回復が大手だなと自分でも、

認識できるところへ来て、


回復することへの恐怖に、

改めて直面した。


ブログを再開してから、

記事を連投して、

絶望を書き終わった時に、


普通の人の心が生きている

愛情が機能している世界

に入ったのかなと思ったけど、

一つ疑問があった。


愛情が機能している世界

に心が入る為には、

今までしてきた生き方、


気持ちを分かって貰うことを、

我慢して頑張る生き方が、

崩壊しないといけないのだけど、


気持ちを分かって貰うことを、

我慢して頑張る生き方が、

壊れた

と感じたことが無いということ。


回復する段階には、

必ず崩壊期という、

それまでしてきた生き方が、

壊れていく時期があって、

何回かに分けて、

崩壊は起こるって

高橋先生が仰ってる。


何回か崩壊を起こしてきたことは、

分かっているけど、

崩壊しきったな、

終わったな

という手応えを感じたことは、

無かった。


知らないうちに崩壊した?

うーん?


それに、

気持ちを分かって貰うことを、

我慢して頑張る生き方が崩壊する

=愛着の我慢が壊れること

だと思うけど、


これと、

見捨てられ不安の違いは、

何だろう?

って思ってた。


ここ数日、

気になって考えていたけど、

見捨てられ不安は、

母親に切り捨てられ続けた

心の傷かなと思った。


それと、

愛着の我慢が壊れる時に起きるのが、

トリックスターだったと思うけと、

それ以外にも起きるけど

この2つを

COに確認してみようと思う。


気持ちを分かって貰うことを、

我慢って、

要するに愛着の我慢のことで、


母親と愛着できなかった被虐者は、

皆んな、

愛着を我慢して生きてる。


そういう被虐者にとって、

愛着の我慢が壊れるのは、

自分の心が立っている大地が、

バラバラに崩れ落ちるような感覚

がして、

かなりの恐怖を感じる。


高橋先生の著書『消えたい』に、

書いてあるから、

その部分を読んで恐怖を

瞬間的に感じた被虐者の方

もいらっしゃると思う。


愛着の我慢が壊れる恐怖は、

何かというと、

被虐児の試し行動の心理と同じもの

なので、

高橋先生著『消えたい』の中に、

説明があるので載せます。


〜本文抜粋〜


被虐待児の『試し行動』は、
がまんが途切れてしまう恐怖から発する。

試し行動とは、
一般的には、
『虐待を受けた子が、
親とは違う年長者から
優しい扱いを受けた時に、
わざとその愛情を拒否して
試すような行動をとること』
とされている。

例えば、
食べ物も与えられず
暴力を振るわれ続けた子が、
保護された児童養護施設で
職員から優しい言葉と
美味しいごはんを差し出された時、
そのご飯を受け取らず
手で払いのけたりすることである。

しかし、
この『試し行動』という命名と
その説明は、
被虐待児の心理を誤解していると
私は考えている。

恐怖の中で
虐待を受け続けてきた子どもには、
大人の『愛情を試す』などという
余裕はない。
彼らはそんなことは絶対にしない。

では、
彼らが試しているように
見える激しい行動は、
いったいどうして生まれるのか。
実は、その激しい拒絶は、
自分のがまんが
途切れてしまう恐怖から発する。

虐待を受けてきた子どもは、
愛情と優しさを期待しても、
いつも親に裏切られてきた。

それでも、子どもは期待し続ける。

『親が自分に優しくないのは、
何か理由があるはずだ』、
『暴力を振るうのにも訳があるはずだ』
『自分がもっといい子になれば、
きっと親は優しくしてくれる』、
『ちゃんと言うことを聞けば、
暴力はなくなる』
子どもはそう自分に言い聞かせ、
期待をつなぎ、
今度こそはと思ってがんばる。

しかし、結局はいつも裏切られた。

その厳しい経験の中から、
やがて、
子は自分には温かい愛情を
受ける権利なんてない。

そんな期待をする
自分の方がおかしいと思うようになり、
愛情を期待しないで
生きていこうと決心する。

その決心は何度も揺らぐが、
そのたびに彼らは自分に言い聞かせる。
『期待する自分がだらしない、
そんな自分は馬鹿だ』
そうして彼らは、
ギリギリ自分の存在と尊厳を
保って生きていく。

