「いい写真は、トマト!」?  突然やってきた最終話!! | 単焦点フォトグラファー
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Taken with GRDⅢ

写真は観るものであって、食べるものではありません。
(無理に食べたら、おなか壊しますよ、きっと。)

じゃあ、なんで「トマト!」なんて言うんだ?などと言わず少々お付き合いを。

本日は、写真表現と被写体についてのお話しです。
『美味しいトマト』を主役に写真を撮るとしたら、どんな写真を撮りますか?
トマトが、より魅力的に見える写真を撮るはずです。

じゃー、そのトマトって、どんなトマト?
 世界各国で広く食されているトマト、それもそのはず。
 グルタミン酸濃度が非常に高いため、『うま味』が抜群です。
 そんなトマトを嫌いな人もいらっしゃるようですが、少々お付き合いを。
採れたての冷やしトマトを丸かじり!美味しいですね。
 そのまま派、塩派、砂糖派(東北地方)、マヨネーズ派など、色々な『派』がありますね。
サラダは勿論の事、ラグマン、サルサ、鍋、ピザ、スープ、パスタ、カレー、シチュー。
そのままを味わう料理も多いですが、手を加えたトマト料理も世界各国にありますね。
まぁー、どれも捨て難い!トマトジャムなんてのも、うまい。焼きトマトも。
『美味しいトマト』を露地栽培で表現するのもよし、料理で表現するのもいいでしょう。
子供の頃に、「畑でコッソリ食べたのが人生で1番うまいトマトだった。」なんて方も
いらっしゃるかもしれません。

『美味しいトマト』なんて、答えは様々。
住む国、文化、風習、経験などによって、明らかに違います。
『美味しいトマト』なんて、真理のような「たったひとつの答え」はありません。
そのフォトグラファーが『美味しいトマト』と思うトマトが正解なんです。
表現は自由なんです。

しかし、
その写真の『美味しいトマト』は、本当に美味しいのでしょうか?
『美味しい(かもしれない)トマト』の写真になっていないのでしょうか?
それは、決して写真撮影の技量やテクニックを言っている訳ではありません。
フォトグラファーが、本当にトマトと対峙したのかを意味します。

そのままのトマトも、トマト料理も食べてみて、感動して、
「うん!これは写真にしよう!」なんて思うはず。
普通、その瞬間にサッとカメラを取り出して写します。
(その直感が、全てがダメ!と、いうことではありません。)

それは、トマトが通常より美味しかったからに違いないのですが、
本当に美味しいトマトだったのでしょうか?

築地御厨の内田悟 氏によると、夏野菜と思われがちなトマトですが、旬は春だそうです。
トマトはおしりの放射線の鮮やかなものが美味しいと言います。
また、小さくても重いものが、より美味しいのだそうです。

よりベストな状態のトマトを待って、食べた方が美味しいはずです。
食べた時の感動も、そのほうが大きいに決まっています。

安易に被写体にカメラを向けても『美味しい(かもしれない)トマト』の写真にしか、ならないのではないでしょうか?
知っている人が見ると、「味の無いトマトだなぁ・・・。」なんて思うかもしれません。
どれだけ、高級カメラや高級レンズでも機械が被写体と対峙してくれることはありません。
フォトグラファー自身が、被写体と向合わなければなりません。
野菜であろうが、人物であろうが、風景であろうが、同じ事です。

カメラは今後も、進化を続けるでしょう。
誰でも、もっと手軽に、もっと簡単に、もっと上手に…。

しかし、その被写体と対峙し、最高の魅力を表出させるのは
フォトグラファーの仕事ではないでしょうか?

カメラやレンズに「プロのスペック」は必要ありません。
フォトグラファーにこそ「プロのスペック」が必要なのです。

- 藪睨みの写真講話 余話 -
茶人 千利休は次の言葉を残しています。
「規矩(きく)作法 守りつくして 破るとも 離るるとても 本(もと)を忘るな」
この言葉の解説は、他の方にお任せするとして、「本(もと)を忘るな」が印象に残ります。

これにて、初級からの脱却を目指す『藪睨みの写真講話』終了します。