放置中のアメブロ。久しぶりに更新してみる。

久しぶりといえば、先日約5年振りに携帯を機種変更してみた。
長年、Apple製品を使ってきたが、
今まで正直iphoneには殆ど興味がなく、
貯まる一方の、携帯ポイント清算も兼ね試しにiphoneに機種変。

auがiphone参入したことも、後押しになっているのだが、
発売日当日に、予約なしで64GBホワイトを入手。

auショップのオネーさん曰くは、機種変・契約更新に人によっては1時間位掛かると言っていたのだが、なんて事はない10分位で呆気無く終了。

メールの設定は自分でやることなのだそうで、ホチキス留めのコピー用紙5枚分くらいの説明書を渡され帰宅した。

携帯といえば、機種変更する度に思っていたのが、一度も読まない分厚いマニアルと、無駄に仰々しく非常に重々しいパッケージがあった筈なのだが、iphoneのパッケージは小さくシンプルで、非常に好感が持てた。

帰宅後、早速メールの設定のために、専用アプリをダウンロードして、トットと設定を完了させた。
iTunesと同期させることで、mac内の音楽も共有コピーされ、大体の工程を終了させ、取り敢えず使えるようにはしてみた。

iTunesストアで、自分の使用目的に合うアプリケーションを物色し、幾つかをMacにダウンロードし、同期でiphoneにコピーされていく。

何か、非常に味気なく買ったばかりのiphoneが強化されていき、Apple製品の醍醐味でもあった、「自分カスタマイズ」が簡素化されたことにより、少々面白みがなく感じてしまったのは気のせいなのだろうか?.....

アプリをダンロードしてザッと使い、要らない物はすぐ削除。
そのなかで、コレはイイというアプリも結構あるので、結果的に機種変してよかったのだと思うだが。。。

使い方次第だか、特に仕事上で使える非常に強力なアプリもあり
意外に奥深い。

中でも、Dropboxというアプリがあり、これは(セルフ)ファイル共有のアプリのようなものなのだが今後、高度なセキュリティの導入など、色々と難問も上がるのだろうが開発コンセプトが、ユーザー視線で非常に好感が持てるし、なにより現時点で使い勝手が良い。

後、音声認識による、テキスト文章の自動入力が行える
Dragon Dictationこれが、意外に使える。
これは、自分の声で例えば、

「今日15時に伺いますが、宜しいでしょうか」としゃべると
テキスト文章で、

「今日15時に伺いますが、宜しいでしょうか?」と自動入力される。

この文章はもちろんメールやTwitter等にも入力することができ、当然送信可能である。ちゃんと「?」が付いている所も、中々の出来じゃないかと思える。
ロボットみたいにしゃべらなくても、ある程度早口でも認識してくれたがやっぱり、誤認文章も当然ある。

ふと、思い立ち歌ってみたらどうなのだろう?
と思ったので試してみた。
取り敢えず、童謡七つの子を歌ってみた。

歌詞は
からす なぜなくの からすはやまに かわいいななつの こがあるからよ

までをDragon Dictationを立ち上げ、歌ってみる。
Dragon Dictation認識を開始し、程なくテキストが画面に打ち出された。

文章は下のようなものだった。

考えながら話す軟性長空軍変わらすのおやあまぁ二人かぁいいいいなあなあなあto know神田さんヴルカー新東宝

・・・・・ びみょうすぎた。
なんだ?微妙に通じそうな内容。何かの暗号。

次、ちょっと怖い童謡 とおりゃんせ

歌詞は
とおりゃんせ とおりゃんせここはどこの細道じゃ天神様の細道じゃちょっと通してくだしゃんせご用の無いもの通しゃせぬ

までを歌ってみた。

認識した、文章は

高弾性、住友高校はどうこの放送日リージェン天神峰ウサハナほそみちじゃやらない人ちょっと欲しい低空大賛成光陽堂長芋のお父さんせいぐん

ぁーー。全く使えねー。
非常に危ない文章に変換されてしまいました。

まぁ。こういう使い方をするもんでもないし、仕方が無いか。。。



また、何か気がついた事があったら、
もしくは気が向いたらブログ更新してみます。



今日の夜中余り寝付けず、取り敢えず目を瞑り少しでも
体の疲れを取り除く無駄な努力をしていた。

窓を開けていたので、少しばかりの涼しい風が部屋には
流れていた。


今年の夏は何故か未だに、蝉の鳴き声も聞くことがなく、
暑い日中でも、何だか静かな空気が漂っているように思えていた。
夜もいつもの年より静かな夏だと感じる事が多い。


