錯視をご存知でしょうか?


錯視というのは、目の錯覚のことで
例として次のような図が用いられる事が多いです。
http://xy1-suikun.com/asp/eye11532876/


この画像には、3つの図形が描かれています。

人の目には、中心の線分の長さが異なっているように見えるのですが
実際のところすべての線分の長さは同じです。


何故、このような目の錯覚が起こるのかというと
人は絶対的に物事を判断しているというよりも
"相対的"に物事を判断しているからです。

他との関連性を考慮して、
それらを判断しているからこそ起こる現象ってことですね。


これは、ビジネスでも様々なところで使われます。

例えば、ちょっと雰囲気の良い和食料理店に行ったら
次のようなメニューが有りました。

松定食 5000円
竹定食 3000円
梅定食 2000円

さて、このちょっと雰囲気の良いお店に行った時
多くの人が注文するのはどの定食でしょうか?

そして、お店側として利益が一番良くて
お客さんに頼んで貰いたい定食はどれでしょうか?

結論を言いますと、このような状況では
かなりの割合でお客さんは竹定食を選択します。


何故なら…


「せっかくこのような雰囲気の良いお店に来たんだから
一番安い定食を頼むのはちょっとな…。

でも松定食は高いし…。

それじゃあ、中間をとって竹定食にしよう!」


という思考のもと、ほとんどの人が竹定食を頼むからです。

そして、お店側はこのようなお客さんの心理についてもちろん知っています。

ですから、最も利鞘の大きい定食を中間(竹定食)に配置しておきます。

そうすれば、お店としても利益を出しやすいので。


ここで、ちょっと条件を変えてみます。

もし、先ほどのお店が、

竹定食 3000円
梅定食 2000円
の2択であればどうでしょうか?

もちろん、先ほどの竹定食や梅定食と中身は実質同じだとします。

このような条件では、竹定食は売れにくく
梅定食がかなり売れることになると予想が付きます。

そして、実際に梅定食が売れやすいのです。

この事からわかるのは、竹定食を売りたいなら
竹定食よりも一段階上の価格の定食(松定食)を追加すればいいのです。

これが、先ほどもお話をした
人は物事を相対的に判断してしまうという原理のビジネスへの応用です。

普段無意識の内に、多くの人が同様に判断してしまう原理があるからこそ
それはビジネスとして使えるものになります。

消費者であれば、その点をしっかりと意識していけば
より賢明な消費が出来るようになります。

販売者であれば、その点を意識していけば
消費者心理を巧みに操って、より利益を出しやすくなります。


このような勉強は、社会を生きていく上では絶対に避けては通れない事です。

誰もが日々商品を購入して、そして社会人になれば

利益を出すために販売者側にならないといけないからです。

しかし、日本の教育ではこんな事は教えてくれません。

だから、個人個人で学んでいく必要があります。

普段から意識しないと、そのような事を学ぶことはできないので
何気ないことにも注意を払っていく必要があります。

なるほどっていう話があったので紹介します。

ある美術学校でのエピソードである。
 
陶芸の授業のとき、

最初に教師はクラスを2つに分けた。
 
そして、アトリエの左半分の生徒には作品の量によって、

右半分の生徒には作品の質によって採点すると告げた。
 

採点の日が来て、興味深い事実が明らかになった。
 
優秀な作品は、すべて、“量グループ”から生まれたのだ。
 
量グループの生徒は、たくさんの作品をつくっていく過程でいくつも失敗し、

そこから学ぶことでいい作品を次々と生み出すことができた。
 
しかし、 “質グループ”の生徒は、完璧な作品について理屈をこねるだけで手を動かさなかったために、

成果として残ったのは、壮大な理論と作品になりそこねた粘土だけだったのだ。
 
あなたの目標が、ビジネス、スポーツ、芸術、人間関係など、どんな分野であろうと同じこと。
 
進歩する唯一の方法は、「トライ・アンド・エラー」をくり返すことだ。
 
そして、そこでの失敗を経験という財産に変えていくのだ。
 
【人の心に灯をともす】http://merumo.ne.jp/00564226.html より


 
P.F.ドラッカーは、次のように言っている。
 
「間違いや失敗をしたことのない者だけは信用してはならない。
 
そのような者は、無難なこと、安全なこと、つまらないことにしか手をつけない。
 
人は優れているほど多くの間違いをおかす。
 
“ドラッカー 365の金言”(ダイヤモンド社)
 
安全や無難なことを目指すなら、何もしないことだ。
 
何かにチャレンジすれば、何回かは必ず失敗する。
 
人間がやることで、

100発100中の成功など、

この世にありはしない。
 
失敗を恐れない勇者だけが、

成功を手にすることができるのだ。
 
「倒れたら起き上がる」
 
何回失敗しようが、

そこから起き上がり、

あきらめずにチャレンジし続ける人に勝利の女神はほほ笑む。

指導者として自身の価値を示すにはどうしたら良いでしょうか?

世間一般でよく使われているのは
その人の「プレイヤーとしての実績」です。

例えば、陸上競技100m世界記録保持者ウサインボルト選手が
今後走り方を人に指導しようとしたら


『私は男子100m.200m.4×100mリレーの世界記録保持者です。
オリンピック、世界選手権で何度も優勝したことがあります。
だから、私が走り方を指導すれば、速く走ることができます。』


として人にその凄さをアピールします。
これらは、その人がその競技をプレイした上での実績ですから
プレイヤーとしての実績となりますね。


ウサインボルト選手のその圧倒的なプレイヤーとしての実績は
他を魅了して沢山の人が「教えてください!」と集まってくるでしょう。


しかし、プレイヤーとしては素晴らしい実績なのですが
果たしてそれが指導者として通用するでしょうか?


答えは、NOです。


どんなにプレイヤーとして素晴らしい実績を持っていたとしても
それが指導者として優秀とは限りません。


ネットビジネスも同様に、自身で素晴らしい金額を稼いでいるからといって
人に指導する能力があるとは言えないのです。


だからこそ、それほど実績がない段階からでも
人に指導する能力を高めていく必要があります。



<指導実績の方が重要>


ここまでお話をしてきたことは、指導者になるのであれば


【指導者としての実績 > プレイヤーとしての実績】


でないとダメだということです。


ただ、そこら辺を適切に見極めることの出来ない人は
プレイヤーとしての実績だけに目を付けて、教えてもらおうとし
結局はその指導者には指導能力がない場合が多いので
良い成果を出せずに終わってしまいます。


では、プレイヤーとしての実績がなくても
指導実績のみをアピールして指導者となることは有効でしょうか?


実は、これもNOといえるでしょう。


何故なら、人は、その人がプレイしているところに憧れを抱いて
その人に指導して貰いたいと思うからです。


どんなに素晴らしい指導実績があろうとも
その人自身にプレイヤーとしての実績がなければ魅力を感じにくいのです。


つまり、魅力の感じやすさという点では


【プレイヤーとしての実績 > 指導者としての実績】

なのです。


そのような事があるために、
プレイヤーとしての実績も手を抜かずに伸ばす必要があります。