愛の雰囲気はどうしたら作れるのか?

 皆さん!その場の雰囲気が殺伐としているとき、どうしたら、その雰囲気を愛の雰囲気に変えることができるのでしょうか?

 これは大変難しい問題のように思えます:^^

 ところで、皆さんはアーネスト・ゴードン著「クワイ河収容所」をご存知でしょうか?

 この本を原作として、映画「クワイ河収容所の奇蹟」が製作されました。

 この映画は「戦場にかける橋」という映画でも有名になった、第二次世界大戦中のタイで起こった実話です。

映画クワイ河

 東南アジアで数万人のイギリス兵が日本軍の捕虜となります。

 毎日35℃以上の熱帯雨林の中で、クワイ河にかかる鉄橋を作らなければならいという、過酷な強制労働が続きます。

 弱った捕虜たちが毎日のように死んで行きます。

 極限状態の収容所生活の中で、捕虜たちは次々とモラルを失い、“自分が生きていくためには他人はどうなってもいい”という考え方に堕ちていきます。

クワイ河2

 しかし、このような極限状態の中で、ほんの数人の捕虜たちの自己犠牲的な行為が収容所全体の雰囲気を全く変えてしまい、

彼らの中にやさしさやいたわりの心が生み出されるのです。


 たとえばこんな事がありました。

 ある日の労働が終わり、工事用具の確認が行われました。

 確認がすみ、宿舎へ帰る寸前というところで日本軍の捕虜監視兵が、シャベルが一本足りないと宣言しました。

 「盗んだ者は一歩前に出てきて罰を受けろ!」と命令します。

 しかし誰一人動きませんでした。

「全員死ぬ!全員死ぬ!」と逆上した彼は、捕虜たちを一通り眺めたうえで、左端の者から射殺しようとしました。

クワイ河

 その時、捕虜の一人が列の前に進み出て、「私がやりました」と言います。

 それを見た監視兵は怒りを一気に爆発させて、進み出た捕虜を銃で殴り殺しました。

 ところが、その後もう一度用具を数えると一本足りないはずのシャベルが、全部そろっていることがわかりました。

 その時、他の捕虜たちは、あの仲間の捕虜が自分達の命を救うために犠牲になったことを知るのです。

 この事件は捕虜たちの生活に決定的な影響を与えました。

 この事件の後、捕虜たちは他者をいたわることを学び始めます。

 特に病人の世話をするようになり、又食物も互いに分け合うようになります。

 殺伐とした世界に人間的なもの、気高いものが生まれ始めます。

映画「クワイ河」

 誰かの死が他の誰かに命を与ます。

 罪のない者が罪ある者のために苦しむ時、その苦しみが人の心に自らの罪を悟らせ、正しく生きる心を起こさせるのです。


 このような苦難の最中にいたアーネストは自問します。

  「隣人とは誰か?

  何度兄弟を赦せばいいのか?

  敵を愛せよとは?

  命を買い戻すために何をすればいいのか?」

 収容所におけるこれらの聖書のことばに対する疑問が、その後のアーネストの人生を変えていくことになります。

アーネスト・ゴードン

 そして、55年後、この映画の原作者アーネスト・ゴードンと永瀬軍曹は、再会を果たしました。

 アーネストは、牧師となり、神学大学で25年間教え、2002年に永眠。永瀬軍曹は僧侶になったということです。
(参考:http://www.icfire.com/goodall/NewFiles/OkoboreMessages/love40.html、http://www7a.biglobe.ne.jp/~kokorowakuwaku/eiga/kuwaigawanokiseki.html)

人の子(イエス キリスト)も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」(マルコ10:45)

人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。 」(ヨハネ15:13)

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、

6 不正を喜ばずに、真理を喜びます。7 すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。

8 愛は決して絶えることがありません。
」(第一コリント13:4-8)

 一人が自分を捧げていくとき、すべてが変わっていきます!

 ある賛美の中の一節です!

「私を造り直して 主の御旨のままに

 新しい革袋にして、主の栄光放つように

 我が願い ただ一つ 主の喜びになること

 我が願い ただ一つ 主の喜びになること」

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