そんな彼らが、ある時、
親から救い出されて
養護施設に保護されたとする。

そこで、支援者が、
温かい愛情とごはんを与えるとしたら、
彼らはどう思うだろうか?
『どうして僕にそんなことをするの?
僕はそんなものはないと思って
生きてきたんだ。
なぜそんなことをして僕をからかうの?
せっかくここまでがまんしてきたのに、
余計なことしないで!ひどいよ!』
そうやって、
差し出されたご飯を払いのける。


愛情を期待してはいけないのだ。
がまんを続けないと生きていけない。
がまんを止めるのは怖い。


『施設から出たら、
僕はまたがまんなんだ。
だから、そんなことをしないで!』
これが、『試し行動』と言われるものの
心理である。


これを読んだら、

被虐者の方は、

何かしら

心に引っかかるものがあると思うし、

今、何も心に引っかからないのなら、

そうっとしておいた方が、

良い時期だと思うので、

これ以上何も書かないというか、

これ以上の説明の必要性を感じない。


けど、

施設で、

育った方は大変だったろうなと思う。


愛着って特定の誰か1人、

普通は、主たる養育者の母親にする。


虐待を受けていると、

母親に、愛着はできない。


施設という世話をする人が、

複数いる場所で、

愛着を取り戻すことは、

不可能だと高橋先生が仰ってた。


それだけの理由だけじゃなくて、

未来が定かじゃない施設で、

愛着を取り戻すって危険なこと。 


上の解説にもある

『施設から出たら、
僕はまた、がまんなんだ。
だから、そんなことをしないで!』

って言葉、

その通りだと思う。


養子縁組などで、

今後、大人になるまで、

この家にいられると確信出来る様な

環境に変わった上で、


母親となった人が、

愛情のある関わりをしてくれれば、

『愛着の我慢が壊れる恐怖』

試し行動☝︎

の段階を経て、

愛着を取り戻せると思うけど、


日本の施設は、

親子の再統合を行うでしょ。


被虐の子どもは、とても賢いから、

家に帰るかもしれないことが

分かっている被虐の子どもが、

安心して愛着の我慢など、

手放せるはずがない。


虐待がある家から保護されて、

再統合されると、

施設に入ったことを

親に恥をかかされた、

迷惑をかけられたと、

責められたり、

暴力を振るわれたりすることは、

虐待を取り扱っている精神科医や、

カウンセラーの本に、結構、載っている。

そんな本を読まなくても分かる心を、

私は持ってるけど。


施設に保護され戻る度、

虐待が酷くなったりして、

より傷を負う上に、


『試し行動』の理解が浅い為に、

『そんなことばかりしてちゃ、

ちゃんとした大人になれないよ。』

という感じの説教を

されたりするんだろうなと思うと、

施設で育ったことは無いけど、

被虐児として、子ども時代を生きてきたから、

被虐児を普通の子どもと同一視している大人

の言いそうなことは、想像できる。

外れてないと思うな。


日本で、被虐児をやるのは、

家を生き延びる方も、

保護される方も、過酷だと思う。


折角、施設に保護をされて、

生き延びても、

愛着が回復できるケアが

なされていないから、

生きづらさから、

若くして自殺する施設出身者は多い。


愛着って人と繋がる力だから、

それが無くて、

身寄りも無いって、過酷なことだと思う。


ここで話しを戻して、


愛着の我慢が壊れる時、

また、壊れそうに感じる時、


心の奥底から、


愛情を期待してはいけないのだ。

がまんを続けないと生きていけない。
がまんを止めるのは怖い。


この恐怖が湧き上がるのを感じるし、


回復を考えると、

せっかくここまでがまんしてきたのに、

が口をついて出てくる。


ここで話しが飛ぶんだけど、


カウンセリングを

始めたきっかけって、


他者との関係性の在り方に、

生きづらさを、

強烈に感じた出来事があって、


その時、

『このままずっと

こうやって生きるのは、

無理だ、

今ならなんとかできるかもしれない。』

って、

強烈な熱量で思ったからなんだけど、


カウンセリングを受け始めて、

次から次へと

心の奥に埋めてきたトラウマの恐怖

が湧き出てきて、


他者との関係性の在り方での

生きづらさのこと、

すっかり忘れてた。


昨日のブログに書いた

今まで社会でしてきた

人との関係の仕方の特徴が、

大きくでる出来事で、

凄い恐怖を持ったから、


カウンセリングを始めてから、

2年くらい頭をチラチラしていたけど、


今やっと、

そこが色々、繋がって、

ブログに書けたばかりだから、

