備忘録

日々気づいたことを忘れない為に綴ります。


テーマ:
子どもが出来てから小さい頃読んでいた「ノンタン」を
子どもと一緒に再読するようになった。

その後、何冊か読んでいるうちに
作者が当時(1970年代)の大友康匠/幸子の共作から、
キヨノサチコに変わっていることに気づいた。

あれれ?どういうこと?
と思って調べてみたら、ネットで「離婚」「泥沼裁判」などという
おおよそノンタンの世界とはほど遠い物騒なワードが出てきて
夫婦の共作から、裁判を経て、妻の清野幸子単独の作品ということに
かわった、ということがわかった。

今でも、
裁判での判決の全文をネットで見られるので見てみたら、
共作といってもストーリーの展開から、主要登場人物の造成まで、
はじめから、清野が担当しており、実質的には清野単独の作品だった、ということになっている。
それを踏まえて、今ではノンタンといえば、清野幸子の単独作品ということに
なっている。(裁判後の増刷本、ネット情報は全て清野氏の単独クレジット)

だが、
絵本を読んだ限りでは
夫婦で共作と言われていた前半と、2000年以降に出版された清野幸子単独作品とでは
明らかにテイストが違うように私には感じられた。

それに、この手に限らず、歴史を後から修正することはよくあることなので、
私としては「ノンタンは本当に清野幸子の単独作品なのか?」という疑問が残ったのである。

もしかして、裁判に負けた大友康匠こそが、本当の作者なのでは?・・・と。

そこで、何かいい手がかりはないかと探していたところ、
1982年に夫婦で、ノンタンの制作裏話を綴った本「二人でノンタン」が出版されていたことを
発見した。

この本は離婚の3年前に書かれたもので、裁判でもこの本に書かれたことが本当のことなのか、それとも単なる共作を装うウソの本なのか、ということが争われている。

当然私がその「真実」を知っているわけではないが、この本を一読しただけで、
少なくともこの本がかなりのガチな要素が含まれていることは間違いない、と確信した。

と、いうか、それくらいぶっちゃけていて面白かったのだ。

冒頭からいきなりこれである。

「二人が一緒に(ノンタンの)絵本をつくるのだから、さぞかし仲睦まじく笑顔で愉しく絵を書いていると思われるでしょう。ところがそれは大間違い!血で血を洗う戦いの結果、ホンワカと無邪気なノンタンの世界が出来上がるのです。」

本の中ではこの「血で血を洗う戦い」のディティールがかなり細かく描写されている。

次の展開は「ノンタンおよぐの大好き」の制作過程で両者が衝突した、というエピソードである。
「およぐの大好き」の原案となったノンタンが魚釣りをする、というストーリーを清野が作成し、それを大友に見せたところ・・・

「ミスターノンタン(大友)は(略)面倒くさそうにペラッペラッとページをめくります。そして、ちょっとでも気に食わないところがあると(略)慢心の力をこめて大きく「×」を描くのです。
「君はまだまだ基本ができてないじゃないかな。絵もストーリーもアマチュアの域を脱するのはこの分だと何年も先のことか」(略)「僕はたちどころに「おにごっこ」「かくれんぼ」「まいごになったノンタン」の絵コンテを作ってみたんだ。君が1つつくっている間に3つも話をつくる。これはプロとして当然のことだろうけどね」
(略)
ミセスノンタン(清野)の目は悔しさにギラギラ燃え上がっています。もちろん今度はミセスノンタンの敵討ちです。
(大友の作った作品を読んで)
「こんなひどいでたらめなこと描いて、よく平気ね。なんでノンタンやうさぎさんがああ疲れたってコーヒーを飲まなくちゃいけないのよ?読者は子どもなのよ。子どもがコーヒー飲むわけないじゃない」
「このおにごっこの話なんだけど、ノンタンの腕白ぶりがまるっきり出てないと思うわ。こんなストーリーじゃ、子どもが胸をわくわくさせて読んでくれないわね。保証するわ。」「かくれんぼの話だって、同じよ。ノンタンがブランコで見せたあのノーティーな性格がぜんぜん出ていないし、後半は泣き虫ノンタンになっちゃってるわ。」「あなたは思いつきだけでストーリーを作るから、登場するキャラクターの性格がでたらめになっちゃうのよ」
ミスターノンタンが一言いうと、ミセスノンタンは三言も四言も言い返します。二人は本気で怒り合い、口ではかなわないと思ったミスターノンタンは表に飛び出すのです。
「あなた逃げるのね、まだ話は済んでいないのよ」


本書には終始この調子で、二人が対立している様子が描かれる(離婚前の発表時には、それでも仲良し、というオチがついたのだが、離婚と泥沼訴訟を知った今から読むと、とても「仲良く喧嘩」したエピソードには見えない)のだが、
二人の関係、しいてはノンタンの作者問題の真実が上記のエピソードに全て出ているように僕には思える。