目は瞑れど、頭の中はグルグルと色んな事柄を浮かべては消し
こんなんではかえって疲れてしまうのではと思い、もう少し
机に向かってみようかと考え、瞑った目を開けようかと思い立った
時に窓の外から、聞き慣れない音色の小さな音を耳が捉えた。


気のせいかとも思えたのだが、その音が頭の中で再度変換され
目を瞑りながら、聞こえた音の音階を口ずさんでみた。

同時にゾクッとした悪寒が走り、パッと目を見開いた。

金縛りにかかる寸前のような感覚であったようにも思えたが
少し違っていた。


真っ暗な部屋の中ムックと起き、最初は何も見えず薄気味悪い感じ
もするが、徐々に目が慣れぼんやりと部屋の中が見えてきた。

耳を澄ますと「チッ」「パッチン」と何かが弾ける音がする。
ラップ音のように思える音なのだが、何かちょっと違う。
取り敢えず、もう悪寒は感じ無い。

それよりも胸のあたりがザワザワする感じがした。


「チッ」「パッチン」「チッ」「パッチン」と音が鳴り続ける。
ここまで頻繁な音になれば、もう何であるかは判る。

これは軋みだ。地震が来るのだろう。
いやもう起こっているのだろう。


少しすると、若干嫌な揺れの地震が起こった。
大丈夫そうだか、念のためPCを開き地震情報を見てみる。


3時51分。M6.2 福島県沖 最大震度5弱の余震。
4時頃に各地の震度が更新された。私の住んでいる地域は震度2。
今更、揺れの差異に疑問を持っても仕方がないが、
地震が起きる前に、聞こえた音が気になった。

脳裏に刻まられた音は、弱々しくふわっとしたとても不安定な
音色で、キーは高く敢えて音階にすると

ラ・ソ・ラ  レ・レ(1オクターブ上)といった短いフレーズ。

音階にしてみると大した違和感はないのだが、音色については
上手く言い表せない。

多分気のせいなのだろうが、その後に地震があったので
何だか余計不可思議に感じてしまったのだろう。

そういえば、阪神淡路大震災に遭遇した時は下から迫る、
ゴゴゴゴゴーという重低音の地鳴りを聞いた。

地震のような膨大なエネルギーが発散されるとき、当然変調ある
周波数も発される訳であるから、空気の摩擦とかでソレっぽい
音にたまたま変換されて聞こえたのかも知れない。

そうような、人には感知できない振動や音、大気や大地に響く
不協和音等を解くことへの精度がもっと画一出来れば、
災害等の予測を進化させることが出来るのだろうと漠然的に、
体感する出来事であったように思えた。


放置ブログ更新してみた。
昨日の記事で、原子力を扱う資格がない。
と書いたが、くどいようだが反対派ではない。
あくまで「使い手」の心のあり方を問いたいだけなのだ。

では、少し踏み込んで「原子力」をみていく。
専門家ではないので、簡潔に説明出来るか判らないが
少々、書いてみる。

一連の原発事故で「じゃぁ一体、原子力とは何なの?」
と改めて感じている人も多い事だろう。

まず、いま現在の原子力発電所でのエネルギーの製造方法は
核分裂を利用した原子核反応エネルギーの技術である。

主に使用される物質ウラン235という物は、原子核が中性子を
吸収すると核分裂を起こし、この核分裂がどんどん連鎖反応
起こす特性を使い、莫大なエネルギーを発生させる事が出来る。
天然ウランに含まれる、ウラン235とウラン238があるが
核反応での希少な特性を持つウラン235が、現在の原子核反応
エネルギーの要ともなっている。

