土曜雑感 「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」④

 

4月27日(土)

 

「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」(ナンシー・フレイザー著 江口泰子訳、ちくま書房)の「序章」に続き、本日は昨日に続く終章「マクロファージ」――共喰い資本主義の乱痴気騒ぎから抜粋します。パンデミックが「資本主義の構造的矛盾をすべての人の前にさらけ出した」と述べています。

 

人間の生死の問題より「価値の法則」を重視する社会システムは、新型コロナウイルス感染症に際して、最初から膨大な数の人間を見捨てる構造だったのだ。だが、事はそれだけではない。すでに脆弱だった公的システムの崩壊は、社会的再生産を中心とする別の構造的矛盾と合流した。

 

近年、資本主義はその主食であるケア労働を喰い尽くしてきた。公的ケアのインフラを維持する責任を逃れた金融資本主義体制はまた、組合を破壊し、賃金を押し下げた。そのため世帯は賃金労働時間を長くとらざるを得なくなった。

 

ロックダウンの下、子どもの世話と学校教育が家庭に入り込んできて、その負担を保護者が負うことになった。外で働いていた多くの女性は、次の四つのグループに分かれた。最初のグループは、子どもや家庭の面倒をみるために仕事を辞めざるをえなかった。

 

次のグループは、レイオフの憂き目に遭った。どちらのグループも、たとえ仕事に復帰できたとしても、もとの地位を失い、収入は回復しなかった。三番目のグループは、幸運にも仕事を維持でき、家庭でリモートワークをこなしながら、登校できない子どもの世話などのケア労働が重くのしかかり、複数の仕事を前に目がまわる忙しさだった。

 

四番目のグループは、性別にほとんど関係なく敬意をこめて「エッセンシャル・ワーカー」(日常生活を維持するために不可欠とされる仕事に従事する労働者)と呼ばれたが、わずかな手当で使い捨てのように扱われた。

 

いずれの場合も、パンディミックで膨れ上がった社会的再生産労働は、ほとんど女性に押しつけられた。だが、女性がその四つのどのカテゴリーに属するかを決めるのは、階級と肌の色だった。構造的な人種差別は、現在の金融資本主義体制はもちろん、資本主義のどの発展段階においても中心的な役割を担った。

 

国家的なレベルで言えば、肌の色は危機の政治的および社会的生産の要素に影響を与える。多くの国において、人種差別される人々は手頃で質の高い医療、清潔な飲み水、栄養素の高い食事、安全な労働条件や生活条件といった、健康増進のための条件を認められなかった。

 

全体的な資本主義システム、とりわけパンディミックの時期において、肌の色は階級と深く結びついていた。実際、肌の色と階級とは切っても切れない関係にある。「エッセンシャル・ワーカー」を見れば明らかだろう。

 

しかも圧倒的に有色人種の女性が多い。これらの仕事と労働者は金融資本主義の労働者階級の象徴だ。彼らは再生産費用を下まわる額しか支払われず、搾取されとともに収奪される。新型コロナウイルス感染症は、そのような不名誉な秘密までも暴露してしまった。

 

このように、新型コロナウイルス感染症は資本主義の不正義と不合理が爆発的に噴き出した、

まぎれもない乱痴気騒ぎだ。資本主義システムに本来備わった欠陥を最大限にまで悪化させることで、社会の秘められた場所に、突き刺すような鋭い光を当てる。

 

パンデミックは、資本主義の構造的矛盾をすべての人の前にさらけ出す。資本に内在する衝動は、地球が熱球と化す寸前まで自然を貪り喰おうとする。その衝動はまた、社会的再生産という真に不可欠な仕事に必要な能力を、私たちから奪い取る。

 

人種差別される人々の富をとことん食い尽くし、その健康を喰い荒らす。労働階級を搾取するだけでは飽き足らず、収奪しようとする。社会理論の教訓として、これ以上の例は望めないだろう。その教訓を社会の慣行や行動のなかでうまく活かせるか。

 

資本主義という野獣を、どうやって飢えさせるのか。共喰い資本主義を、どうやってきっぱり葬るのか。その方法を考え出す時期に来ている。

 

 

 

「全一学にたどりつくまで」(講演)

 

4月26日(金)

 

森信三先生提唱の「全一学」(日本的哲学)を理解するため、「全一学にたどりつくまで」の講演(昭和52年)から抜粋しています。本日は「ライプニッツの単子論は、西洋哲学史上ただ一人、この実在的生命の無尽性を把握した」と解説しています。

