小菅神社参拝 | 縄文のIsland

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先週、小菅神社へ行って来ました。前日に戸隠神社へ行こうと思っていたのですが、当日、ひとつ、ふたつ出来事があり、戸隠神社はやめて小菅神社へ行こうと決めました。

朝、用事へ行く時に道に(たぶん白い)へびが死んでいたんです。で、帰ってきた後に、道から草むらへ移したんです。車にひかれた感じのようでもなくそのままの状態でしたが、自転車かバイクにでもひかれたのかも知れないです。

何かあってどういうことか理由付けをするのは自分のインスピレーションだと思うのですが、へびと思って最初に思ったのは昨年、産土神社へお詣りに行く道中にへびがにょろにょろしていたのを見たことでした。もう10月末なのに未だ産土神社へお詣りに行ってないとずっと気になっていたので、用事を済ませた後に、産土神社へ行って、その後、戸隠神社へ行こうと思いました。産土神社へお詣りに行った後、10時くらいで、今から行って12時くらいになるなとか、これは死にケガレのうちに入るのだろうかなど考えて、自分のためではなくて、姪っ子のお礼に行こうと 思っていたので、自分ではなくて替わりにということなのでどうだろうと、それで今日ではないように思ったので、予定を変更することにしました。それで、いつか行こうと考えていた小菅神社へ行ってみようと決めました。

小菅神社の存在を知ったのはJRが出している「Resort 信州」という出版物を読んだ時です。「2015年」のもので、その中には、

『北信濃三大修験道“小菅の里”』
戸隠、飯綱と並び北信濃を代表する修験の霊場。奥社本殿は室町時代中期のもので、国の重要文化財に指定されている。小菅の里には、仁王門、観音堂、護摩堂などが点在する。

と書かれていました。

書かれていた内容は忘れていたのですが、知られた神社があるということは今までずっと頭にありました。

飯山市となっていたので、戸隠へ行く道中にあるので、近場だな、いずれ行ってみようと思っていました。最近になって場所が大体どこなのか知りました。それは今年の7月頃に戸隠へ行った時に、「ローソンの曲がり道の所」に「小菅神社」の看板を見かけた時でした。「野沢温泉スキー場」はその「ローソンの所の曲がり道」を行けばいいらしいというのを知ってて、「野沢温泉」もどうやらそこかららしいと(まだ行ったことはないのですが)わかり、その「曲がり道」は意識はしていたのですが、看板はずっと目には入っていなかったようでした。たぶんようやく行ってもいいということになったので目に入ったのだと思います。不思議です。

ということで、予定変更をしてすぐに直行しました。

情報は「ローソンの所の曲がり道」を行けば(たぶん)あるらしい?というだけで、なにも下調べもせずに行きました。御祭神の名も、どんな場所かもです。

「ローソンの曲がり道」を初めて曲がって行ってそこそこ行くと門が見えて来ました。通りすぎたのですが「一応確認しておこう」と戻り、それは「仁王門」だということを知りました。「成る程、古いものなんだな」と確認しました。その「仁王門」前が分岐で、来た道から真っ直ぐ行くと日帰り温泉があるようでした。「仁王門」を右の方へ行くと小菅神社「奥社」があるという案内があったのでその先へ行ってみました。道をずっと行くと途中気になるようなお堂があり、気になったので、通りすぎたのですがまた戻り行ってみました。小菅の観光案内の看板もあり、そこはどうやら「小菅講堂」ということでした。

今日でよかったのだろうな?というサインをもらい後にしました。そこからすぐ近くにお寺らしきものがあり、道沿いに鐘楼が見えていました。車を停めて近くに行ってみると、人に会い、長野市から「御朱印」を貰いに来た方で少し話をしました。すぐそこの道から「観音堂」があることを教えていただきました。私が「これから「奥社」へ行く」のだというと、「それは早く行ったほうがいい」と促され、“ああはい”と場所もまだわからないのですがその人とお別れをして、歩いて少し坂になっている道を上がって行きました。するとすぐに鳥居が見えたので、ここでいいらしいというのがわかりました。先ほどの人の「それは早く行ったほうがいい」という言葉を聞いて、「何もそう急がなくても」という気持ちがあったのですが、そこへ着いてわかったのは、「ああ、奥社は山の上にあるんだな」と、「登山するんだな、それは早く早くだな、ちょっと大変なことになったな」という気持ちでした。しかし、ハンカチを忘れてしまったので、替わりに車に積んである「温泉セット」からタオルをポケットに入れてきていたり、家では一旦薄い靴を選んだのですが、いつもの厚い靴に変えてきたりと、自分が知らない自分はもしかしたら知っていたのかもしれないと思いました。

