心が隠れてる。
その思い、不安や悩みの中に本心を閉じ込めてる。
その後ツインソウルとの出会いが起こって大混乱が起こった私なんですが、今の視点から体験から言えるのは、それは、どんな楽しみでも悩みでも体験するのは自分自身。
自分が人間関係を体験し、その自分がツインに出会って向き合ってる。
その自分が健康について体現していて他でもないこの自分自身とは常にいつも一緒。
自分がツインソウルと向き合う。
その自分が開業したり、職場にいき仕事をして他の人との関係を築いていくわけで。
楽しくても悲しくても自分とはいつも一緒だから。
自己犠牲ではなく、自分を大切にするように目の前の人を大切な思いで接する。
すると自由、力がみなぎる、自己完結。
私の場合当時の結婚生活を見てみると自分の気持ちを大切にせずに悪く思われたくなくて夫や義理母にばかり気持ちを向けていた。
自分が我慢すればすむことだと。
ママ友や友人に対しても、レストランやカフェに行っても同じだった。誰に会おうと何処に行こうと同じだった。
それは自己犠牲だった
今の私の場所から振り返ってみれば、はっきりわかる。
でも、あのころ、その「モヤモヤ」の中にいた私には、何が起こっているのか?そして、本当の私の思いは?ということはまるで見えてこない。
そんな苦しさの中でした。
その思いが中心となって日常を生活していたから何かが間違えているというモヤモヤした感じが続いていたのだった。
自分を我慢させるのはやめる。
他の誰にどう思われても
誰がなんて言おうと、自分が自分の味方になってあげる。
プリマリア☆
にほんブログ村
↑↑↑「ぽちッ」とお願いします。
にほんブログ村
『ソウルメイト・ツインソウル』
ランキング、参加しています。
いつもポチっとありがとうございます8(*^^*)8