つまり、僕の考えでは、答えは次のようになる。

1、ノンタンのキャラクター(ちょっといじわるで、わんぱく)、ストーリーを考えだしたのは
ほぼ清野幸子で間違いない
これは裁判判決を読むまでもなく(スケッチ、下書きを見ると清野が元を作ったという証拠があるらしい)、本書を読んで清野のキャラクターを知ると、ノンタンが「清野本人そのもの」だということが見えてくる。大家族のお嬢さんとしてのびのびと育った清野は、ノンタン制作時には、恋愛経験もないままに大友と結婚した奥手な女性だった。人生経験が少ない分、知識には限界があるが、その一方で、子どものような天真爛漫な心を持ち続けていた、ことが本書を見るとよくわかる。
また、清野は旺盛な好奇心の持ち主で、結婚後に一人でトンガに3ヶ月間旅行したり、合気道で初段を取り、晩年には飛行機のライセンスを取るなど、常に積極的に行動している。
これは、出不精な大友とは対照的であり、離婚の原因が性格の不一致などだけではなく、清野が「一漫画家の妻として収まる器」ではなかったことが一因だったように思える。


一方、大友は離婚後に絵本「まいごのプックン」(93年)を出版しているが、これは上記の「まいごになったノンタン」を受け継いで作られたものだと思われる。
そして、その内容は、かわいいクマがまいごになって途方に暮れるだけの全く面白みに欠けるストーリーで、まさに清野が批判していた通り「子どもがわくわくしない」話である。つまり、大友単独の作品はノンタンとは対極で、これを読んだかぎりでは、ストーリー作成において主導権を握っていたのは間違いなく清野側であったと思わざるをえない。

2、絵が上手かったのは大友である

大友は、清野が弟子入りした漫画家である。歴史に残るヒット作はないが、ノンタン出版時までにそれなりに作品を残してきたベテランの漫画家であった。
本書でも、旅行時に必ずスケッチをする大友のエピソードが語られているが、大友が背景、絵の構図、人物の動きなど、単純に絵の問題になれば、清野よりも優れていたことは間違いない。
上記のエピソードの「基本ができていない」という発言からもわかる通り、大友は結婚後も清野を自分の弟子として見ていた。

実際、清野単独作品となる2000年以降の作品は、背景があまり書き込まれず、また書かれていても奥行きのない平板な絵が多く、一方、大友が離婚後に出版した絵本「こぐまのプックン」シリーズでは、奥行きのある背景が書き込まれたページが多く登場する。

80年に発表された「ノンタンのたんじょうび」で家の側面に回り込んだりする「立体的な展開」などは、大友の画力なしには成り立たなかったものと思われる。(少なくとも清野単独の絵本にはそのような立体的な絵がほとんどない)
その点でいえば、大友の貢献は一枚絵の良さだけではなく、ストーリー展開にも影響を与えるレベルだったと言えるだろう。

3、清野あっての作品だが、ストーリーに大友の影響も見られる
ビートルズの名曲「hey jude/ヘイジュード」は、ほぼ完全にポールマッカートニーの作品で、ジョンレノンも「歌詞も曲もほとんど貢献していない」と認めている。
だが、この作品の歌詞の一部をポールマッカートニーが迷っていたところをジョンレノンが「一番いい歌詞なんだから残すべきだ」と後押しされて、そのままで発表した、という有名なエピソードがある。

このように、共作者が形だけであろうと、その存在や、また共作者のふとした感想などは作品に大きな影響を与えることがある。
清野/大友の場合も、大友が上から目線(10歳以上年上で、プロとしてのキャリアも全く違うのだからある意味で当たり前だ)で、清野の作品にダメだしを繰り返したことが作品をいい形で洗練させたことに疑いはない。
また、清野の負けず嫌いな性格が、大友には及びもつかない作品を作ろうという大きなモチベーションになったことも間違いない。
と、同時に天真爛漫な清野のイマジネーションが行き過ぎた場合に常識人として、ブレーキをかける役目にもなったであろう。

二人の最初の作品「あっかんべー」の家の中が、あっかんべーしているように見える、というややドラッギーだが、微笑ましいストーリーと、最後の作品となった「スプーンたんたんたん」のリミッターを超えてしまったドラッギーな展開(マリファナ入りのブラウニーでも食べながら描いたのではないか、と疑ってしまう)を比べれば、そこに天才(だが天然で未熟)と常識人(だが凡人)による共作と、リミッターのない天才による天衣無縫な単独作の違いを見いだすのは難しくないはずだ。


以上の結論から見えることは、裁判で白黒はっきりつけたように
ノンタンを清野一人の作品にする、というのはいささかやり過ぎなのではないか、ということだ。

一方で、漫画では、ストーリーを作成し、主人公の顔だけ描いて、後はアシスタントに全て任せていても、クレジットはストーリーを書いた作者一人だけというのは当たり前にあることなのもまた事実なので、慣例的にはこのままでいい、のかもしれない、とも思う。

いずれにしても、こうやって歴史はどんどんと修正されていくのだなぁ、ということを
改めて思った次第です。

今回はたまたまノンタンで調べてみたが、こうやって「俺がやったはずの貢献がないことにされている!」と墓の下でプンプンしている人も多いんだろうな、と想像してしまう。





















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