食道アカラシアと診断されるまで② | 食道アカラシア患者さんの日記

食道アカラシア患者さんの日記

食道アカラシアと診断される前から現在までの記録です。

アカラシアと診断された叔母は、某病院でバルーン術を受けました。


彼女の症状は、睡眠時の嘔吐が主だったようです。


バルーン術を受けて、症状が楽になったという話を聞いてはいましたが、バルーン術だとまた症状が出る可能性があり、その都度バルーンで対処するという話を聞き、私自身は、病院でバルーン術を受ける気にはなりませんでした。


その後、私の症状は、食べ物の嘔吐がメイン。


ただ、食事を吐くということは、食べていないということなので、栄養が取れない。


体重が減り、栄養失調からめまいが増え、週末は必ず発熱し、たまに誤飲性肺炎で高熱がでる。


この繰り返し。


体重自体は、最初に症状が出た時から最大で20数キロ減りました。


症状が爆発的にひどくなったのは、2年前からでした。


職場が変わり大変なストレスを感じる部署になりました。


胸痛が頻繁に起こるようになり、しかも長時間痛みにもがき苦しまなければなりませんでした。


軽い時は、市販の某胃薬で治まるのですが、酷い時は、薬まで吐く始末で飲めたとしても効かず、ひたすら治まるまで耐えるしか方法がありませんでした。


痛みで失神することもありました。


痛みだけでなく激しい吐き気を伴うこともあり、痛みが治まっても動けないことがしょっちゅうでした。


通勤途中でこれが起こるともうどうしようもなく、電話できる状況でもないのに会社に連絡を入れなければならず、本当に苦痛で仕方がありませんでした。


いつ治まるかわからない痛みに、恐怖を覚えることもあり、本当につらい日々でした。


食べ物の詰まりもひどくなり、お米は、食べられなくなりました。


麺類は比較的詰まりづらかったので、食事はもっぱら麺類・スープ・ケーキやお菓子でした。


栄養面は最悪で、サプリメントを飲んでいましたが、当然追いつく訳もなく毎日フラフラしながら通勤していました。


自炊をしていたのですが、食事を作るだけで疲れてしまい食べる気力もなくなるため、食事を作っては、冷凍し翌日に食べるという毎日でした。


睡眠をどれだけとっても疲れが取れることはなく、毎日重い身体をひきずって仕事をしなければなりませんでした。


風邪もすぐに引いてしまい、高熱もしょっちゅう出るので会社も休みがちになり、精神的にも追い詰められていきました。


ちょうどその頃、私の住んでいる地域でもPOEM術を実施している病院があることを知りました。


横浜の病院でバルーン術に代わる新しいアカラシアの対処療法(?)としてPOEM術が紹介されていたことは、3年くらい前から知っていました。


しかし、遠いし、当時は保険診療ではなかったため負担も大きく、また、件数もそれほどなかったので受けること自体も躊躇していました。


それから1~2年経ち、受けている人も増え、横浜でなくても受けることができるようになっていました。


紹介状はありませんでしたが、もうすがるような思いで病院に行きました。