簡単に書くと
例えば箱の中に10個の静止したスーパーボールが並んでいる。
そこに、箱の外から別のスーパーボールを箱の中で静止している
スーパーボールに向って投げ込むと、お互いにぶつかり合い
反発しあい不規則に、他の静止しているスーパーボールを巻き
込みながら、跳ね上がる。

う~ん。ちょっと分かりづらい説明になってしまった。
下の動画で分かってもらえるかどうか。


こんな特性を利用したものが、核分裂による
原子核反応エネルギーのモノである。

そして、もう一つのエネルギーの製造技術は
核融合エネルギー。

これに使用する物質はウランではない。
水素とかヘリウム等の原子核が融合することで放出される
エネルギー反応を転用する技術。

これら物質を炉の中で融合させることで、膨大なエネルギーを
生み出す事が出来るとされている。
「されている」と書いたのは、現時点では未完の技術だからだ。

これは簡単に書くと「太陽」である。
太陽は星全体が核融合を起こす事で、燃え上がりそして膨大な
エネルギーを私たちの住む地球にまで届けてくれる。

また、水素・ヘリウムと書いたが、具体的には
「軽く小さな原子核を持つ原子」がよいとされ、
(それだけの理由ではないが)
地球上にあるヘリウムより、軽いヘリウム3が原子炉の核融合に
適していると言われる。しかし、地球上の大気中にはヘリウム3は
殆ど無く、そこでこれらを採取する為に、今後必要となっている
のが太陽風に晒され続ける月に付着したヘリウム3や大気構成に
多く含まれる、木星での採取等が検討されているに過ぎないのが
現状である。

要は未来技術だ。
じゃぁ、いま現在のウラン等を使用する核分裂での
原子力の利用より、安全なの?という事だが、
利点も多くあるが、欠点もある。
何よりも、「太陽」と同じ物を地上で運用するには、膨大過ぎる
エネルギーの管理が今以上に難しいと考えられる。

今の技術でも出来るのであろうが、それを作るには莫大な金と
膨大な場所が必要な事もネック。要は小型化といった発想を概念に
入れないと、とんでもないほど大規模な施設を作らなければ
運用出来ないと言われているのが、21世紀初頭の現在の状況だ。

核融合炉は色んなSFでも、宇宙船のエンジンやロボットの動力
として描写されているので、意外に理解しやすいかも知れない。


では、いつの間にか身近になっていた「原子力」
一体どんな形で、浸透していったのだろという事だ。

ぼくらの子供の頃には、学校教育の一環で
「ピカッ。ドーン。」のフィルムを見せられた。
これはもちろん、原爆投下からその後の悲劇を写した物だ。
「平和」を打ち立てた日本は特に「原爆」の悲惨さを後世に
伝える事で、戦争がない世界を目指す切掛けにする。
ここでの「原子力」は当然、「悪」である。

米国に未知の武器、原爆を落とされたから日本は敗戦した。
とも思わせる流れも(国を纏める上で)必要であった。

だが実情は戦時中、日本も当然「原爆」を研究開発していた
経緯がある。武器転用には「間に合わなかった」だけだ。
これは、世界大戦中の殆どの国が同じような事をしていた。
うる覚えだが、東北地方(福島だったか)に少量のウラン
発掘鉱山と東京の研究施設があったと記憶している。
中国でのウラン取引、枢軸国のドイツからのウラン輸入も
計画にはあったようだ。

敗戦後、日本は原子力に関する研究開発を実際に禁止される。
後のサンフランシスコ講和条約(1952年)にて原子力に関する
研究開発が解禁されてからが、日本の原子力の第二ステージと
なる。ここで、掲げるは「原子力の平和利用」になるのだ。

「原子力の平和利用」とは膨大なエネルギーの制御・利用に
なる訳だが、一度武器としての有効性を実証されてしまった
訳であるから、中々それを捨てる事が出来ないのも人。

