この作品は、シベリアに抑留された経験を持つ父親から著者が聞き取った事実を元にしたコミックである。
著者の父は帰国して60年というもの、抑留生活の記憶に蓋をして生きてきた。今、聞いておかなければ記憶している人がいなくなってしまうと思った著者の働きかけにより、その重い口を開いていく。
おそらく父の口調は朴訥で、口ごもりがちであっただろう。
それに呼応するように、著者の絵柄は素朴で、ほのぼの系ともいえそうな趣である。
飾り気のない画風は、描き出される事実の残酷さをなおいっそう際だたせ、胸が締め付けられるようである。

著者の父、小澤昌一は大学生であった昭和18年、実感もないまま招集され、満州に送られる。実質的な実戦に関わることもないままに、ロシア兵に捕縛され、シベリアに送られる。
そこは酷寒の地。
マイナス40℃になることもある、屋内までが凍りつく寒さである。
しかし、それよりもなお人の心を凍らせたのは、絶望だった。

収容所生活がいつ終わるか分からないという絶望。いつ頃には帰れるとデマが飛ぶ。極悪な栄養条件の下での過酷な労働で、次々に倒れていく仲間たち。
だが、それに劣らないほど恐ろしいのは、依って立つイデオロギーが崩れ落ち、次に何がよしとされるのか、予測も付かないことだ。
軍国主義は敗戦によって崩壊し、シベリアではソ連の共産主義を押しつけられる。「アクチブ」と呼ばれる扇動者になるよう洗脳された者たちは、次々にかつての特権階級をつるし上げていく。従わなければ食料を減らされ、労働を増やされる。他人を貶めて自分の立場をよくしようとするものも現れる。偽りの密告でも、疑われたらレッテルを剥がすことはできない。
だが、帰国した後に待っていたのは、シベリア帰りは「アカ」だ、との色眼鏡だった。そのため、まともな職に就けなかったものも多かったという。

著者の父は4年間をシベリアで過ごした。1つ違えばもっと早く戻れたかもしれないし、あるいはシベリアで命を落としていたのかもしれない。
最長で13年をシベリアで過ごした者もいたという。

「ふるさと」を歌いながら逝った阿矢谷の魂は故郷に戻っただろうか。濡れ衣を着せられても毅然としていた碓氷は、その後、どのような戦後を送ったのだろうか。
戦争という極限状態が人に残す傷跡を思うと、粛然とせずにいられない。


凍りの掌/小池書院

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