それでタオルをフードつきのフリースに入れていたのを取り出して首に巻いて、フリースを腰に巻いてTシャツになり、意を決して登って行きました。今の時間は1時30分で、今から登って行って、2時30分頃までに着かなかったら折り返して来ようと決めて登って行きました。中々のゴツゴツした足場ですが整備されていて登りやすいですが、登山だなという道中でした。小菅山は1260メートルという標識があり、道中100メートルづつ標識が出ていて、600メートルくらいになってようやく何とか行って帰ってこれる感が湧いて来ました。最初はああどうしよう、しかし全力で登るしかないと必死で登りました。神だのみもして登って行きました。心の中で「伊斯許理度売命」に『楽に登れますように、無事に行って帰ってこれますように』とお願いしました。登って行くと、空海さんと関わりもあるようようなので、空海さんに「道中よい道(最短の道)を通れますように」とお願いしました。空海さんが錫で突いた(という)穴(がある岩)や不動岩というものがありました。

山は、途中途中に大きな岩が至るところにあるのが特徴的でした。ある程度(5、600メートルくらい)登ると周囲を眺めながら登る余裕も出てきて、何とかよい時間で着けそうだという手応えも出てきました。

「奥社」へ着いたのは2時少し前くらいでした。神社の右側面が入り口になっていてそこから鐘のある正面へ上がって行けました。左側には山から通している水(ここは「手水舎」的な場所かもしれません)とその背後に小さな滝的な岩肌に水が流れている場所がありました。さざれ岩の小滝的なイメージでした。そこには入り口脇下から行けました。お詣りした後で行ってみました。

「奥社」には大体10分ほどいた後、下山しました。

下山した後、また、「小菅講堂」へ行ってみて、その後、道を下るとすぐ近くに「里宮の小菅神社」がありました。来た時は全く気がつかなかったのですが、「奥社、奥社」と思って先先を見ていたので気づかなかったようです。「奥社」があるなら「里宮」もあるわけですが頭に全くありませんでした。。「里宮」に気づいて先にお詣りしていたらそこそこの時間になり、「奥社」はまた今度にしようと思った可能性はあったのでわからなくてよかったのかもしれません。「里宮小菅神社」前には御祭神の名前と由緒が書かれた看板があり、小菅神社の御祭神は「素盞雄尊(スサノオノミコト)」で、また奥社は七つの神社から神様を招きお祀りしており、本地と合わせて「八所大神」としてお祀りしているようでした。

「里宮小菅神社」前の看板から

奥社 御祭神
素盞雄尊 本地  小菅神社
伊弉再尊 熊野 早玉神社
広国押武金日尊 金峰 金峰神社
伊弉諾尊 白山 白山比め神社
大国魂命 立山 雄山神社
大己貴命 山王 日吉神社
瓊々杵尊 (?)場 伊豆神社
手力雄尊 戸隠 戸隠神社

里宮 御祭神 素盞雄尊
相殿 平城天皇・嵯峨天皇

由緒
小菅神社は飯綱市大字瑞穂小菅に鎮座され、小菅山の山頂近く岩璧に南面して、奥社、麓の里には里宮を配します。
小菅神社は、古来より、戸隠山、飯綱山とともに奥信濃三山と称せられ、一山を小菅山元隆寺と号しました。
古くは山岳信仰神仏両道の聖地、一大修験の霊域として栄えました。

神社史の伝によると、桓武天皇の御代に征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の戦勝祈願に参詣。(省略。)
奥社は明治以前までは、奥ノ院と称し、小菅山権現(馬頭観世音即素盞雄尊)と熊野・金峰・白山・立山・山王・(?)場・戸隠の八ヶ所の神々を八所権現として祀り、万民豊かにして、天下泰平、農耕の神として五穀豊穣を願う人々の信心篤く広く寄せられました。
明治以後は政令により小菅神社奥社と改称され、八所大神を祀り篤く信仰しております。里宮は、主祭神 素盞雄尊を祀り、相殿に平城天皇・嵯峨天皇を祀っております。(省略。)


里宮の小菅神社にはお詣りしてこなかったので、また行ってみたいと思います。奥社小菅神社へ行った帰りは、真っ直ぐ行くと日帰り温泉があるとあった「いいやま北竜温泉」へ寄って来ました。建物は少し入りづらい感を感じたのですが、温泉は4階にあり、とてもきれいな施設でした。入館料は500円でした。ここは「いいやま北竜温泉スキー場」に隣接している施設のようです。ファミリー向けのスキー場です。
ひとりで貸し切り状態で入って来ました。露天から空の雲を眺めていました。

また、小菅神社へお詣りに行ったら寄ってみようと思います。