こんにちはー。
今日は湿度が低いせいか
いつもより過ごしやすいですきらきら!!

ぼちぼち22日(土)の史跡巡りを
綴っていきたいと思います。


今回ご一緒したのは、アメブロで知り合った
遅咲きの桜鬼さんと、ターボさんですWハート

お2人とも、朝早くから上洛してくださいました。


京都駅・・・正確には桜鬼さん宿泊のホテルに集合し
フロントで「京都観光一日乗車券」(1,200円)を購入。

これは、市バス・地下鉄・京都バスが
一日乗り放題できるものです。
(私は初めて購入しました(笑))


まず最初に向かったのは京都御所。




ここへ来るのも約2年ぶりくらいかな。

今回は、堺町御門から入りたかったので
地下鉄丸太町で下車。








なぜ、堺町御門からかというと
禁門の変(甲子戦争)のとき
新選組がこの堺町御門から御所へ入ってるんです。
(久坂玄瑞の兵もそうですが)

なので、せっかく京都まで来てもらったので
なるべく新選組が通ったルートで行こうかと汗

まぁ、プチリアル体験?(笑)


そして、堺町御門を入ってすぐのところにある鷹司邸跡。







ここは、禁門の変の際
久坂玄瑞と寺島忠三郎が自刃したとされる場所です。

入江九一も、この鷹司邸を出たときに
槍で顔面を突かれて討死しています。


そして、次は建礼門へ移動。
この時にちょっと通り雨に降られ汗
すぐに止んで、その後はめちゃ日差しが強かったけどちーん





ここは。文久3年に起きた
八月十八日の政変で、新選組が警護した場所です。

ここと、その向かい側にある
当時容保公が宿舎(または役所?)としていた
御花畑と呼ばれる凝華洞。









前は確認できなかった(てかそこまで知識がなかった)ので
今回は、ちゃんと確認できてよかったきらきら!!

そして、宜秋門へ向かう途中にある
清水谷家の椋の木。







これは偶然見つけました(爆)

ここで、禁門の変のときに
来島又兵衛が討死したとされています。

御所内にこの木があるのは知ってたんですが
全くもってスルーしてたので
説明書きを読んでビックリでしたaya


この木のすぐ近くにあるのが宜秋門。





写真を撮るのを忘れたんですが←
この向かい側に「日野邸」と「烏丸邸」があり
新選組はそこで潜伏していた
長州人を5、6人討ち取っています。
(そこには何の碑もないんですが・・・)


そして、一番の激戦区だった蛤御門。








今でもこうして、銃弾の跡が残っています。


禁門の変の一番の目的は、容保公の首だったことは
前にもブログで書いたんですが
蛤御門から入ると、当時容保公がいた
凝華洞がめちゃ近いんです。

だから、ここが禁門の変で一番、激戦区になった
というわけです。

(・・・って
あたかも自分で調べた風に書いてますが
あくまで講習や本から得た知識ですaya



次は、御所から近い
京都守護職屋敷跡へ行きました。

つづく。逃げる