「カメラは、魂を抜き取る装置!」? (とりあえず最終回) | 単焦点フォトグラファー
Taken with ZENZA BRONICA S2 + Zenzanon 100/2.8 on Ilford Pan Plus 50

そんなの迷信です。今どき信じる人なんてほとんどいません。

じゃあ、なんで「魂を抜き取る装置!」なんて言うんだ?などと言わず少々お付き合いを。

浮世絵が一世を風靡していた時代に、「写真」の出現に驚くのも無理はありません。
 江戸時代後期
  天保10年(1843年)、日本に初めて写真機が持ち込まれました。
 江戸時代末期(幕末)
  鵜飼玉川が日本人で初めて写真館を開きました。
当然、物珍しいことも手伝って、噂が噂を呼び
「写真を撮られると魂が抜かれる」なんて荒唐無稽な迷信が出来上がったのでしょう。
リアルすぎるポートレートは「紙の中に人が入っている!」ぐらいの勢いだったに違いありません。

昭和、平成と時代は変わりその様な迷信は、笑い話となった……はずでした。
ところがこの迷信、今は現実のものに昇華してしまいました。

フィルムからデジタルへ進化し、モデルサイクルも加速する一方です。
巷には質の悪いカメラ雑誌があふれ、プロ写真かも「写真」を語る事より
カメラデザインや性能などを多く語るようになりました。
スペック信者は、金科玉条の如くプロのレビューを真に受けます。
触った事もないないカメラを「あれはいい!」「それはダメだ!」とか批評します。
自分の考えを持たず、カメラを漁り、レンズを集め、根拠薄弱な安心感に浸ります。

あなたの周りに、やたらとカメラを持っている人、いませんか?
交換レンズを、やたらと集めている人いませんか?
たしかにその経済力は、正直羨ましいと思います。
(その経済力で、女の子とデートしたいもんです。 _| ̄|○ はぁ…)

骨抜きにされているというか、魂を抜かれているというか、、、
やっぱり、「カメラは、魂を抜き取る装置!」だったのです。

カメラやレンズなんて、お金さえあれば誰でも買えます。
やはり、カメラにプロのスペックが必要なのではありません。
フォログラファーにこそプロのスペックが必要なのです。




=連載を終えて=
初級からの脱却ということで書き続けてきた「藪睨みの写真講話」と「傍流の写真講話」ですが、一旦終了いたします。
この「藪睨み」シリーズは、所詮座学です。読んで巧くなるはずがありません。一般の教則本では切り込まない視点から書いていますので、大いに違和感もあるかと思います。
何が正しいのかは、ご自身で発見していくしかありません。
その発見により「あっきー は嘘つきだ!」と言って貰えれば、あなたの腕前は必ず上達しています。
(あくまでも実戦経験による発見ですよ。)
スマートフォンでもコンパクトカメラでも、「機材だけが一人前の人」より必ず上達することを祈って。

-おわり-