カウンセリングで

話せるはずもなかったなと思うし、

実際、話したことも無かった。


どう捉えていいかすらも、

分からないから、

言葉にしようもなかったもの。

これも、今度のカウンセリングで、

話してみようかなと思う。


それに、

それそのものをどうにかしたい

というより、

虐待のトラウマがあるから

こういうことが起きると捉えていたので、

複雑性PTSD、

頭の中を流れる

無数のフラッシュバックを

何とかしよう、

フラッシュバックさえなくなれば、

頑張って生きていけると思ってた 笑笑

↑頑張って生きる以外、知らない感出てるなと

自分で思った。


まさかその頑張りが、

問題になるとは、

しかも、

フラッシュバックが流れなくなったら、

頑張れなくなるなんて、

思いもして無かったよね真顔


後は、

娘の心が理解できなかったから、

分かるようになりたかった

っていうのもある。


その頃は、

知らなかったけど、

マイナス2歳の心で、

子どもを大人にまで育てるの、

無理があると思うわ。


いまだに、

うちの親子、

おたまじゃくしが、蛙育てたままよ。

娘の方が心理発達先行ってるもの。


それでも、

今は娘の話していることを

理解はできるから、

成長の足を引っ張ってはいない

と思えるけど、


カウンセリングを受ける前は、

確実に、

娘の心が理解出来なさ過ぎて、

成長の足を引っ張ってたと思うもの。

だって、

娘が理解できないところへ行って、

娘に何かあったら、恐いもの。

余計なことばっかり言っていたなと思う。


子育てに関しては、

カウンセリングを受けたことと、

高橋先生の勉強会に参加したことは、

得たものが大きかったと思う。


反抗期したこと無いし、

親が親だから、

生育課程でそんな知識無いし、

子育て本、

トラウマがあり過ぎて、

読めなかったから、

フラッシュバックをみて、

親を反面教師に、

ひたすら娘を傷つけない子育て

をしてたので、

気付く視点を持っていなかった。


だから、

反抗期真っ盛りの時、

反抗期だとは全く思わず、


ただ、娘の変化を

ありのままを受け止めて、

あれこれ考えて、格闘してた。


娘を生んでからの私の過酷さ

半端なかったので、

大変の感覚麻痺してたので、


高橋先生の勉強会の思春期

に参加した時、

初めて、


娘の反抗期が、

知らんうちに終わってた

ということや、

アレ、娘の反抗期結構、大変だった?

ってことや、

あの頃には、

終わっていたんだなと思うエピソード

に気づいてショックだった。


だけど、

たまたま

カウンセリングを始めた頃、

娘ちゃん反抗期で、

全く気づいていなかったけど


カウンセリングを受け始めて、

娘の話を格段に聞けるようになったので、

気づいたら、

なんかいい関係になってた。


今思えば、

カウンセリングに行っていたのに、

娘の相談しないって、

という気もしないでも無いけど、


娘を生んでから、

誰の助けも受けられ無かったから、


子育ては

自分で頑張るしか道などない

としか思ってなかったし、

あまりに普通とかけ離れた育ち

をしてたから、

どう聞けばいいかも、

分からなかったんだと思う。


ただ、一度だけ、

娘の言っていることが、

あまりに理解できなくて、

前のCOに聞いたら、


『星のさんは、期待したこと無いでしょ?』


『無いよ。そんなん。』


『娘ちゃんはね、

期待ができるの。

だから、色々なことを思って悩むのよ。』

って言われて、


期待する心を持っていないから、

『だから、色々なことを思って悩む。』

は、正直、ピンと来なくて

『?』だったけど、

私より健康なら問題無しと思って、

安心したのを覚えてる。


今は、娘の話を聞いていて、

気持ちが全く理解できない

ということは無いし、


『こういうことでしょ。』

って気持ちをまとめてあげて、

『そうそうそれ。』

って感じで、

娘が自分を理解する手伝いもできる。


自分の気持ちを汲み取るのを、

下手にしたのは、

私だと思うから、

罪悪感はもう無いけど、

子育てのし残し作業だよね。


自分の不始末は、

最後まで責任持とうと思うし、

お母さんできるっていいものだと思う。

ちゃんとお母さんになりたかったから。

☝︎宇宙人👽じゃ無い、

普通の子のお母さんみたいなお母さんって意味ね。

宇宙人👽母になるポテンシャルが、

私には、そもそも無かったけど、

そんなこと分からなかったもの。


ただ、したことない舌打ちは、

真面目にどうやるんかな?

