今日は何の日ふっふ~

9月終わりのフタリです。




2011年があと一時間で終わります。


切迫早産で入院のまま年越しで始まった今年。


3月の出産、育児、育児、育児、育児・・・


で終わっていく感じです。


自分のことは後回しな感じでしたが、夏あたりから


2人で出かけることも多くなり、森本ケンタ くんのCD


リリースライブがあった福山ロッツ、防府イオンタウン、


横川カジル、アルパークツリー点灯式ライブに一緒に


行ったり、倉敷の三井アウトレットモールに行ったり、


ちょこちょこ買い物に行くことができるようになってきて


パパ抜きでお出かけ楽しんでます。


また、11月には実家に預けて大泉洋ワンマンショーって


いうのを友達と観に行きました。病院へ行くのに数時間


~半日預けることはあったけど朝から晩まで預けて出か


けたのはそれだけかな・・・


9か月になり体重は11キロを超えホンマ大きくなりました。


まだ、自分で立ったり、はいはいしたりはしないけど、目が


離せない感じになってますあせる


今、困っているのは噛むことです。服を噛むんですが、薄い


服だと腕とか噛まれるのです。上下2本生えているのでガブっ


と手加減なしでやられるのでホンマ痛い・・・ダンナちゃんは


血がにじんでました叫び


こんな感じで息子と私は元気に過ごしてます。




しんのすけ(ちわわ)は、息子にたたかれたり、けられたりすると、


息子の手を噛むことがあるけど甘がみのようです。1人っ子じゃな


くなったので息子にやきもちを焼いているけど、息子のことは嫌いじゃ


ないようで、隙あらば手とか足とか舐めたり、息子の近くでくつろいだり


することが多くなりました。


そんな感じの近況でした。



ではあと12分ばかしで2012年です。良いお年を!!






母乳が満足に出ないのでほぼミルクで育てているので


生理が1年来ないとか・・・はないだろうなあって思ってたけど、


5カ月にしてきてしまいましたダウン


寝かしつけやぐずる時に吸わせると寝たり機嫌が直ったり


するので重宝しているので出なくなったら困るなって思って


いるのですが・・・ネットで調べると出なくなることはないそうな


んだけど。


でもねえ、PMSでいつもつらいので本当は生理は1年くらい来なくて


よろしい!って思ってたのに・・・


がっかりしてますガーン


あと、結構出血が多いです。びっくりです!




