土曜雑感 「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」④
4月27日(土)
「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」(ナンシー・フレイザー著 江口泰子訳、ちくま書房)の「序章」に続き、本日は昨日に続く終章「マクロファージ」――共喰い資本主義の乱痴気騒ぎから抜粋します。パンデミックが「資本主義の構造的矛盾をすべての人の前にさらけ出した」と述べています。
人間の生死の問題より「価値の法則」を重視する社会システムは、新型コロナウイルス感染症に際して、最初から膨大な数の人間を見捨てる構造だったのだ。だが、事はそれだけではない。すでに脆弱だった公的システムの崩壊は、社会的再生産を中心とする別の構造的矛盾と合流した。
近年、資本主義はその主食であるケア労働を喰い尽くしてきた。公的ケアのインフラを維持する責任を逃れた金融資本主義体制はまた、組合を破壊し、賃金を押し下げた。そのため世帯は賃金労働時間を長くとらざるを得なくなった。
ロックダウンの下、子どもの世話と学校教育が家庭に入り込んできて、その負担を保護者が負うことになった。外で働いていた多くの女性は、次の四つのグループに分かれた。最初のグループは、子どもや家庭の面倒をみるために仕事を辞めざるをえなかった。
次のグループは、レイオフの憂き目に遭った。どちらのグループも、たとえ仕事に復帰できたとしても、もとの地位を失い、収入は回復しなかった。三番目のグループは、幸運にも仕事を維持でき、家庭でリモートワークをこなしながら、登校できない子どもの世話などのケア労働が重くのしかかり、複数の仕事を前に目がまわる忙しさだった。
四番目のグループは、性別にほとんど関係なく敬意をこめて「エッセンシャル・ワーカー」(日常生活を維持するために不可欠とされる仕事に従事する労働者)と呼ばれたが、わずかな手当で使い捨てのように扱われた。
いずれの場合も、パンディミックで膨れ上がった社会的再生産労働は、ほとんど女性に押しつけられた。だが、女性がその四つのどのカテゴリーに属するかを決めるのは、階級と肌の色だった。構造的な人種差別は、現在の金融資本主義体制はもちろん、資本主義のどの発展段階においても中心的な役割を担った。
国家的なレベルで言えば、肌の色は危機の政治的および社会的生産の要素に影響を与える。多くの国において、人種差別される人々は手頃で質の高い医療、清潔な飲み水、栄養素の高い食事、安全な労働条件や生活条件といった、健康増進のための条件を認められなかった。
全体的な資本主義システム、とりわけパンディミックの時期において、肌の色は階級と深く結びついていた。実際、肌の色と階級とは切っても切れない関係にある。「エッセンシャル・ワーカー」を見れば明らかだろう。
しかも圧倒的に有色人種の女性が多い。これらの仕事と労働者は金融資本主義の労働者階級の象徴だ。彼らは再生産費用を下まわる額しか支払われず、搾取されとともに収奪される。新型コロナウイルス感染症は、そのような不名誉な秘密までも暴露してしまった。
このように、新型コロナウイルス感染症は資本主義の不正義と不合理が爆発的に噴き出した、
まぎれもない乱痴気騒ぎだ。資本主義システムに本来備わった欠陥を最大限にまで悪化させることで、社会の秘められた場所に、突き刺すような鋭い光を当てる。
パンデミックは、資本主義の構造的矛盾をすべての人の前にさらけ出す。資本に内在する衝動は、地球が熱球と化す寸前まで自然を貪り喰おうとする。その衝動はまた、社会的再生産という真に不可欠な仕事に必要な能力を、私たちから奪い取る。
人種差別される人々の富をとことん食い尽くし、その健康を喰い荒らす。労働階級を搾取するだけでは飽き足らず、収奪しようとする。社会理論の教訓として、これ以上の例は望めないだろう。その教訓を社会の慣行や行動のなかでうまく活かせるか。
資本主義という野獣を、どうやって飢えさせるのか。共喰い資本主義を、どうやってきっぱり葬るのか。その方法を考え出す時期に来ている。