 

然るに形式的論理を過重視している西洋哲学史上名だたる人々すら、このような「個々円現」ともいうべき実在的生命の重々無尽性を充分に洞察し徹見し得たといえる人は、寥々としてその人無きかの感すら禁じ難いのであります。

 

この点に関しては、ギリシャ末期の哲人、プロチノスをしばらくおくとすれば、近世初頭に出現したスピノザ、ある程度この趣を解しえた哲人とは思いますが、しかし彼ほどの人ですら西洋の一隅にその生を享けたがゆえか、その表現形式は、哲学的洞察の深奥とは大よそ正逆に幾何学の形式に囚われたため、ついにこの重々無尽的な実在的生命の円現の相を充分には表現するに至らなかったのであります。

 

然るに彼に続いたライプニッツの単子論は、西洋哲学史上ただ一人、この実在的生命の無尽性を把握した人といってよいかと思われます。どうして西洋の天地に彼のような実在的生命の重々無尽的円相を把握した思想家が出現したのか、全く「奇蹟」としか思われません。

 

このような「奇蹟」に対する私の一つの見解は、このような実在的生命の重々無尽性を人類史上初めて開顕したのは、大乗仏教中その理論構造の最高峰とされる華厳の教学ゆえ、北京に派遣されたカトリックの篤学な宣教師によって仏訳されて持ち帰られ、それが何らかの機縁によってライプニッツの手に入った場合を想起することのみであります。

 

この大宇宙に遍満している真の実在的生命は、このように現前極微の一微塵の裡にも一々その円現の相を宿しているわけですから、真の「全一学」を身に体しようとする者は、いわゆる書籍堆理裡の囚人とは正逆に、わが眼前の一微塵にも、一々全宇宙的生命の円現の相を観じうるのでなければなるまいと思われます。

 

このように考えます時、われわれは初めて形式論理過重視の弊を脱して、いわゆる西洋哲学史上の諸家の中にも、真に自己の“いのち”の最奥処において共感しうるような哲学者を見出すことが容易でないのも、当然だということを徹見し証悟しうるかと思われるのであります。

「全一学にたどりつくまで」(講演)

 

4月25日(木)

 

森信三先生提唱の「全一学」(日本的哲学)を理解するため、「全一学にたどりつくまで」の講演(昭和52年)から抜粋しています。本日は「真の生きた真理というものは、実はわれわれを囲繞している人と物との中に内在している」と述べ、「諸々の理を透徹徹見して、対応を誤らぬことが肝要」だと述べています。

 

では何ゆえにこのようなことを言うかと申しますと、これまでの西洋哲学の場合には、「哲学者」といわれる人の多くは、霞でも吸っている人ででもあるかのように、自己を囲繞しているこの現実界の人と物については、ほとんど何も知るところがなく、ただカントやヘーゲル、ハイデッカーなどという西欧の人々の書物に、主要関心事は向けられているようです。

 

しかしそうした人々の書物をいかほど繙読してみましても、そこから一人の人間が、この錯雑極まりない現代社会の只中に生きていながら、もろもろの重圧に堪えつつ、何とかして自己の一道を歩き通すだけの光と力が得られると言えるでしょうか。

 

ではそれに対して真の「全一学者」というべき人は、如何にあるべきでしょうか。それには先ず「全一学者」その人が、自らこの現実界の重圧の唯中に生きつつ、それによって押しひしがれないで、天から自己に課せられた己が一道を歩まなければならないのであります。

 

しかもその為には「全一学者」自身が、一方からはこの錯雑極まりない現実社会のもつ根本性格を大観して、その本質を洞察徹見しつつ、他面つねに自己を囲繞している身辺の人と物との動的関連、並びにそこに作用している諸々の理を透徹徹見して、それへの対応を誤らぬことが肝要だといえましょう。

 

このようなことを申すのは、真の生きた真理というものは、実はわれわれを囲繞している一々の人と物との中に内在し、かつ具現しているのでありまして、したがってそれを無視ないし軽視するとき、その人には生きる真理のもつ真の消息は解し得ないからであります。

 

否、このように申すだけではまだ足りないのでありまして、われわれを取り巻いているもろもろの人と物との中には、もし真にこれを洞察し徹見する叡知があったとしたら、それらの中には全宇宙法界に遍満している絶大無限な円現の理法が宿っているはずであります。

 

「全一学にたどりつくまで」(講演)

