・・・って言っても、どこかの作曲家のお話ではありません。
今年2010年は、私の大好きだった母方の祖父(私が大学1年の時に亡くなりました)の生誕100年&没後20年のメモリアルイヤー、なんだなぁって。
今でも時々、面白い感じで夢にも登場してくれる、おちゃめなおじいちゃんであります。
http://plaza.rakuten.co.jp/takappa/diary/200812070000/
祖父は実家が和菓子屋さんだったのですが、「自分は不器用だし、もっと家計を助けられる仕事を」と考えてあとは継がなかったそうです。
学校の先生になる夢があったけれど、経済的な事情で進学を断念し、地下鉄の職員になりました。
東京オリンピックの頃には、都心の某駅の駅長さんをしてたんですよ。
(私の今の昼間の職場の最寄り駅のひとつだったりするのは、何かの運命でしょうか?)
その後もいろいろな駅の重要な仕事を任されていました。
私にとってのおじいちゃんとの思い出は、退職後なんですけどね。
昔は今みたいに自動改札ではなかったから、私のちびっ子時代はよく、退職者パスを持ったおじいちゃんに連れられて地下鉄タダ乗りしてました(笑)顔パスってやつですね。
いろんな場所に連れて行ってもらったな。
祖父は毎日日記を書いていて、亡くなったあとその日記を見て私は号泣しました。日々のいろんな思いや、その折々の俳句など。
「小波」っていう俳号を持っていたりして、なかなか粋な祖父でした。
長命寺 妻への土産 桜餅
老い二人 そぞろ歩きに 梅薫る
愛妻家でおばあちゃんをとても大切にしていたおじいちゃん。
まさか自分が先に死んじゃうなんて思ってなかったんだろうな。
(祖母は病弱ながら、祖父の亡き後を気丈に乗り越え、私の成人式や就職も見届けてくれて、私の就職3年目の時に亡くなりました。)
そうそう、私のこともたくさん日記に書いてくれてた。
音楽の大学に合格した、自慢の孫だ、って。
おじいちゃんが詩を書くから、曲をつけて歌って欲しいな、って。
その夢は叶わなかったけど。
私、教員になれたときにはほんと、おじいちゃんに生きてて欲しかったな、見て欲しかったな、って思いました。
教員はやめちゃったけど、教える仕事は別の形で続けられてるよ、おじいちゃん。
教えるのが好き、人と関わるのが好きな自分になれたのは、祖父の影響が結構大きいんだなと今でも思っています。
今日は仕事が夕方からひとつだけ。
その時間に間に合うように出かけて、お墓参りに行ってこようと思います。
昨日5月15日が、大好きだった祖父の命日だったから。