本能のままに | ロンドンつれづれ

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夫が見つけてくれたスケート関係の動画を見ていたら、羽生選手が「来季は本能のままに・・」というような発言をしていたと思う。

 

これは、楽しみだな、と思った。

 

というのは、今季のプログラム、とくにフリーの方は「オリンピックにはちょと向いてないかも」と思っていたのだ。

 

世界選手権を現地で見て、あのショートからこのフリーに持ってきて優勝した羽生選手。 私も含み、観客は熱狂して立ち上がった。 なんてドラマチックな選手だろう! 素晴らしかったし感動した。 ミスのないクリーンなフリーをきっと最後にして見せるだろうと思っていたので、その期待にも沿ってくれた。 しかし、私にはあのフリーは「慎重に滑った」ようにも見えたのである。

 

試合運びとして、あの勝ち方には大喝采だったし、実際のところスコアも230点を超すかと思ったが、あの点数は私としては思ったよりも低かったのである。TESが。 彼のジャンプについたGOEはもっと高くても良い、言ってしまえば他の選手のジャンプについたGOEを大きく引き離した、ほぼ満点のGOEでもよかったのではないか、と思ったぐらいである。 

 

すべてのジャンプの入りの難しさ、空中での姿勢、軸のぶれなさ、高さ、飛距離、回転不足のかけらも見えない着氷、着氷の姿勢の美しさ、降りた後流れるエッジ、その方向、そしてすぐに難しい演技に入っていく、出方、前後のトランジションの難易度、音楽にピタリと合わせたジャンプ・・・。GOE採点のすべてのボックスに✔のつくジャンプである。

 

だから、フリーのスコアは、230点に届くか、と思ったのだ。 世界選手権の羽生選手のスコアは、からめの点数だな、と思ったのである。

 

ただ完成形を見た後でも、ホープ&レガシーは、オリンピックのように4年に一度しかスケートを見ない人々を大いに沸かせるタイプのプログラムではない、そして、羽生選手の持つ強みを一番生かすタイプのプログラムでもない、という気持ちはあった。 だから、クリーンに滑り切った最高の演技の世界選手権でも、その試合運びのドラマは置いておいてフリーの「演技」だけを切り取ってみた場合、少し慎重だったかという印象を受けたのである。 

 

しかし、あの場合、慎重に滑ってミスのないクリーンな演技をすることは、最優先順位だった。だから、勝負師としての、そして選手としての演技としては、あれはベストだったのである。 

 

つい先日、宇野選手が来季のプログラムの音楽を発表した。夫にそれを伝えると、「ウオー・ホースだな・・」と一言。 War Horse とは、戦場の馬という意味、そしてある分野でのベテランを指した言葉だが、もう一つの意味は「よく使われる」という意味でもある。つまり、戦場の馬のように強さもあるが、使い古された、という意味も含むのである。

 

トウーランドットと四季の「冬」。 どちらも多くの人の知る曲で、確かに多くのスケーターたちが使ってきた曲である。 ドラマチックな盛り上がりがあって、フィギュアスケートのファンでない人でも、入れ込んでプログラムを見ることができるぐらい、音楽に助けられる可能性が高い。 演技中に会場の客が乗れば、審査員は「観客とのエンゲージメント」という部分で得点を高くつけるだろう。スケーターも乗りやすい曲だし、観客の「ノリ」に助けられもするだろう。

 

しかし、逆にまた、使い古されたイメージをぬぐわなくてはならないから、コレオグラフィはかなり知恵を絞った方がいいだろう。 技術のないスケーターが滑れば、音楽に負けてしまうかもしれないが、宇野選手ならそれは問題にはならないだろう。 彼の今季の成長の仕方は目を見張るものがあった。 私の予測を裏切ったスピードで、めざましく成長したのである。 来季に一つ注文をつければ、今までの宇野選手と違った面を見たい、という部分である。 この選曲では難しいかもしれないが、今までのイメージの殻を破ってほしい、というのが私からのワガママな注文である。

 