 

4月24日(水)

 

森信三先生提唱の「全一学」(日本的哲学)を理解するため、「全一学にたどりつくまで」の講演(昭和52年)から抜粋しています。本日は「全一学」は個々の「人と物」に対し、十全たる認識を持つことが要請されていると説いています。

 

真の思想体型の表現は「理」の体系性こそが重視されるべきでありまして、むしろ形式論理に囚われて、“いのち”の展開様式の無力性に陥らないことこそ戒心すべきでありましょう。この点は道元の「正法眼蔵」を一瞥すれば、何人にも直ちに分明なはずであります。

 

さらに形式論理に固執する人があるとしたら、西田哲学の一論文を、形式論理の①大前提②小前提③結論という三段論法の形式によって、分解し解体してみるが良かろうと思います。その時初めて形式論理重視の弊を指摘する真意が了解されるかと思うのであります。

 

かくして来たるべき「全一学」体系においては、その学問的表現の手法としては、直観と理ないしは理法と論理との相即性が重視されるべきだと言えましょう。もちろん直観と理法とのうち、強いて何が重視されるべきかいえば、もちろん理ないし理法であります。

 

それは「全一学」もまた学問の一種として、何よりも体系的でなければならないからであります。否、「全一学」こそ真に最勝義における“学”の全一的表現として、真の“いのち”の円現の体系性を具備すべきだと考えるのであります。

 

以上によって「全一学」の基本的性格について、一応は尽くしたかと思われるのでありますが、ひとたび却下を照顧する時、今一つ重大な点を看過しえちたことを痛省せずにはいられないのであります。それは現実界の最下の基盤面の重視ということであります。

 

もしこの一事を閑却したとしたら、いかに「全一学」の意義を力説してみましても、結局それは紐の切れた軽気球のようなものだと言えましょう。ここに「全一学」の基盤として現実界最下の基盤に対する認識の要を力説するのは、そもそも何故でしょうか。

 

ここで現実界最下の基盤に対する認識は、如何なるものかと申しますと、結局は「人と物」といってよいのであります。真に生きた具体的な全一的体系というべき「全一学」は、個々の「人と物」に対し、十全たる認識を持つことが要請されているが故であります。

「全一学にたどりつくまで」(講演)

 

4月23日(火)

 

森信三先生提唱の「全一学」(日本的哲学)を理解するため、「全一学にたどりつくまで」の講演(昭和52年)から抜粋しています。本日は「全一学」の表現は、西洋哲学とその趣を異にし、いのち”の本来相である円現の相を帯びるべきだと説いています。

 

道元の「正法眼蔵」は仏教的世界の古典ですから、もともと円現の相を示すに適したコトバが多く、その点では比較的容易だったともいえましょう。しかし、今日以後のいわば「開かれた世界観体系」としての「全一学」において、あのような全現円成の趣が果たして如何ほど可能かということは、ある意味で至難の業ともいえるでありましょう。

 

しかしながら、元来“いのち”そのものの本来相が“まどか”なる円相、すなわち円現の相だとすれば、真に“いのち”の本質を体認した「全一学」の表現は、一方からは学問的表現としての必然の制約として、一種の体系的表現でありながら、しかもそこに漂う「生」の趣は、“いのち”の本来相たる円現の相を帯びるべきだとは、むしろ当然のことというべきだといえましょう。

 

否、その趣をさらに申せば、かの葉末の露に宿る月影も、大海に映る月影も同じく月影であるというように、真の「全一学」においては、体系の全相自身が大円相を描くと共に、さらにそれぞれの部分的章節自身もまた、何らかの程度において一種円現の趣を帯びるべきだともいえましょう。

 

同時に今ひとつ力説したいものがありまして、それは真の「全一学」においては、それが体系的な学問の一種である以上、そこには理は絶対不可欠と申さねばなりませんが、いわゆる「論理」の過重視については、かなり慎重を要するかと思うのであります。この点から従来の西洋哲学と比べて、その趣を異にするものがあると申せましょう。

 

それと申しますのも、わが国現時の学問界においても、論理過重視の弊がないとは言えないと思うからであります。念のために明らかにして置かねばならないことは、ここで「論理」というのは、単に“理”または“理法”というものとは違い、いわゆる「形式論理」をその範型として予想している論理の謂いであります。

 

