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撮影開始から一週間ほど経った頃。
 
キョーコは相変わらずカインである蓮との距離の取り方に悩んでいた。
以前グアムで撮影したときは、蓮に対する気持ちを認めた直後ということもあって、吹っ切れたような気持ちでセツカになることができたが、トラマの撮影も終わり、お互いに忙しくすれ違いの多かった蓮とキョーコ。
その間にも蓮への気持ちだけが募っていたキョーコにとって、今このカインとセツカの近すぎる距離は辛かった。
 
 
まだ撮影は始まったばかり。
これからどのように蓮と関わっていったらいいのかと一人思い悩むキョーコは、今が撮影の真っ最中であることを忘れていた。
 
 
はっと気がついた時には、カインの敵役のマ☆ィアの一人がキョーコの目の前に。
突然視界に現れた大男の背中。
本来の流れであれば、カインが殴り飛ばしたその男を、セツカはひらりと避けるだけの極めて簡単な流れ。
 
しかしその時のキョーコは、キョーコにあるまじき事態が起きていた。
撮影中に撮影中であることを完全に失念していたのだ。
 
このままでは男の下敷きになることは必至。
キョーコは覚悟を決めて目を閉じたーーー
 
 
「セツッーーー!!」
 
 
気が付くと5メートルは離れていたはずの蓮に抱きかかえられていたキョーコ。
大事な頭と腰は、いつしかと同じように蓮の大きな掌にしっかりと包まれていた。
 
 
「っ!!敦賀さーーー」
 
 
キョーコの口から咄嗟に出た日本語は、蓮の人差し指に遮られた。
 
 
「…………セツ、怪我はないか?」
 
 
「ーーーっ!!」
 
 
"セツ"
そう。このような不足の事態でも、あくまで演技を続ける蓮を見て、キョーコはようやく思い出した。
 
今が演技中であることをーーー
 
 
(私ったら、何てことを……
撮影中であることはおろか、セツであることさえ忘れて…………)
 
 
次第に青褪めていくキョーコの身体を起こして座らせた蓮は、キョーコの身体の様子から恐らく怪我はないと判断し、ほっと胸を撫で下ろした。
 
 
「怪我はなさそうだな、良かっーーー痛っ!」
 
 
「っ!?」
 
 
蓮の異変に気づいたキョーコは、咄嗟にその元凶と思われる蓮の右手を取った。
 
 
「兄さん……手首…………」
 
 
「あぁ、ちょっと捻ったみたいだ……。
何、このくらい心配いらない。
セツが無事ならそれで…………。」
 
 
キョーコは蓮の優しさに涙が溢れ落ちそうになった。
悪いのは演技に集中できていなかった自分なのにと……。
 
 
「「カインさんっ!!」」
 
 
蓮の異変に気づいたスタッフが数人駆け寄ってきた。
 
スタッフと話した後、監督も交えて何やら話している様子を、キョーコはその場にへたり込んだままずっと眺めていた。
 
 
(私のせいで…………
私のせいで敦賀さんが…………)
 
 
すると間もなくして近づいてきた近衛監督。
 
 
「雪花さん、念のためカインさんは病院で診てもらうことにしました。
今日はカインさんの出ない、雪花さんだけのシーンを進めますが……
一旦休憩を挟みましょう。」
 
 
キョーコは自身の不甲斐なさに、堪えていた涙が溢れたーーー。
 
 
 
 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *
 
 
 
結局蓮がその日の撮影に戻ることはなかったが、監督からもらった休憩で何とか気持ちを切り替えたキョーコの撮りは無事に終えることが出来た。
 
 
蓮が戻ってきたのは夜遅く、カインとセツカとして過ごすビジネスホテルのあの一室にだった。
 
そわそわとベッドを整えたり、調理器具を一つずつ磨いたりと、落ち着かない様子のキョーコ。
 
扉にカードキーが差し込まれた微かな音を聞き取ったキョーコは、扉に向かって行った。
 
 
「兄さんっ……!!」
 
 
「セツ……ただいま。
遅くなって悪かったな……病院が思った以上に混んでいた。」
 
 
キョーコの視線が蓮の手首に向けられると、蓮もそれに気づいた。
 
 
「あぁ、ちょっとヒビも入ってたみたいだ。」
 
 
「っ!?」
 
 
ギプスで固定された手首を見て、再びキョーコの血の気が引いていく。
 
 
「……なさ……っ
 
…………ごめんなさい…………私のせいで…………」
 
 
「…………。
 
セツのせいじゃない。
 
俺がやわだったのがいけないんだ。
セツを守り切る強さが足りなかったのは俺の責任だ。」
 
 
蓮はそう言うと、ポロポロと涙を溢し始めたキョーコの頭を抱き寄せた。
 
 
「…………っ…………」
 
 
嗚咽を堪えるキョーコを抱きしめながら、蓮は一呼吸置くとこう切り出した。
 
 
「セツ、一つだけ聞いていいか?」
 
 
「…………な……に…………?」
 
 
「………………この数日、何を考えていた?」
 
 
「っ…………!」
 
 
キョーコはついに来たと思った。
自分の様子がおかしいことは、流石に勘の良い蓮には気づかれているだろうと……。
 
 
「………………。」
 
 
「俺に、言えないこと?」
 
 
確かに言えない。
蓮のことを好きになりすぎて、この役が辛いなどということは…………
 
でも、そんな自分の勝手で引き起こしてしまった撮影中の事故。
蓮に怪我まで負わせたのは紛れもなく自分のせい。
 
本当は、今でもこうして蓮に抱きしめられているこの状況を、心のどこかで嬉しいとさえ感じてしまっている自分が情けなかった。
 
 
「………………。」
 
 
「……他の男のことでも考えてたのか……?」
 
 
「っ!?違っ……!」
 
 
キョーコは慌てて否定した。
それだけはあり得ない。そんな強い気持ちで蓮の瞳をまっすぐ見つめた。
 
 
「じゃあ、一体何を…………?」
 
 
蓮もまっすぐに、キョーコの真意を探るようにその大きな瞳の奥を覗き込んだ。
 
 
「……っ、…………のこと…………」
 
 
「…………?」
 
 
「兄さんのことっ!!///」
 
 
蓮の至近距離での問い詰めに耐えられなくなったキョーコは、そう言い放つと蓮の胸を押し退けてベッドサイドへと腰掛けた。
 
 
「~~~もうっ///」
 
 
赤く染まった頬を両手で覆いながら項垂れるキョーコ。
蓮は一瞬何が起こったのか、今見たキョーコの表情は何だったのか、少しの間フリーズした後、ギシリとスプリングを軋ませてキョーコの背後へと腰掛けた。
 
そして後ろから再びキョーコをふわりと抱き締めた。
 
 
「セツ…………今の本当?」
 
 
「っ///ホントにホントよっ!
 
……久しぶりに兄さんに会えたことが嬉しすぎて……撮影中もずっと兄さんのことばかり考えてた…………。」
 
 
キョーコは役柄の事情を交えながら、ありのままを正直に伝えた。
あくまで今は演技中。
兄を愛しすぎているセツとしての言葉なら、きっと受け入れてもらえると信じて…。
 
 
「セツ…………顔見せて?」
 
 
蓮はキョーコの身体を捻らせて顔を覆った両手をそっと剥がした。
 
 
「………………っ///」
 
 
「……………………。」
 
 
ビジネスホテルの暗い照明の中でも分かるほど真っ赤に熟れたキョーコの頬をひと撫ですると、涙に揺れる瞳に吸い寄せられるように、蓮はゆっくりと唇を重ねたーーー。
 
 
 

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