今や世界のトップを争うのは、日本の羽生選手と宇野選手。 オリンピックまでにはネイサン・チェン選手やボウヤン・ジン選手がどう伸びてくるか、それも楽しみだが、現状は、羽生・宇野の両選手がワン・ツーであることは間違いない。 この二人が、オリンピック・イヤーに向けて、どんな戦略でくるか。 宇野選手は、ある意味、無難な選曲できたな、という印象だが、そこに斬新さを加えてくれるかどうかが、見どころ。

 

そして、羽生選手の「本能のままに」という発言。 これは、今季のフリーでちょっと欲求不満気味の私には、「ようし!来たか!」とにやにやさせてくれる、挑戦的な発言なのであった。 技術はそこにある。 それをもう世界選手権のフリーで証明して見せた。 スコア的にはもっと評価されても良かったぐらいだ。 SPだって、ミスはジャンプたった一つで、他の部分は素晴らしかった。 (一つのジャンプミスがスコア的には大きく響いてしまうのがSPなのだ・・・) 

 

あとは、そのたぐいまれなる技術をクリーンな演技で披露すると同時に、羽生選手の一番の強みである「本能」の部分にスイッチが入るかどうか、それをオリンピックで発動することができるかどうか、なのである。 

 

彼を「天使」だの「妖精」だのと表現したがるファンもいることは知っている。そして、それは可愛らしいのだが、私の「羽生観」は実はまったく違っていて、彼はリンクに入った途端にキラー・インスティンクトのあるアニマルになると思っている。 実際試合会場に入って観察していると、たとえ練習風景にしても、彼の表情を見ているとわかる。 天使でも妖精でもなく、彼は「勝つ!」というアスリートの本能を剥き出しにしたスケートをするアニマルなのだ。 そしてそれが彼の強みなのである。

 

音楽が鳴り出すと、その音に身をゆだね、体が自然に動くようなスケーターであって、エキシビションなどで見せる滑りが、本来の彼のスケートなのかもしれない。 音に浸りきって音を拾い表現するタイプのスケーター。 しかし、試合では一つ一つのエレメントとトランジションを通して、高得点に結びつけていかなくては勝てないから、音に浸りきるというよりは、「次はクワドサルコウ、はいできた、次はコンビネーションスピン、はい終わった、次は・・・」と頭の中は一つ一つのエレメンツの注意ポイントなどを心の中で確認しなくてはならない。(少なくとも、私程度だとそうなる) よくスケーターさんが「考えすぎた」というのはそういうことじゃないかな。考えすぎて失敗することもあれば、失敗すればリカバリーも計算しなくてはならない。

 

しかし、羽生選手は「来季は?」と聞かれて「本能のままに」と答えた。 これはいいぞ・・・と思うのである。 オリンピックという特別なシチュエーションで「本能」のままに滑るには、オリンピック向けのプログラムを持ってくることがけっこう大事なのである。

 

彼の本能の部分が生かされた選曲、コレオグラフィになれば、きっと彼はここ一番の試合でゾーンにはいった演技をすることができるだろう。 次のオリンピックでは、誰であろうとミスをしたものは勝てないだろう。 そのぐらい油断できない状況なのである。 選曲も、プログラム構成も、新しいものに挑むのではなく、確実にできるエレメンツを、ミスなく、高いGOEで美しく演じて、さらに高いPCSを取らなくてはならないだろう。 

 

要するに、来年の2月までにはプログラムが完全に自分のものになり切っていて、考えなくても体が自然に動き、自分の本能のままに感情をこめて滑ることができるようになっていること。 それが勝敗を分けるのではないか、と思うのである。 おそらく、羽生選手はそれをよくわかっているのだろう。 自分の強みも、そして翔る自分のかかとに、追いすがる若馬たちの息吹がかかりつつあることも。 新しいものを加える,イチかバチかのリスクをとるよりも、作品の洗練度を上げることが大事なのである。

 

今の状況では、羽生選手が今の難易度の構成のプログラムをミスなく滑り切れば、まだ彼に勝てる選手はいない。 その上で、かなりなマージンをつけて勝つには、クリーンなプログラムを高いGOEとPCSで、ということになり、さらにジャッジも含めて観客を感情的に巻き込む彼のスケーターとしての「本能」という魔法が必要であろう。 2012年のロミオとジュリエットのように。 

 

 

 

2018年、平昌オリンピック。

 

「本能」で滑る羽生選手の、鳥肌の立つような演技を期待したいところである。