形式論理というものは、それに反すれば、形式上からは絶対に肯定し得ないにも拘らず、内容的には、同一の事象に対して、否定も肯定もできる「詭弁的性格」を持つものです。

「全一学にたどりつくまで」(講演)

 

4月22日(月)

 

森信三先生提唱の「全一学」(日本的哲学)を理解するため、「全一学にたどりつくまで」の講演(昭和52年)から抜粋しています。本日は「全一学」の体系は「円相」であり、その趣を古典の中に求めるなら道元の「正法眼蔵」だと述べています。

 

明治維新以後、西洋文明を全面的に移入しつつ、100年の歳月を経過しながら、今日なお西洋哲学に対してこの程度のことさえ、一般的には周知されるに到っていないのであります。

これひとえに世上自ら「哲学者」と称し、それによって衣食を支えられている人々の負うべき重大な責任かと思うのであります。

 

同時にまた私がその一生を西洋哲学の摂取と消化に捧げながら、今や人生の晩年に至って、ここに「全一学」への開眼に達せざるを得なかったゆえであります。以上甚だ不充分ながら「全一学」への希求が、いかにして為されねばならなかったか、並びに具備すべき基本的性格についてご理解いただけたかと思うのであります。

 

しかしながらこれだけでは不充分なのでありまして、「全一学」として一種の学問的体系であるためには、どうしても具備しなければならない「学」としての根本性格と共に、さらに西洋哲学との異同的関連について、今少し述べる必要があろうかと思うのであります。

 

第一に申し上げなければならないことは、「全一学」と名づけられる新たな学問は、そこに要せられるものは、何よりも“全一的体系”でありまして、今試みに喩えて申しますと、一種の「円相」を内具していなければならぬと思うのであります。

 

すなわち文字を用い、しかも概念的なコトバを用いながら、そこに宿る“いのち”の本質は「円相」を内具していなければならぬと思うのでありまして、この点への希求は、いわゆる「論理」を過重視して、ともすれば“いのち”の内実に乏しい西洋哲学に比べる時、そこには“いのち”の「円現」の趣がなければなるまいと思うのであります。

 

今その趣を強いて古典の中に求めるとすれば、道元の「正法眼蔵」を挙げたいのでありまして、円現の趣を具備しているという点では、古今の思想的典籍のうちでも、この右に出るものは少ないといってよいほどでしょう。

 

「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」③

 

4月20日(土)

 

「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」(ナンシー・フレイザー著 江口泰子訳、ちくま書房)の「序章」から本書のポイントを抜粋しました。現状の資本主義を「カニバル(共喰い)資本主義」と命名した筆者は、終章「マクロファージ」――共喰い資本主義の乱痴気騒ぎの最後で、「いかにして共喰い資本主義を葬るのか、その方法を考え出す時期に来ている」と警告しています。

 

本日は終章の「マクロファージ」(大食漢)――共喰い資本主義の乱痴気騒ぎから抜粋します。

 

本書の大部分を書き上げたのは、新型コロナウイルス感染症が世界的に大流行する前だった。

パンディミック始まる前の数年間、私は資本主義を拡張した概念について考え、公的経済の資本蓄積を可能とする、さまざまの「秘められる場所」を詳細に記すことに全力を注いでいた。

 

第2章から第5章までは、必要条件であるにもかかわらず認められてこなかった、資本主義の前提条件について一つずつ取り上げた。人種的な収奪(第2章)、社会的再生産(第3章)、地球のエコロジー(第4章)、政治権力(第5章)である。

 

どの章においても、みずからの存在基盤を構造的に共喰いしようとする社会秩序と、矛盾に満ち、危機を引き起こしやすい特徴を明らかにしようとした。その社会秩序は、人種差別される人々の富を喰い尽くそうとし、ケア労働者を呑み込み、自然をがつがつと平らげ、公的権力を骨抜きにしようとする。

 

新型コロナウイルス感染症の大流行は、そのような混乱のお手本のような例だった。まさに資本主義の機能不全が引き起こした正真正銘の乱痴気騒ぎであり、資本主義という社会システムをきれいさっぱり廃止する必要性を、疑問の余地なくあぶり出した。

 

その理由は自然について考えてみればいい。私たち脅威にさらしたのは、資本主義がみずからを支える基盤を、資本が貪り喰ったからにほかならない。つまり、地球の温暖化であり、熱帯雨林の伐採であり、この二つが組み合わさった結果である。

 

