65年 | PORI BLO

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ここではTAPのこと、普段思うこと、感じたことなどを、徒然なるままに書いてみようとおもいます。

面白い内容ではないけれど、心が動いたから書くことにした。


夜中にTVを見ていたら、広島の原爆被爆者についての特集をやっていて、やはり今年も僕の親戚の人が出ていた。親戚と言っても遠い親戚で、もう何年も会っていないけれど、毎年この時期になるとTVで会う事が出来る。



彼の名は坪井直という。

1945年8月6日。爆心地から約1.2キロの富士見町(現中区)で被爆した。全身やけど。「周りも致命的なけがの人ばかり。みんな将来があっただろうに。命とは何なのか、そんなことばかり考えた」。市内の親類宅へ向かう途中、橋上に座り込み、石で地面に「坪井ここに死す」と記した。
(以下のリンクから抜粋。)
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20100419150439943_ja



彼は広島被団協の理事長を長くやっていて、今年の5月は核廃絶の為にNYに出向き、国連の会場で証言している。
ちょうど僕達がやっているTAPフェスの時だ。


戦後65年経った今、被爆者の方々も高齢化が進んでいて、その「被爆者」がいなくなる日が近づいている。
広島では各地域で被爆者の方々が集い、原爆について語り継いできたが、最近ではその人口の減少から、慰霊祭を開く事も難しくなってきているそうだ。
そんな中、彼は85歳という高齢にも関わらず、県内、国内、世界を飛び回り、一人の被爆者として核廃絶の為に奔走している。
NYといえば飛行機で10時間以上、85歳ということを考えればその移動時間だけでも決して些細な問題ではないと言える。



そのような人が身内にいて、僕は誇りに思う。
僕という人間を構成しているのは、家族は勿論の事、今まで生きてきて出会った人物や環境や経験がすべてだ。彼も僕の中の一部を占めていると思うと、身が引き締まる思いだ。




「人は理想を失った時に歳をとるのだ。30代でも40代でも、理想を失った時が、老人です。私はこれからも理想を持ち続けますよ、そうそう潰れてなるものかと思っとります。」




次に広島に帰った時は、会いに行こうと思う。