戦後、各国で核兵器の開発が盛んに行われ、後に「冷戦」と
呼ばれた時代を経て今日がある。1985年頃が世界で最も多くの
核兵器が保有され、その数はおおよそ70,000発以上。
現在は格弾頭の解体が進められ、おおよそ25,000発前後だろう。
尚、この数には劣化ウラン弾等の転用武器は含まれて無いと
思われる。

日本は大戦後、一応核兵器の開発が行われていないとされているが
「配備」については米国軍基地がある以上何とも言えないが
「核兵器の保有の可能性」については60年代に政府での検討が
されていたというのが、現在明かされている(公表ではない)事だ。

日本国内で一般的に、原子力が平和利用の上で受け入れられていく
過程には様々なモノが後押しをしていく。
現在の40半ば~50代の特に男性になるが、テレビの影響も考察
出来るだろう。

手塚治虫の「鉄腕アトム」など、その役割には結果的に大きく
貢献している。具体的にアトムの原動力「100万馬力」を出せる
能力を原子の力と謳う。
だが、手塚治虫の「鉄腕アトム」は使い手次第では「武器」に
なるのだが、ロボットのはずのアトムに「人の心」が宿る事で
「正義のヒーロー」になっていく様が描かれている。
この設定には「希望」が託されていた。
作家自身の未来への願いが込められていた作品で、当時の子供達は
この希望に夢中になることは、ある意味必然の出来事であった。
アトムは後に時代を変え、設定を変えながらもこの基本になった
コンセプトは大きく外れる事なく、世代を超えて制作されていく。

同時期に活躍した作家、サーボーグ009や仮面ライダー等で有名な
石ノ森章太郎はある意味もう少し、ネガティブに捉えている。
「原始少年リュウ」という作品が70年代にあったのだが、これの
基礎になった作品は「リュウの道」という作品である。
「原始少年リュウ」はアニメにもなっていて、原始時代の人たち
の苦難の生き方・闘い・さだめを描写しているが、元の作品
「リュウの道」は恒星間航行が可能になった未来の描写が
はじまりで、恒星間船の事故で永い間コールドスリープの中で、
仮死状態であったリュウが、地球へ帰還した後の世界が舞台。
核戦争で人類滅亡後、荒廃した地球で困難に立ち向かいながら
生き抜く様が描かれている。
平和利用でなりたっていた世界が、使う者の「心」次第で
善くも悪くも変わる事を絶妙に描写している作品だ。

このような作品は現在でも、色々とあると思われるが、
これはただの空想ではなく、極端に言えば予想もしくは予測だ。
舵取り一つで未来は大きく分岐する事を言い表せている。

いま現在、原子力やその他のエネルギーを研究・開発・運用し
ている大勢の人々の「個々の想像力」が新たな物を創っている
といってもよいだろう。
もっと大袈裟に言えば、全人類の人々の個々の想像力が未来を
創っているといっても決して過言ではない。
本来、無責任に考えていい物では無いし、してはならない事を
再認識しない限り、原発事故はこれからも起こり得ると感じる。
資格がない。

低濃度汚染水、海に放出1万1500トン

方針を打ち出した奴ら。
容認した奴ら。
押し付けている奴ら。
黙って見過ごす奴ら。

人として。やっちゃイケない事の区別が出来ない。

冗談じゃない!

「人体に影響は少ない」
バカ言ってんじゃねー。そんな事だけじゃねー。

大地・水・空気があって、生きている私たちが
やっちゃイケない「ルール」が判らないのか。

恐らく、汚染された水や土、空気は時間を掛けて
地球自身が再生を促すだろう。

「危険なものでも」それが力に変わるなら、犠牲を払って
でも利用してきた私たち。
その根底には良い言い方をすれば、必ず「未来に受渡す」
という真理があった。

火を使い始めた人類。
外敵から身を守る為の知恵。
今を生きぬく為の知恵。
そして、子を守る為の灯だった。

羽も無く、鋭い爪も牙ない人類は同時に武器を使う
という特殊能力を身に付けながら当然火も使った。
やがて、人々が集団で行動出来るようになると
村を作り町になり都市に変わり国になっていった。