この二つのプロセスは、利潤を追求する、飽くなき欲望に突き動かされた資本が生み出した結果でもある。地球温暖化と熱帯雨林伐採の二つが、おびただしい数の種の生息地を破壊し、大量移動を引き起こし、かつて遠かった人間と生物の距離を縮めた。それが生物にストレスを与え、新たに病原体を伝播しやすい状況をつくり出した。

 

このような感染症は、自然を資本に委ねてしまった社会秩序の必然的な副産物である。生物物理学的な富をできるだけ速く、安く私物化しようという動機に駆り立てられるいっぽう、補充や回復の責任は負わず、利益を積み上げることしか頭にない者は、熱帯雨林を破壊し、温室効果ガスを吐き出し続ける。

 

新型コロナウイルス感染症は、どんな条件下にあっても恐ろしい影響を及ぼしたに違いない。

ところが、今回の影響が計り知れないほど悪化した理由は、資本主義社会の構造的矛盾に根ざした別の要因にある。それは新自由主義の時代に最悪のレベルに達していた。

 

つまるところ、この時代に資本が共喰いしたのは自然だけではなかった、公的権力も貪り喰っていたのだ。公的権力もまた、資本主義が常食とする不可分な成分である。特にこの40年は恐ろしいほどの凶暴性で呑み込んできた。

 

今回のパンディミックが発生するずっと前に、ほとんどの国は「市場」の要求に屈して、社会支出を削減していたのだ。公衆衛生のインフラと基礎研究もその中に含まれていた。致命用の備品を削減し、診断能力を形骸化し、調整・治療施設の規模を縮小していた。

 

公共インフラを弱体化させただけではない。国家の統治者は、重要な医療機能を、利潤を追求する供給業者や保険会社、製薬会社や製造業者に委譲してしまったのだ。これらの企業はもともと、公共の利益に縛られることもなければ関心もない。

 

いま、個人的にも集団的にも私たちの運命を決する、世界中の医療関連の労働力と原材料、機械類と生産施設、サプライチェーンと知的財産、研究機関と人材のほとんどを、そのような企業が牛耳っている。

 

 

 

 

「全一学にたどりつくまで」(講演)

 

4月19日(金)穀雨。

 

森信三先生提唱の「全一学」(日本的哲学)を理解するため、「全一学にたどりつくまで」の講演(昭和52年)から抜粋しています。本日は大学での「哲学概論」が自らの世界観、人生観を持つための講義としては無力かつ不適当だと批判しています。

 

もう一歩進めて「ではそうした一般的共通的な教養の上に、さらに『世界観、人生観』ともいうべきものが授けられているか」ということになりますと、何のためらいもなく「ノー」と答えざるを得ないのであります。

 

もっともこの点に関して、「そうした希求に答えるために、大学教育に“哲学”が課せられているではないか」という人があるかも知れません。しかし「哲学」と呼ばれているものは、いわゆる「哲学概論」と称されて、西洋哲学史上の主要な学説を解説するに過ぎません。

 

したがって将来哲学を専攻し、それによって衣食も支えられるという専門家を養成する最初の入門的手引きとしてなら、決して無意味ではないといえましょう。しかし大方の学生は官界や実業界など各種の職業に従事する学生に対して、自らの世界観、人生観を持たせるための講義としては、甚だ無力かつ不適当といってよいでしょう。

 

このように明治以降の大学卒業生は、一般的にはかなり高度の知的教養は身につけながら、それを一個の世界観、人生観として統一するような教育は、ついに学ぶ機会に恵まれなかったといってよいのでありましょう。

 

そえだけに、心ある人々はそうした希求の止み難きものがあって、大学卒業後もいわゆる哲学書と名づけられるものを漁り求めるのですが、それらはほとんど例外なく西洋哲学の範疇に属するもの故、素質的にはかなり卓れた人でありましても、自分が生まれて今日に到るまで遍歴してきたもろもろの人生経験を、全一的知見を手懸りとしつつ、自分なりの一個の世界観の確立に到達した人は、ほとんど稀有と申してよかろうと思われます。

 

しかしそれは何ら不思議でないばかりか、当然の結果といわざるを得ないのであります。西洋哲学はそれぞれの哲学者が知性の極限発揮のためにその生涯を賭けた所産でありますから、知的にはかなり恵まれた人々にも解し得ないばかりか、哲学を専攻する人々にとっても、その理解は必ずしも容易ではないのであります。

「全一学にたどりつくまで」(講演)

 

4月18日(木)

 