今日は何の日ふっふ~

先月、妊娠までのことについて記事にした時は、覚えていることだけを


書いてみたけど、卵のグレードとかどうだったんだろうとか気になって


ファイルをひっぱりだしてみた。




採卵数13個、受精卵9個、胚盤胞3個と前回書いたけど、分割胚数6個、


胚盤胞4個ってなってたはてなマークっで、凍結胚数3個ってなってた。1個は凍結


できるようなものじゃなかったんかしら・・・覚えてないよ・・・


グレードは4BB2個4BC1個だった。




私が行ってた県病院では研究のため、受精率を高めるという


精子分離方法(スパームソーター)や、受精率を高めたり胚盤胞到達率を


上げる培養法(メカニカルストレス負荷培養法)を行っているので、説明を


受けて副作用とかないし、費用が増えるわけではないから臨床に同意した。


結果的に受精率、胚盤胞到達率が良かったのか普通なのか・・・?思い出しても


「まあこんなもんでしょう」みたいなことを言われたぐらいで・・・




移植は3個の中で良い胚盤胞を。4BBのを1個。報告書にはレーザーによる


孵化補助の施行有になってたのアシストハッチングをしてたんだね。



「なんで県病院なの?土日休みだから不便でしょ」って言われることがあったけど、


不妊治療って、この日は仕事休みだから病院行こうとかできないよね。生理3日目


に来てくださいだとか、排卵したら予約入れるとか・・・なので全然問題なしだった。


結果的に甲状腺の数値が悪くて、内科で検査を受けて橋本病だとわかって治療を


受けることができたので総合病院でよかったと思ってます。そもそも地元の総合病院


から紹介されたのが県病院だっただけなんだけど。


もちろん、広島には不妊治療専門のクリニックもあるし、力を入れてる産婦人科も


あるので希望すれば他の所を紹介してもらえたんだけど、どこがいいとかわからな


かったので・・・


私にとって良かったよ県病院。でも予約オンリーなのにめちゃくちゃ待ったよ汗


あと2個愛しの卵ちゃんが凍結されて待っていてくれてる。


迎えに行けるかな・・・


今日も暑かったですね。広島も明日は雨が降るようなので


涼しくなればいいなあ・・・





帝王出産だったから悪露とかどうなんだろ?って思ってたら、


普通に出るもんですね。病院でもらったパンツ型のナプキンを


何度か換えてもらいました。バルーンが入っていたのでトイレに


行かなくて良かったので目が覚めるたびペットボトルの水を


飲みまくっていました。


次の日、早速4人部屋へ移動。母子同室なのでにぎやか音譜


バルーンを抜かれたので看護師同伴でトイレに。恥ずかしい・・・


てか、傷も痛いけど子宮が収縮している方が痛かったな。


昼から、授乳のやり方を学ぶ。乳首をつまむと、黄色い初乳が


出てきた。でもまだ少し。息子くんに乳首をくわえさせるのが


ひと苦労・・・ハァハァ


3時間ごとの授乳のはじまりですあわわっ。


やはり、傷の痛みより子宮の方が痛く痛み止めを飲む。


夜中には、うなるほど痛み、座薬の痛み止めをいれてもらった。


同じ日に帝王切開で産んだ人はそんなに痛くないみたい・・・


なぜだ???


痛いけど、授乳、おむつ替え。つらかったな。


3日目も痛む。診察の時言ってみるも問題なし。


その夜・・・急に寒気に襲われるショック


体温をはかると、40度!!


毛布追加だけでは寒く、電気毛布までかけてもらう。


血液検査をすると感染が起きているような内容はてなマーク


座薬を入れて熱を下げる。息子くんは新生児室に預けて寝る。


次の日から抗生剤の点滴を1日3回。


でも熱が出る。熱が出ると息子くん連れて行かれるので


寂しい。でもゆっくり寝れる。てか起きる力もない。


本来の退院の日、よくならない私は延長・・・で、


糖尿病患者は手術などの時傷の治りが悪く縫っても


傷がつかない。妊娠糖尿病でも同じ。もしかしたら、傷のせいで


熱が出ているのなら、傷を開いて洗ってきれいにしたら治まるので


傷を開いてみましょう・・・みたいなことを言われ、糸を切りました。


傷は全くついていなくて、糸を切ると開いていきました。見てないけど


先生が教えてくれたよ。


毎日傷を洗浄して、ぬれたガーゼをあてておくだけで肉が盛って傷がふさがる


からがんばりましょうって・・・・


おなかに穴開いてるやんあせる怖いやん。


でも、その甲斐あって感染か?と思われる数値も良くなり、傷も落ち着いてきた


から今週末退院してもいいよって言われ浮かれていたら・・・


また高熱叫び血液検査の結果も悪く、抗生剤の点滴復活。


こんなこと繰り返しながら3週間入院しました。


新生児室にいる息子くんは4キロを超え、新生児用のベッドが狭そうで


かわいそうだったな。どの赤ちゃんも、新生児らしくかわいく泣いているのに、


息子くん育っているから、すごい大きな声で泣いてたuwa-n!*


最後の週2人部屋を1人で使用させてもらえたのは


たぶん、うるさかったんだろうなあせる



傷ですが、毎日シャワーで洗い、ぬらしたガーゼを貼るだけだったけど、


2ヶ月くらいで埋まりました。4ヶ月経ちましたが、まだ痛むし、かゆくもあり


妊婦の時はいてたショーツが傷を覆ってくれるのでちょうどいいです。


お母さんは、傷が残ってかわいそうにとか言うけど、なんともないの。


なんだろうね誇らしいような、がんばったしるしというか・・・まあ、無事に


生まれたからどうでもいいのです。




今日は何の日ふっふ~











快適な実家生活から我が家に戻ってきました・・・



早く産みたい・・・大きくなったらしんどいし、やっぱ主治医の先生に


とりあげてもらいたいって思いながら3月も後半焦ってました。


なにかしないとって、しんのすけと長めの散歩に行ったり、


階段を上がったり下りたり・・・


なにも起きないまま就寝時間。布団に入ったけど寝れなくて・・・


何かできることがないかと考えてて、ぞうきんがけをバックですると


出るよっていうのを助産師さんに聞いてたのに試してなかったので、


布団の上で、エアぞうきんかけ雑巾


布団を何往復したかは覚えてないけどぐったりして寝ました。


明け方、なんとなく目が覚めると、パンツとか冷たいy’s


破水か?おもらしじゃないだろうし・・・どうしよー電話してみようかー


4時過ぎかーどうしよー量が少ないし・・・悩む。


とりあえずダンナちゃんを起こす。


結局5時に病院に電話をして4時くらいに少し破水したっぽいけど、


お腹はあまり痛くないと伝える。6時まで様子をみることになる。6時にまた


電話をする。破水は4時以降なし、お腹が少し痛くなって10分間隔になった


ことを伝えると、7時に病院に来るように言われる。朝食を食べて仕度をして


病院へ。念のためでっかいナプキンを二枚して。


救急の方の入口から入り、歩いていたら急に強い痛みがうっ。。。


でもまだ歩けるくらい。ここでザバーンっと破水波


産婦人科病棟に上がると3ヶ月の入院生活で仲良くなったみなさんが迎えてくれてうれしくなる。


さっそく、当直の先生に内診してもらうと・・・


「もう8センチ開いてて髪の毛に触ったよ!!


