以前、ぶっきいさんのブログのこちらの記事で、灯台の写真の数々が取り上げられていたのがとても興味深かったのですが、そこでふとある写真家のことを思い出しましたひらめき電球

ベルント・ベッヒャーとヒラ・ベッヒャー。
結婚しているので、ベッヒャー夫妻と書かれていることが多いです。

で、この二人が何を撮っているのかというと、給水塔とか溶鉱炉などの工業建築物を正面から何の演出もなしにひたすら撮り続けてるんです。

例えば、こんな感じで。

$The Importance Of Being Idle

そして、これを何枚か組にして展示するという方法論を採っています。

$The Importance Of Being Idle

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なんだか見ているうちに、生き物のように見えてきたり、記号のように見えてきたりしませんかはてなマーク

もちろん、これらの建築物はデザイナーや建築家が設計したわけではなくて、あくまで機能性のみを考えて作られているはずなんですが、にも関わらず見ているうちに不可思議な魅力を感じ始めてしまう…

考えてみれば人間の身体だって、ただ運動や生命維持といった機能性に基づいて出来ているだけのものなのに、そこに美醜や魅力を感じたりしているのですけどね。


ベッヒャー夫妻のスタイルは、タイポロジー(類型学)ともいわれますが、それは学術的なものというより現代アートの文脈でとらえられるべきでしょう。

その点で、あくまでも画家のための資料を撮影していたアッジェや、ニューディール政策の資料としてFSAの依頼を受けて撮影していた頃のエヴァンズとは異なります。

ただし、先にも書いたように普段なら誰も関心を寄せない、本来ならアートとしての価値を認められない(またそのように作られてもいない)建築物を「彼らの発言権を確保する」かたちで写真に収めることによって、いままでのアートでは決してたどり着けなかった地平の魅力を提示してくれたという点で、彼らもまた写真の革新的な威力をよく理解していたと言えるかもしれません。


ベッヒャー夫妻は長年、美術アカデミーで教師として勤めましたが、そこから何人もの優れた写真家が生まれたことも忘れてはいけないですね。

その卒業生たちはベッヒャースクールとかベッヒャー派とか言われますが、それぞれが個性的な写真家たちなのでそうひとくくりされるのは迷惑かもあせる


そういえば、自分でも給水塔を撮った写真がなかったっけ?と思って探したら、この1枚だけありました。

$The Importance Of Being Idle

通りがかりにパパッと撮っただけですが…(笑)

たぶんこの給水塔、今では取り壊されて残っていないはずです。

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こちらの工場は現在も稼働中…のはず。