さぁ、大学2年生です。


医学部に入ると、中学や高校の同級生、親戚などから良く聞かれる質問があります。


それは、


「何科のお医者さんになるの?」


「もう白衣着て病院に行ってるの?」


などなど。でも、質問の中で一番多かったのは、


「人の体を解剖するんでしょ?」


人間の身体を切り刻むという、おおよそ普通に生きていればやることのない「解剖」。


自分も受験生のころ、なんとなく医学部の象徴みたいに思っていました。


その解剖を2年生で行うことになるんです。


うちの大学の2年生では解剖学が中心を占めるカリキュラムが組まれております。


そんな解剖中心の生活の思い出です。




①大学生活


1年生は昨日の記事の通り、一般教養だったのでゆったりと過ごしました。


2年生からは専門科目が始まり、やっと「医学部に入ったのか~」と実感できました。


まずは解剖学の概論・骨学・筋学を学びます。


要するに、人間の体の名前やその働きをすみずみまで学びながら、解剖用語を日本語・英語・ときどきドイツ語やらラテン語やらで暗記をしていくんです。


ここから6年生まで、勉強の中心は暗記になっていくわけです。


それと並行して、生化学や生理学を学んでいきました。


生化学がどんなんで、生理学がどんなんかは端折りますが、まぁ人間が生きている仕組みを勉強するわけです。


そんなこんなをやっているうちにあっという間に3ヶ月が過ぎ夏休みに突入しました。


夏休みがあけると、前述の解剖学の知識を実践することになります。


そうです、人体解剖です。


人体解剖は、正確に言うと「系統解剖」と言います。


この系統解剖で解剖させていただくご遺体は、「献体」と言って医学教育のために死後解剖してもいいという方の貴重なご遺志のもとに解剖をさせていただいています。


解剖学実習は、解剖することで解剖学の知識を身に付けることが目的ですが、それ以上に、「献体して下った方の命」を感じながら実習を進めることが出来ます。


つまり、生命の重さを感じることが解剖学実習の最大の目的だと感じました。


そして、「人間の身体を解剖した」という事実は、もはやちょっと前の自分に後戻りできない、医学の道を突き進むしかないという強い決意をしたのを強く覚えています。


しかし、実際の解剖は体力勝負と言いますか。。。


まず、においです。


ホルマリンではないのですが、防腐のために薬品に漬けているのでそのにおいに慣れるのが大変でした。


解剖は、日によって違いますが、ほぼ毎日、午後1時から夜7時くらいまで、地下の系統解剖学教室でひたすら作業をするので、終わったころには髪の毛にまでにおいがしみついています。


解剖実習専用のTシャツとジャージを用意しながらやりましたからね。

時々廊下で後輩の2年生とすれ違うと、プ~ンと解剖のにおいがしてくるたび、この実習のことが思い出されます。


解剖自体は4人の学生が1つの班になって行いました。


この4人は戦友です。


というのも、解剖の試験は他の科目の試験とはことなり、筆記試験に加えて口答試験があったんです。


口答試験というのは、自分たちが解剖しているご遺体を用いた試験で、解剖学講座の先生が各班を回り、




「この臓器の名称は?英語ではなんと言う?」


「この筋肉の名称は?作用は?支配神経は?その神経って英語でなんて言うの?」


「解剖途中の心臓を出し、心筋について知っていることを述べないさい。また、fossa ovalisを指差しなさい。」




などなど、文字通り口頭で答えていく試験です。


ただ、例えで出した上記の質問。個人で指名されていませんよね。


4人それぞれが名指しされるのではなく、4人のなかの誰かが答えられればOKなんです。


つまり、誰かが答えられれば全員に点数が入り、誰も答えられなければ全員で再試験を受けるという、まさに運命共同体なんです。


もちろん最終的な成績は、筆記試験(これは当然個人戦)やスケッチ、レポートなどの点数の総計なので個人毎の頑張りが反映されますけどね。

なので、口答試験の前日は、徹夜してず~~っと解剖教室にこもって4人で勉強しまくったのを覚えています。


午後1時に解剖室にこもって、途中休憩をはさみつつ翌朝の8時30分までひったすら勉強。


そして午前9時に始まる口答試験へレッツゴー!