とびっくりしてた。っで、陣痛室には行かず、そのまま分娩室へ。


まだ、あんまり痛くないしーって余裕でいたら急に激痛がイタイ2


助産師さんに呼吸法を教えてもらって、ダンナちゃんは坐骨のあたりを


マッサージするよう指示されて・・・てかダンナちゃんは立ち会うのが


怖いので(血が苦手)、


「どのタイミングで出たらいいですか?」


って聞いてるし・・・むかっまだやっちゅうねんむかっ


あー痛い、おー痛いと思いながら冷静に耐えてると、


主治医の先生到着。今日は外来の日なのにありがたいなー


って思う。


もーおしりが痛いわー痛い



お腹じゃなくておしりが痛くて痛くて・・・


ダンナちゃんは私の坐骨あたりを押しまくっていいかげん手の痛みが


限界を迎えてた・・・汗


マッサージは効いて、なかったらもっと痛かったかも。


何回目かの内診で全開!!


いよいよアップいきむ。ダンナちゃん退室やれやれ


「もっと足開ける?」


と言われたが開けない・・・もともと体がかたいのと、


股関節がゆがんでて開きにくくなっていたのです。


ということで、仰向けではなく、よつんばいで腕立てをするように


いきむ腕立て伏せいきむ腕立て伏せいきむ腕立て伏せ


下りてこないのでスクワットをさせられる・・・つらかった・・・


2時間くらいその繰り返し・・・もー痛みと体力が限界なのとで


体が震えてた・・・3ヶ月寝たきりで体力も筋力も落ちていたんでしょうねえ。


もー切ってくれ・・・心で必死に願ってた。


ダンナちゃんが呼ばれ、


「破水からの時間と、胎児の心拍が少し下がってきたので切って出しましょう。」


主治医の先生がやっと言ってくれましたあせる


麻酔科の先生が来て説明したり、剃毛したり、きっついソックスをはかされたり。


陣痛の間隔が短くなってるので、じっとしているのがムリ無理


早く麻酔してくれーと言いたくて言いたくて・・・


で、手術の準備が終わって呼ばれるまでの長いこと長いこと・・・


時間がかかりそうだったからお互いの両親は呼んでなかったけど手術ってことで


急いでダンナちゃん電話。


いよいよ手術室へ移動。て、3階から2階へエレベーターで移動するだけなんだけど。


でも、陣痛がくると、いたたたーってなるので注目されまくり。


手術室の前でダンナちゃんや、助産師さんとしばしお別れ。(あ、1人助産師さん


立ち会ってくれました。)


ストレッチャーに乗り換えて一番奥の手術室へ。てかここで、車酔いみたいになるあせる


手術台に横付けされて移る。陣痛が来たので正座してしまう。手術台が意外に狭く


オペ室の看護師さんたちに心配されるあせる


先生たちの準備が終わってやっと麻酔。もうじっとできん。正座したーいと思いながら


動かないよう耐える。


さっきまで苦しんでた陣痛が無くなって元気復活チョキ


あとは切って出てきてもらうだけ。


麻酔科の先生が、


「1975年生まれ?カープが優勝した年じゃね。」


とか雑談してリラックスさせてくれた。


「緊急だから縦に切るからね。」


主治医の先生が言ったけど、横でも縦でもどっちでも良かった。


もう、ビキニとか着る年じゃないしね。


「もう出るよー」


って言われた後、


赤ちゃんの泣き声がしました。


血だらけかと思っていたら、ぜんぜんそんなことない。


助産師さんと、小児科の先生が処置をして、いよいよ私のところに


赤ちゃんがやってきた音譜


いろいろ言いたかったのに、


「でかいですねえ」


と思わず言ってしまった汗


フニャフニャ言ってる息子はふやけた顔で、髪はふさふさ。


腕や足にへその緒が巻いていて出てこなかったとのこと。


無事生まれてきてくれてありがとうあかちゃん


もー感動したーうるうる


で、全身麻酔をしたのに、寝ないまま傷を縫い手術終了。


手術室を出たら、ダンナちゃんや、両親がいて笑顔笑顔でほんま良かった。


産婦人科病棟へ戻る時、主治医の先生が、


「実は診察が今日までだったんですよ。心残りだったので安心しました。」


って言われたので、もーうれしさ倍増。間に合ったーって感じ。


病室へ帰る前に新生児室の息子を 横になったまま見せてもらう。


3320グラムあったので保育器が狭そうだった。


帝王切開した日は個室なので家族とゆっくり過ごした。麻酔が効いて


いたので、まだまだ元気だった。この日までは・・・


つづく