添乗員さんに繰り返して言われたことは
「近寄ってくる人には
それなりの目的があります。
だから、無視して」
でした。
たぶんそうなんだろうと思います
でもサンクレール寺院に行ったとき
ある人が
私たちに近寄ってきました
スマホを私たちに差出しながら
写真を撮ってと言いました
その時 私たちは
添乗員さんに言われたように
目を合わせず
その人の言葉を無視して
その場を立ち去りました
でもわかったんです
その人は
他の人に
写真を写してくれるよう
頼んでいました
《その人》は本当に ただ私に
写真のシャッターを押して
ほしかっただけでした
私たちは
その人の顔を見ることなく無視しました
悲しそうな空気が伝わってきました
人を信じて、
その人のために
力を自然に貸すことができる。
そんな日本に住んでいられることを
本当に幸せなことだと感じました。
実は・・・
私はこの後も
ずっと このことを考えていました
どうして
《その人》の希望するとおり
シャッターを押してあげなかったんだろう
私って こんな人間だったっけ
自責の念に駆られてしまいました
でも、こんな時
思い出した言葉が
【事実と思考を分けて考える】
でした。
私は
自分たちの危険を感じた
これは事実です
そして
その場から逃げ去った
これも事実
相手が本当は
どんな人だったか
私には判断する力がありませんでした。
本当は、悪い人ではなかったのかもしれないけれど
私たちには
たくさんの外国人がいる中で
《その人》が はたして
安全な人なのか、危険な人なのかを
判断する目を持ち合わせていない
だから
その場を立ち去った
それが事実
そして
本当は
危険がなければ
私は その人の思いを
聞き入れてあげたかった
これは
私の 本心
感情 思考の部分です
私の人間性が
その人を無視したのではなく
その事実の上に
私は その行動をとったのです
そうでした
私は
薄情な人間ではなかったのです(ホッ・・)
いつも いろんなところで
コーチングを学んでいてよかったと感じるのですが
今回もコーチングに救われました
皆さまも
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