すると、同じような「ことをする」集団も同時に
現われ、人が外敵に変わる。
「違うもの」を敵としたが、そこで更に生き抜く
為には戦う意外の知恵を身に付ける。
時には共生する。物資の交換が始まり経済がなり
始め、それらを統治する為の、話し合いが政治へ
と変わりそこで「繁栄」という概念が生まれた。


今、私たちは確かに危機に置かされている。
自然災害を「外敵」と置くかは別問題で、
自らの手で作り出したものを「外敵」と認識し
始めている事に気付けているのか。

多少の犠牲を払ってでも「炉心溶解」メルトダウンを
回避させなければという事での試行錯誤が
無意味な布を被せたり、ポリマーやおが屑新聞紙
ヘリからの投水等々、日に日に悪化を促している。

現場で作業にあたっている人々には本当に頭が下がる
なんて言葉では言い済ませないほどの思いがあるが、
「上」はお粗末という言葉を通り越している。

布を被せるにしても一企業と一部高官の利権。
仮設住宅に関してもその兆候が見られる。
3週間過ぎてようやく現れた、原発の製造元には
ヘコヘコと協力を求める。

もうすでに、高濃度の汚染水が流れ出ていたから
低濃度汚染水を捨てても平気。なんと愚かな行為。

世界で初めて原子爆弾による被爆国になったこの国は
放射能被害の痛みをもっともっと判らなければならない
筈なのにもうすでに、
「ただの過去の出来事」
にしようとしている。

私は活動家でも原子力反対派でもないが、今こう思う。

この国はもう既に、
原子力エネルギーを利用する
資格など無い。

更に東京電力は企業体として、
今後顧客に料金請求する
資格すらない。
(社員の方やご家族の方には大変失礼である物言いですが)

「報告を受けて知りました。大変遺憾だ。」
などと傍観者に徹し事態を報告する
政治家に発言する資格などない。

最悪の状態でも、何とか責任を取るのが「人」の筈だ。

そして、この責任は私たち一人一人も同罪。
「知らなかった」では済まない。
「力」を利用するならば、そこには責務があるのだ。


この問題の根底にある思惑を知り、考え、悩み
乗り越える為に噛みしめ、事の重大さを一人一人が
担わなければ、私たちは今後この大地に住む資格すら
失うという事を認識するだろう。

先月にはGoogleマップで、震災後の被害地域の衛星写真を
更新してあった。
実際に現場で見る惨状と上空から見えてくる惨状には
大きな違いがあるだろう。

全ての地域が更新された衛星写真ではないが、改めて見ても
酷い惨状である。

福島第一原子力発電所の破壊具合などは、原子炉を囲う建屋
はただの瓦礫と化している。
「想定外」という言葉で片づけたが「発電所全体の耐震構造」
の脆さを改めて認識出来る破壊具合だ。

各地域の沿岸部を中心として、人の営みが無くなってしまった
ような街並みは、未だ悲しみの最中にたたされている被災地の
方々にとっては胸が締めつけられる想いになるのだろう。

復興を地域の意見を取り入れながら、今後の新たな街作りを
国の漠然的な(現段階では)構想を打ち立て始めたが、
50年又は100年先をも考えての街作りをする必要がある筈だ。

実際に、被災地域の一部を国有化として買い取るという動きも
あるが、その為には今ある早急な問題、人命に関わる信用ある
対応が重要視される事はいうまでも無いことだ。

この地図を見る事で、改めて気付かさせる事は
取り戻せない日常。そして
未だ見つからない一万人以上の大勢の人々がこの地図の何処かに
いるのだという事実。

そして、だからこそ
私たち一人一人が出来る事の
大切な事柄の一つに
「日々の日常をいつものように営む」
という
ありきたりで有りながらも今後、困難も想定される事を
心掛ける事が、最終的には被災地・被災者の方々を支援する事に
なるということを肝に銘じておかなければならない。

下の▶は衛星写真へリンク
POSTの中のいる物いらない物。-津波被害箇所