と思ったし、

期待して悩むとかは、

聞いてて、

感覚的には、  

経験がないからよくわからないし、

悪いことじゃないし、

悩みでもないから、

またやってるな、

好きなだけやっときくらい

に思ってる 笑笑

愛着に纏わるものは、

ちょっと難しいよねと思う。


他に、

カウンセリングを受け始めた頃、

回復で思っていたのは、


弱い、弱いって責められて育ったし、

社会を生きづらい心で生きてると、

頑張ってないと感じるメッセージを

受け取ることが多かったから、


本当にそうなのか?

確認しなくちゃ気が済まない

って思いが強くあって、


心は生きてないけど、

死ぬこともできない、

この恐怖が、

終わるものであるのか、

もうどうすることもできないものかを、

自分の心で確かめてやりたい

って思ってた。

それが分からないと納得いかない。

って思ってた。


誰も、

私が心に持っている

心は生きてないけど、

死ぬこともできない恐怖

を、克服できないことを指して、

頑張っていないと 

言っていたわけじゃないっていうか、

私にそれがあることすら、

誰も知らなかったと思うけど、


その頃の私が、

頑張れないって考えると、

トラウマを克服できないことだったから、

思考がそこにいくよね。


その頃の気持ちを覚えているから、

理解はできるけど、

わざわざ
カウンセリングに通うのに、

回復をしてやろうじゃなくて、

回復するものかどうかを、

そのキワキワ迄行って確かめてやろう

って、思ってたことを、

どうなの?

って思う。


回復するなんて

全く思ってなかったんだと思う。

けどさ、


今、王手だなと思って、

やっと、

ここまで来たら、

治ってみとく?

って思ってる。

おっかなびっくりだけど、

だからだと思うけど、


キワキワまで行ったら、

治ろうよ。

と自分で突っ込みながら書いてる。


それ思ってた時は、

その思いのおかしさに

全く気づいて無かった。


もう一つ、

回復で思うことは、

間違っても、

普通の人みたいになれる

と思っていなかったってこと。

考えたことすら無かった。

これも、今、思うとどうなの?って思えてくるけど、

そうだった自分をやっぱり覚えているから、 

思えるはずが無かったなとも思う。


回復って、

回復を考える時には、

遠過ぎて全く想像つかなかったし、


自分の何処にも、

ちゃんと育った経験が無いことは、

分かっていたし、

だから、

治るが何か?

わかるべくもなかったし、

目指す場所すら分からないのに、

治れるものだろうか?

って話を

前のCOとしてたことを覚えてる。


『愛情が機能する世界に入るまで』

ってタイトルをつけてたのに、


よくよく振り返って考えると、

本当に、自分が入る

って思っていなかったな

と思うんだよね。


これだけ頓珍漢でよくここまで来たよね。


それで話を戻して、

愛着の我慢が壊れるのは、

自分の心が立っている大地が、

バラバラに崩れ落ちるような感覚

がして、

かなりの恐怖を感じる。


私、何回か感じてきたから、

余計、恐いのかな?

とも思うけど、


虐待が見えなかった無念

をひきづっているから、

この無念が晴れないと

(心が)死ねないって思うのと、


『今まで頑張ってきたに…、』

がまだあるのが、

心が死ねない、

回復できない理由だと思う。


頭が真っ白になって、

ブログを書けなかった頃、


やろうとすると、

生きていかなきゃいけない恐怖が、

凄い勢いで湧いて出てくるから、

生きている為に

しなくちゃいけないことが、

一気に、

ごそっとできなくなった。


どうなっているか?

