みやぎけんせんだいし。それだけかいた年賀状を持ち歩いてどれくらい経つでしょう…。年末に戻ってきてしまった書簡には、2月のはじめまでに、短いものを書いてそれを送ります…なんてことを書いてしまっていました…。自分で自分で締め切りを作らないと、どうにもかけそうにない…。そう思ってのくにくの⁈だんこうでした…。これで、書くだろう…。あのとき、核になる部分を、これはいなくならないと、感じていた、あの部分が…。朧げな印象だけが残って…、はて、核の真ん中は、なんだったのだろう…。時というものの偉大さを思いますね…。あんなに、これだけは絶対に見えてるはず…、そう感じた、その核の部分が、はやボヤけている…。一事が万事、こんなことなのだろうから、いいことを何度も何度も、こころで再生させているうちに、いつしか、おんなじ映像は心に焼き付くのと同じに、その反対なら出来事とて、それからのがれられずにいる間は、どうあがいてみても、どーにもこーにも、けせないと思っていたものでも、時の流れとともに、いつしか、少しずつ薄まって、あるいは、苦いだけのはずのものに、別の風合いや色合いが加わったり、和らいだりしていって…。あれ、わたしは、こんなに、つれないやつだったのか、そんなふうに、自分にといかけてるときさえある…のだから…。はて、そうそう。年賀状なんですよね〜。もうお年玉の番号まで発表されちゃいましたよねぇ。ざんねながら、一等の番号はありませんでした…。当たったらどう使おうかなぁ〜、ひとしきり、そんな想像をおもいめぐらしてからの、番号探しでしたけれども…。ことしは、いつもと同じ、のは、50枚限定にしましたから…。残る20枚は、お年玉付き地元観光地の絵がついたものに、もっぱら愛用のペンで文字を書いただけのものにしました…。ともあれ、そんなことより。みやぎけんせんだいし。
青葉城のあの切ないこいうたを歌われたあの方がね、あれはまだわたしが20代のころですけれど…、どこかの高原で行われた夏の音楽祭で言われてたんですよ、それだけ書いても僕にファンレターは届くんですねぇ〜って、でも、郵便局は、手紙だけでなくて、小包!というものも、やってるんですけどねぇ〜って。そう言って、笑わせていました。いまも、地元の夕方の情報番組をされていると、聞いたことがあります…。もう数年以上まえのことですが…。ともあれ、年賀状です。そして、わたしの原稿は、はて、また、とうぶんさきまで、書かれることはないのでしょうかねぇ。いちばんに思ったあとは、復帰以降も、すぐに始められたあの連載のページを担当している編集部に送ること…だったのですけどねぇ。
思いついた自分が、自分でも、おどろいたあんは、つぎのとおり…。自分宛ての封筒を書く。そして、送り主のところに、届けたい相手の名前を書く。わかるはんいで。そして、切手を張らずに出すんです。そしたら、手紙は、きってのはりわすれとなって、差出人にもどる、のではないだろうか…。これまで、なんどか切手を張らずにだしで、戻ってきたのに、もいちど貼ってだしたことが、あるゆえ、思いついたのですけどね…。そのためには、投函場所は、あるていどの都会にまで、足をはこぶ必要はありますねぇ。その方が投函してもおかしくないと思える場所に…。
5年生のころ、風船に自分の住所と名前を書いて、拾われた方は、お便りくださいって、飛ばしたんだそうです。そしたら、なんと、800キロ以上離れた土地から、それも、女の子から手紙が届いたんだそうです。そのあと、なんどか文通をされたのだそう…。そして、一度訪ねたことまであったそうで、有名な大きな山の麓にある、門から玄関まで、少しあるくような、旧家のお嬢さんだったそうです…。一度、年賀状を書いてみてはどうですか?そう話すと、今でも、その、住所だけは、そらで覚えておられると…。それなら、なおさら、書いてみては?、たとえ、お嫁に行かれてたとしても、きっと、実家との交流はあるかもですし…。そんな話を、新年さいしょのラウンドの前の数分のたち話をしたのでした…!むろん、風船〜の顛末は以前のらうんどのときに聞いていたので、できたわけですけれども…。団塊真ん中の方ですから、いまから65年以上前のことですねぇ。いつの時代にも、封書でしか、伝えられないものがある。そう思うきもちはかわりそうにありませんねぇ…もちろん、風合い、色合いは、時とともに…、多少…おだやなものになるでしょうけれども…。
そんなこんなことより、年賀状です。はてさて。くだんのあらちえをじっこうするには、まだ少しふんべつがのこりすぎてる年齢なのだろうか…わたしは…。そんな、はて、さて。どうしませうねぇ。そんな、ため息まじりを、くりかえしているこのごろであります。いつも、思い出すんです。なにか、たぶんこれは、いまをのがすともうないかもしれぬということが、おおきくてもちいさくても、あったときに。いつかもかきましたが、あれは、シラノの一人舞台でした。拳さんの。いいや、来年にしよ。でも、来年はなかってんですよね。都市に住んでると、舞台はいつでも観られる。そう錯覚してしまう…のかもしれません。来年はなかったんです。そのひとがいなくなってしまったから…。あれから、なにかあるたびにあのとかのことが。あたまにのぼります。
だから、のこりじかんの少ないひと優先なんです。わたしは…。だから、わたしはいつも、70代以上のひとのラウンドをしているのか…。えへへ〜って。そりゃね、いまとなっては、20代の成長著しい子とまわって、元気ももらっていますよ。それでも、味のあるラウンドができるのは。やっぱり、65、いや70を超えてからなんですかねぇ。飛ばなくなった悲哀と闘いながらも〜、愚痴りたいきもちをぐっとこらえて、気合のこめた一打を打つところは、あれは、若者がどんなに力任せに、クラブを振ったところで。あの味だけはだせませんねぇ。含羞と悲哀。これなんですかねぇ。せつないかっこよさが生まれるのは…。えへ。なあんて、いえ、その通りなんですけどねぇ。はたさて、どうしたものでしょう。年賀状…。伝書鳩さんに預けたら、そこの空まで飛んでいってくれる…、お住まいの庭まで、運んでいってくれる…そんなワンちゃん、いや、トリさんはいないものですかねぇ…。あ、トリプルボギーのトリさんではないですよ!もっとも、陳腐なダブルボギーのときより、トリプルの時の方が、はるかにドラマチックで、スリリングなドラマが多いのは確か。ですけどねぇ〜。