ね、体力勝負でしょ(笑


そして試験に勝つためには、当然役割分担して覚えるわけですよ。


4人のうち誰かが答えられれば良いんだから。チーム医療の一端ですかね(笑


「ボクは肝臓と胆嚢の関係するのを覚えるから、君は心臓担当ね。」


みたいな感じです。


自分の担当領域は詳しくなるのですがそれ以外は何も分からない状況になるので口答試験後には自分の担当領域を他の3人にレクチャーしたのも今ではいい思い出です。


(まとめると、口答試験前日の午後1時から始まり、徹夜で勉強。翌朝午前9時に試験が始まり終わるのが11時くらい。その後みんなで復習とかしていると午後1時。丸1日解剖漬けになるわけです。終わった後、外に出たときの開放感はたまりませんでした。)

そして長い長い解剖学実習が終わると、再び教室での講義が続きます。


微生物学や病理学を学んで、2年生は終わります。






2年生は医学の講義の量の多さや試験の厳しさに驚きました。


でも、自分が好きで入ったわけですから泣き言を言ってもいられません。


1年生とは打って変わり、講義はすべて出席ししっかりと頑張った1年でした。


初めて買った解剖学の教科書は、今でも大切に本棚にしまってあります。


ボクの医学の原点です!








②アルバイト


バイトのほうは、1年生のときに受け持った小学6年生算数がそのまま中学1年生数学に変わりました。


生徒の数も、5人から11人に増えました。


講師室で、


「あと2人入ってくれれば2クラスにできるのにね~。」


と先生方と話していたのを思い出します。


当時は13人以上で2クラスに分けて授業を行う申請が出来たんですね。


(ちなみに、このままの人数で中2に進級しました)


この1年間は、上記のごとく解剖が忙しかったり試験前にはお休みをさせてもらったりと教室には迷惑をかけました。


その一方で、中1から中3まで全学年を受け持つことになり、さまざまな工夫をこらしながら授業するのが楽しくなってきたのもこのころです。


カリキュラム無視の、とにかく「本物を見せる」理科の授業や、100マス計算を取り入れた計算練習など、生徒と一緒に楽しんだ記憶があります。


このころになると、バイトは疲れるものではなく、逆に疲れを忘れられるひと時になっていました。


大学の定期試験が終わると、「これから夏期講習だ!授業がたくさんできるぞい!!」とテンションがあがったものでした。


実際に始まると、高かったテンションも急降下し、疲労感満点になるわけですが・・・。


従って、1年生のときは夏休み・冬休み・春休みと旅行をしたりして楽しんでいたのですが、2年生からはすべて講習に捧げました。


人に話すと、「遊べるときに遊ばないなんてもったいない」とか言われますが、本人が楽しかったんだから仕方ないですよね(笑


ちなみにこの年に初めて中3(受験学年)を受け持ったので、自分以外の受験を見守るってのはこんなにも大変なのかと驚きました。


他人の子供の受験でも、あれだけ心配したりストレスを感じるのですから自分の子供を見守る両親は本当にすごいと思います。








というわけで、大学2年生でした。


一言で表すなら、「解剖」ですね。


周囲の人が聞きたがるのと同様に、自分としても解剖実習が始まる前夜は不安だったし期待とか好奇心よりもいやな気持ちが強かったので、かなり強く印象づいているのですね。



文章にすればこんなものですが、解剖の苦労や基礎医学の難しさを乗り越えたことは、我ながら良く頑張ったなと当時の自分を褒めてやりたいです。


ちなみに残念ながら解剖の班は全員が異なる病院で研修をすることになりました。


もう滅多なことでは4人が揃うことはないかもしれません。


でも、後輩の体から発せられる(笑)、解剖教室の匂いを嗅ぐたびに、あの辛かったけど楽しく、一生懸命に取り組んだ大学2年生のときのことを、そして4人の仲間を思い出すに違いありません。






次は3年生です。


なお、明日明後日は病院に用事があるので更新できないかもしれませんです。







ではでは。