森信三先生提唱の「全一学」(日本的哲学)を理解するため、「全一学にたどりつくまで」の講演(昭和52年)から抜粋しています。本日は自らの世界観、人生観を持ちたいと願っている人々に対して、「示唆を与えうるような学問」こそ「全一学」だと述べています。

 

それゆえに自らの世界観、人生観を持ちたいと希っている人々に対しては、それらの人々の豊富かつ複雑な人生内容に対して、ある種の整理統一を可能ならしめるような、あるいは有力な示唆を与えうるような学問が必要でありまして、そのようなものこそ「全一学」に他ならないのであります。

 

そのような学問は、なるほどそれを生み出す創生者は、ある程度の専門的な教養、実力が必要でありましょうが、それを求める側については、必ずしも西洋哲学の場合ほどに特殊の専門的な素養はなくても、一応は解しうることが望ましいと思うのであります。

 

社会的にある程度の責任を負うているような人々、たとえば政治家、実業家などの中にも、自分の世界観、人生観を持ちたいと希っているほどの人なら、それを繙くことによって、自分が現在まで経験してきた多様な人生経験の内包している生きた真理の断片や教訓などを、

自分なりに統一する上に、与って力あるような体型的知見をもつ一個の生きた全一的叡知というべきものこそ、「全一学」に他ならないのであります。

 

かつて儒学の盛んであった徳川時代には、このようなものが在ったと言えるわけでありまして、かの論語や大学・中庸などによって内容的にはある程度かような希求を充たしていたと言えましょう。しかし、さらにより深い真理を希求する少数者に対しては、「易」が講ぜられたわけです。

 

「自然科学的真理」を知らなかった徳川時代の人々には、それでも大した不足感はなく、自己の置かれた社会的地位と職責に応じて、それぞれの世界観、人生観を客観的な知的体系とまではゆかなくても、生きた「主体的叡知」ないし「行動的叡知の体系」として身につけ、自己の職責を全うした人々は少なくなかったのではなかと思うのであります。

 

然るに明治維新以後はすべてが西洋文明によって変化し、国民の教育体系が義務教育制度の徹底と共に、それぞれ必要な教育を受けるようになったのです。

「全一学にたどりつくまで」(講演)

 

4月17日(水)

 

森信三先生提唱の「全一学」(日本的哲学)を理解するため、「全一学にたどりつくまで」の講演(昭和52年)から抜粋しています。本日、「全一学」はひと通りの教養をもつ人なら、何人にも一応の理解は可能である学問でなくてはならないと述べています。

 

然るにこの「易」の大法についてさらに注意すべき点は、それが西洋哲学のように、ある一人の思弁的天分に恵まれた特殊の天才の思索の成果ではなくて、その創始者を個人的に限定することは全く不可能だという点であります。この点こそ、却ってその意義の重大性を意味するものと申せましょう。

 

何となれば「易」理の中に内包されている叡知は、西洋哲学におけるような何某という個人的限定を超えた無量の民衆の内奥ふかく潜んでいる人間的叡知の象徴的開示といってよいからであります。それゆえ儒教哲学の開祖ともいうべき孔子自身すら、この易理のもつ偉大さと卓越性に対しては、その絶賛を惜しまなかったゆえんであります。

 

同時にこうした「易」の生成過程は、易理をして「高大にして卑近」到らざる処なき真理としての広大さを賦与しているものといえます。したがってそれは思想的限定以前の「大法」ともいうべきともいえましょう。そえ故、この複雑極まりない人間社会の現実に内包している無量種々相に対しても千変万化の適用を可能にするゆえんであります。

 

同時にこのように考えて参りますと、「全一学」の具有すべき第二の特質として、その適用領域の広汎性をあげたいと思うのであります。ということは、「全一学」は西洋哲学のように専門家でなければ歯も立たぬというようではいけないと思うのであります。

 

いやしくも世界観的希求と人生観希求をもつ人で、ひと通りの教養をもつ人なら、何人にも一応の理解は可能である学問でなくてはならないと思うのであります。然るに西洋哲学の場合には、哲学を専門とする人々すらも、その理解は必ずしも容易ではないといえましょう。

 

わたしの考えでは、世界観と人生観との統一的希求は、単に一部の専門家だけに留まらず、凡ての人間がそれぞれの程度に応じて具有すべき、人間の最基本的な教養というべきかと考えるのであります。したがって「人間各自一個の哲学をもつべし」と、いわれてきたことの実現を希求し意図するわけであります。