負債を負う勧め

 インドの聖者、サンダー・シングがネパール地方のある山道を歩いていました。

 非常に険しい山道を歩いているうちに吹雪になり、体が震えるほどの寒さを覚えました。

 サンダーシング


 しかし歩いていると一人の人に出会い、互いに助け合いながら、その険しい山道を進んで行きます。

 すると、ある老人が凍えて倒れています。

 サンダー・シングは「この人も連れて行こう」と言いいます。

 しかし、彼は「気が狂ったのか!自分たちさえ今にも死にそうなのに、この老人を背負って吹雪の中を行くなんて!冗談じゃない!」と言って、先に行ってしまいました。

 けれども、神のしもべであるサンダー・シングはその老人を背負い、汗をかきながら一歩一歩村に向かって下って行きました。

 しばらくすると、どれぐらい汗をかいたのか、その熱が老人の体に伝わり、老人は気を取り戻しました。

倒れている人

 こうして老人を背負いつつ、村へと下って行ったのですが、村の入り口に着くと誰かが凍死しています。

 「一体誰なのか?」と顔を見ると、サンダー・シングを捨てて先に一人で行ってしまった人だったのです!

 このように、人は自分勝手にひとりだけで行くなら、死んでしまいます。

 人はその字の示すとおり、互いに支えあって生きるものだからです!

 このように、クリスチャンの負債とは愛の負債、愛の実践なのです!

 しかし、この愛とは神の愛(アガペー)、自己犠牲の愛です。

 確かに、イエス・キリストを信じたクリスチャンに罪の負債はありません!

釘

 キリストが私たちの罪を背負われ、ご自身が罪となられたので、キリストを信じる者は何と“神の義”とされ、罪から解放されたからです(Ⅱコリント5:21、ローマ3:21-26等)!

 しかし、クリスチャンには負債があるのです!

 その1つが“互いに愛し合うこと”つまり、愛の負債なのです (ローマ13:8)。

 この愛が私たちの生まれながらの性質にあるでしょうか?・・・・・

 いいえ!

 しかし、愛そのものでいらっしゃる聖霊様(イエス様)が私たちのうちに来てくださると、私たちは愛の人に変えられます!

 愛の実践を頑張って行う方々がいます!

 素晴らしく見えます。

 しかし、人間的な頑張りは必ず行き詰ります。

 愛に満たされた人とは、実は聖霊に満たされた人のことなのです^^

 自分の愛の無さを悟り、イエス様に心の中心を明け渡した人なのです^^
 
黙示録3:20

 そのために、イエス様は今日も私たちを招いておられます!

「見よ。わたし(イエス・キリスト)は、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」(黙示録3:20)

「御霊に満たされ続けなさい」(エペソ5:18)

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。」(エレミヤ33:3)

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