前回の記事(「2:1:7」)の続きのようになるんですが。
腸活のヒントをきっかけに、絶対比率のようなものに気づいてから以降、ずっと私の中にある考えが存在しています。
この世に在るもので、「100%のものは存在しない」ということ。
いや、もしかしたら、ひょっとすると稀にあるのかもしれないけれど。
「100%のものは存在しないことを前提に、世の中を見る」と考えるということです。
言い換えると、「100%を求めない」ということ。
これは食べ物も、思想も、人間も、万物において全てそうで。
全ては元々完璧なんだけど、その完璧っていうのは、
色々入り混じっているから、緻密で繊細で、宇宙って何て完璧という意味で、
白黒はっきりパッカーンと別れて、白100%とか、黒100%っていうのは、あり得ない、ということ。
(いや、もしかしたらあるのかもしれない、という部分もちょっと残しつつ)←ここが100%を求めない姿勢
つまり、宇宙は神業によって完璧なバランスが創られているからこその、ユートピア
(そう、人間の腸内環境と一緒!)
この発想による気づきって、私なりにとっても深かったのです。
人によっては、「そんなの当たり前やん」な、ことかもしれませんが
ずっと前から私の中にあった疑問が解け、
理想とするものが何だったのか、
目指す方向のような物が具体的になりました。
よく数年前から、「がんばらなくていい」とか
「~ねばならない」からの脱却、とか。笑
その辺りから、頭では「100%じゃなくっていいんだよね」っていう、緩い思想が自分の中にも生まれて。
自分に優しくなろう、自分を大切にしよう、って思っているつもりでした。
でも、どこかでそういう自分をきちんと正当化できなかった。
がんばるのをやめます、って、頭の固い自分には、心の底から思えなかったんですよ。
だから、知らず知らず、また頑張っていつのまにか無理をして、を繰り返す。
今ならねぇ、はっきり、堂々と
がんばらんでええ!
と、胸が張れるんです
だって、バランスの黄金比率が崩れるから!
「いい子にならんでええ!」
だって、1割は悪玉菌がいる(そういうもの)だから!
って。
いい自分も嫌な自分も、色々まるっと、「自分を受け止めて愛してあげよう」的なメッセージを、数々のスピリチュアルな方から受け取ってきましたが…。
私は、ようやくこの腸内バランス比率を落とし込んで仮定して理解することで、まさしく腑に落ちたのです。
話題がガラっと変わってしまいますが…。
それほど詳しいわけではないのですが、「マザーテレサ」が私は好きです。
20歳くらいのころに、伝記を少し読んだくらい。あと、映画を観たくらい。
なぜ、好きなのかな~?
立派なことをしたから?
立派なことをする人はたくさんいる。
マザーテレサが、なぜ、好きだなと思えるんだろう?
と、漠然と思ってきました。
それについても、はっきりと回答が出せた。
あの人は、「たたかわない」人だから。
マザーテレサの名言と言われる言葉に、
「戦争に反対する集まりには私は参加しません。でも、平和を訴える集いには参加します」と。
このニュアンスです。
なぜ、このことを先に書いたかというと。
近頃、以前にも増してテレビやニュースを見なくなりました。
その代わり、以前にも増してネットのニュースや情報を見ます。
コロナ以降、そういう方が増えたことも実感しています。
そして、以前より感じるのが、「論争が増えたなぁ…」ということ。
マスク不要論、
ワクチン接種論、
果ては、全ては仕組まれているという、陰謀論。
どんな意見があってもいいし、討論は結構なことだと思うのですが。
本当に願うのは、「戦いなくない」し、「戦ってほしくない」ということ。
(※陰謀論支持派の方に向けて言いますが、反対されてもやっぱり争っちゃいけません。主張し過ぎも同じこと。たぶん、陰謀の張本人がいたとしたら、そうやって世の中の意識を分断させることこそが彼らの意図だと私は思うので。相手の思うツボですよ)
そして、これだけ情報が溢れかえるということは、
どの情報を自分に採用するか、自分の心に従って、心して見極めていかなくちゃいけないな、という危機感。
聞こえのいい言葉で語られても、
多少トゲのある表現をされていても、
そこに自分にとって、ピン!とくる何かがあるか?
自分を認め、自分の感じることを全て「それでいい」と許してあげると、このセンサーがめっちゃ働いてきます。
親から信頼されると、すごく頑張ってくる子どもみたいに
100%なんて無いんだから。
正解を求めなくていい。
だったら、自分が信じる方を、「ただ好き」と言えばいい。
こんな歌の歌詞みたいなメッセージが浮かんできます
マザーテレサは世の中に危機感を覚え、自分の信じる正義のままに行動しただけ。
それを反対する人達に、分かってもらおうと訴えたり、デモを起こすこともなかった。
要は、「自分はこうしたいから、やったんです」みたいな。
その自分を信頼するエネルギーがとてつもなく強かった。
それほどに、神への信仰心が強かったのでしょうね。
そしてそのエネルギ—を、体現することにのみ注がれた。
自分を攻撃する者への保身(これは即ち攻撃)には使わずに。
人生って簡単に言うと、
そうやって自分の思想をただ体現していくものだと思うのです。
だがら私は惹かれるんだな、と。
否定する、って、ものすごくエネルギーを使います。
する側も、される側も。
これって、せっかく稼いだお金を無駄にするくらい勿体ないことだなと思います。
自分が満たされていないとき、人は誰かを否定したくなります。
自分が欠如しているから、相手を受け入れる余裕もなくなる。
自分が満たされていれば、「そうなのね」と受け止められる。
そして自分は自分の仕事をする。
この違いなだけ…。
だから一番早いのは、
誰かを否定したくなったり、批判していると気づいたら(重症だとそれにも気づけないけど)、そんな今の自分を(私なら)「便秘」か「下痢」だなくらいに捉えて。バランスが偏っているんだろうなぁ、と静観する。
ヨーグルトや整腸剤を飲む感覚で、好きなことをする。
そのうち、心の状態ってまた変わっていくものだと思う。
っと思って、静かにする。←ここも大事と思ってる。
私ごときが、とも思うけれど
今、ネットや世の中を私なりに見ていて、思うところがいっぱいある。
だからつい、ブログを書いてしまいます。
一介の主婦の、ただのつぶやきですが、ここに記しておこうと思います