網膜剥離を発症し二回の手術を経て、その結果視力が低下してしまったのは前述のとおりです。退院直後に比べると格段に良くなってはいるものの、発症前の視力には現在も戻ってはいません。おそらく、これからも以前の視力に戻ることはないでしょう。今は、左目でものを見ているウェイトがかなり高いと思います。入院中は目にアルミ眼帯をしていたので気がつきませんでしたが、いざ退院となって古い眼鏡をかけた時、右目が完全にぼやけていて、特に右後方の気配をまったく感じなくなっていることを認識した時はさすがにショックでした。

退院后は3ヶ月に一回、定期検診をしています。1ヶ月前にようやく北里大学病院を卒業して、先日から一番最初にかかった街の眼医者にて診察をしています。検診の結果は常に良好です。自分自身としては、二回も手術をしてシリコンスポンジまで縫い付けてあるのですから、さすがにもう再剥離はしないだろうとは思いつつも、網膜剥離は再発率の高い病気のため、今もあまり激しく身体を動かさないようにして、二度目の再発を防ぐべく、用心をしています。

『網膜剥離回顧録』では、私の事実に基づいて書き進めてきましたが、皆が同じような症状になる訳ではありません。入院してから知りましたが、私のように左目にも網膜剥離を発症して、自覚のないまま自然とくっついているケースもあれば、黄斑部にまで剥離が進行して、手術の甲斐もなく視力がほとんどなくなってしまうケースなど、様々です。よって、どの疾患でもそうですが、身体に異常を感じたら、放置せずにすぐ医師に診てもらったほうがいいかと思われます。

これにていよいよ『網膜剥離回顧録』も終わりとなりますが、最後に、病院にお見舞いに来てくれた皆さん、お見舞いにこそ来なかったものの心配をして頂いた皆さんと共に、一年後とかなり長い時間が経ってしまいましたが、医師、看護師さん、看護補佐さんなど、北里大学病院のスタッフに感謝の意を表して末筆にしたいと思います。


-網膜剥離回顧録 完-

長い間、つたない文章の『網膜剥離回顧録』を読んで頂いてありがとうございました。冒頭にも記したとおり、一年前の網膜剥離の闘病生活を、覚えている範囲で日記調で書き綴っていったら、次から次へといろいろなことが思い出され、気づいてみたら第42章にもなってしまいました。

私と同じく、網膜剥離を発症した人たちのブログもたくさん読ませて頂きました。皆さん自身の身に振りかかった症状についてよく調べられていて、それを読んだ私もいろいろと参考になりましたが、一方の私のこの『網膜剥離回顧録』は、入院生活からその后の安静生活をただ日記調で書いているだけなので、あまり参考にはならなかったかと思います。その意味で、同じ網膜剥離を患っている方で、私のこのブログで医学的な記述を期待された方がいらっしゃったら申し訳ないと思います。

職場復帰后についてですが、発症前に比べて遠近感が多少乏しくなったことと、眼鏡使用ではあっても右目の視力が著しく低いので、左目に負担がかかって、勤務中は緊張感であまり自覚はないのですが、勤務が終わった時には、かなり目が疲れている感じがします。私は今の仕事を始めて4年と2ヶ月(うち、休職が4ヶ月)がたちますが、発症前の3年間で一度しか経験したことのない、左のミラーを4回もぶつけてしまいました(念のために記しますが、幸いなことに4回ともミラーを割ることはありませんでした。ちなみに、ボデーをぶつけたことは一度もありません)。

目の不調で事故を起こしたとしても、それは言い訳にもなりませんから、あまりバスを左に寄せないとか、眼球にシリコンスポンジを縫い付けた後遺症で眼球の動きが悪い(というか、遅い)ので、発症前よりはスピードを控え目にして走るなど、今の自身の実状に合わせた運転をしています。

しかし、ハンドルを握りながらいつも思うことですが、網膜剥離を発症した輩が、果たしてバスを運転していていいのかなと、常に疑問に思います。勿論、事故さえ起こさなければ何の問題もないのですが、仮に目の不具合で事故を起こしてしまったとしたら、その時はバスの運転士を引退する時かなとも考えています。

→続く
網膜剥離を発症した頃は、視野欠損はあったものの、視力が下がったという自覚はありませんでしたが、入院をして二度の手術をしてから、右目だけは一気に視力が下がってしまいました。後から調べたら、それは術後の後遺症とのことでした。もし網膜剥離を放置していたら失明していた可能性が高いので、比較をすればまだ視力低下のほうが良かったのかなとも思います。

しかし、このまま視力が戻らなければ、バスの運転士を続ける訳にはいきません。視力が安定する3ヶ月后も見え方が変わらなければ、やはりバスの運転士は辞めたほうがいいなと結論づけました。

7月7日、その3ヶ月后の診察の日がやってきました。まず視力を測り、続いて前からお願いしていた、大型免許の必須条件の深視力を測ってもらい(本当は、退院后すぐに深視力の測定をしてもらいたかったのですが、術後3ヶ月はだめということなので、この日まで待っていました)、その結果、ようやく職場復帰にゴーサインが出されました。診察をしてくれたS先生がいつもの笑顔で「良かったですね」と言って私の膝をポンポンと叩き、「バス運転の業務に影響はないと、今の段階では推察される」という診断書を書いて頂きました。これで、職場復帰が認められました。北里大学病院を退院してからの、3ヶ月間の怠惰な日々からようやく解放されることになりました。

7月16日、およそ4ヶ月ぶりに職場復帰を果たすことが出来ました。「果たして、自分は職場復帰出来るのだろうか」と考えていたのが嘘のようです。久しくバスの運転をしていなかったため、復帰后一週間の見習い乗務をした後、運転が認められて、いよいよひとりで運転出来るようになりました。網膜剥離発症時にはまだ、車内に暖房をかけて走っていましたが、復帰后は既に、エアコンを全開で廻す暑い夏になっていました。