全く自分で分からなかったから、


焦燥と、

自責が凄かったけど、


最近になって、

やっと、

物心ついた頃から、

1人責任を背負って、

沢山の焼け野原の様な心の傷

を負いながら、

孤独に生きて来たんだもの、


そりゃあ、

停止もするし、

生きることをする恐怖も湧き出すわな。

怖かったんだなと、

幼き私を振り返って、

そう思えるようになった。


カウンセリングでも、

話していると、

始めて自分の時間を持つ様な、

かけがえのない時を

過ごしている様な、

ツーンとする気持ちが

するようになってて、


回復が、恐いと気づいた時には、

狼狽えたけど、


虐待が見えなかった無念と、


『今まで頑張ってきたに…、』

って思いって、


虐待される中を育って、

今まで生きて来た私が、

持っていて当たり前の思いだと思うし、


今まで、

大事にして来なかったのもあるし、


回復するまでの間、


大事にして、

自分にとって、

ジーンと胸に響くいい時間

を過ごしたいなと思う。


そんな時間持ったこと無いもの。


気持ちが整理できて、

ちょっと前向きになれたし、

やっぱりこの内容は、

ブログを少し、

お休みする前に

書いて整理して置きたい内容

だったので、

書いて良かったです。


そして、


前のめりくらいになると、

心から色々、出てきて、

返り討ちに遭う体質 笑笑

みたいなので、


ちょっと前向き

ぐらいが、

私には、丁度良いと、

やっと

学習しましたお願い


スッキリしたから、

後は、書かないといけない

と思う類のことが、 

出てこないことを願うばかりです。

なんとなく出切った感がするので、

大丈夫だと思うのですが…。


何も出てこなければ、

暫く、ブログを書くのを、

お休みしますお願い

コメントの返事も遅くなると思います。


いつも読んで下さって、

ありがとうございます♫


スタースタースタースタースター


ブログを書いていると、

連想されて、

どうしても色々、

出てくるものがあって、


今は、総合的な受容の時かな

と思うので、

切り捨てると心に残るし、

別に書くのは手間だし、


そのままの流れで、

書いていこうと思って書いたけど、

話しの途中にあると、

読みにくいので、

下に持ってきました。


バラバラだった心の補修作業なので、

温かい目で見守って下さいショボーン


また、ブログを書き始めたら、

本題を書いてて、

連想されて出てきたものは、

1番下に残して置こうと思います。

これが無くなる日が、

来たらいいなと願って。


クローバークローバークローバー

崩壊の話を書いたら、

『星のさん、回復とは、崩壊よ。』

って言ってたCOの言葉を思い出し、


する前に言われると、

恐くて身構えるから、

黙って見守って欲しかったと、

今度、本人に愚痴ろうと思ったチュー


どうしてカウンセリングで、

気持ちを聞いて欲しかったかを、

COに愚痴ろうと書いたら、

思い出したけど、


娘の話が聞けなかったからだった。


自分が話を聞いて貰ったことがないから、

聞き方がよく分からないし、

聞く話しに似た、

自分の聞かれなかった話の体験が、

心の中で、

ダブって邪魔をする。

フラッシュバックグルグル旋回してたし真顔

聞いて貰った体験さえあれば、

こういう時、

こうして貰ったなと思って聞ける。

それさえ手に入ったら、

いくらでも聞いてやるのに、

ただそれだけが、

なんとしても手に入らない‼︎

ってずっと叫ぶように思ってた。

今、娘ちゃんの電話で、

1、2時間、

へいちゃらで話し聞ける。

話しを聴いて貰う効果絶大だった。


COにCO本人のことを、

愚痴ろうって発想始めてした。

聴いて貰えると

本当に安心してきたんだと思う。


COにCO本人のことを、

愚痴ろうって書いたから、

娘の話を聞けなかったことに、

繋がって出てきたんだと思う。


誰かに愚痴ろうと思える心を、

持っていないのに、

話しを聞くって苦痛でしか無いでしょ。


母親に、

愚痴を聞いて貰って育っていたら、

娘の話を聞いていて、

私もこれぐらいの頃、

よくそんなことを母に言ってたな 

という思出でもあれば、

話しを聞いてて、  

温かい感じするだろうし、

豊かだよね。


そういうのが、

欲しかった。

凄く、凄く欲しかったなと思う。


子どもが母親に聞いて欲しい話って、

人間関係での良かった報告も、

してくれるけど、

人間関係の愚痴、悩み、不安、怒り

とかの方が圧倒的に比重多いと思うし、

それと母本人への苦情 笑笑

☝︎聞いて貰って無いのに聞く葛藤、

この上なしだったわ。


そして何年にも渡り、

同じ不安や悩みを何十回、

何百回聞いて、

ブログの〇〇さんが、

こう書いててスッキリしたの〜。

って娘の話を

一度も聞いたことない人に、

手柄を持っていかれる真顔


その話し何年も聞いて、

同じようなこと何回も言ったんだけど?

どういうこと?って思うけど、

本人全く覚えていない様子で。

母、損な商売だなと思ってた 笑笑

今は、それも悪くないなと思う。