2009年1月4日 救急病棟で1日を過ごし
外科病棟への病室移動。
ここから2009年5月中旬まで、半年近く入院することになった。
まだこの時も、「生きよう!」って思ってなかった・・・思えなかった
15年も、がんかもしれない状態を放っておいたこと自体、
生きることをあきらめていたと思う。
そんな私が生きよう!生きたい!と思わせてくれたことを振り返る。
まずは、救急外来での医師のコトバで、安心をしたことが、入院中に医療従事者から受ける
コトバをキャッチできるようにしてくれた大切なコトバだった。
このコトバがなければ、いいコトバを受け入れる心の隙間ができなかっただろう。
退院してから、この医師にお礼を言おうと思ったけれど、すでに他の病院へ異動されていた。
5年経つけれど、まだその医師にはお礼を言えていない。
命がある間に、お礼を言いたいな。
子供の頃から、詩やコトバが大好きで
コトバには感動する子供だった。
中学、高校の頃は、テレビドラマ「俺達の旅」
「俺達の朝」
「ゆうひがおかの総理大臣」のエンディングで流れる詩を
書きとめていました。
外科病棟への病室移動。
ここから2009年5月中旬まで、半年近く入院することになった。
まだこの時も、「生きよう!」って思ってなかった・・・思えなかった
15年も、がんかもしれない状態を放っておいたこと自体、
生きることをあきらめていたと思う。
そんな私が生きよう!生きたい!と思わせてくれたことを振り返る。
まずは、救急外来での医師のコトバで、安心をしたことが、入院中に医療従事者から受ける
コトバをキャッチできるようにしてくれた大切なコトバだった。
このコトバがなければ、いいコトバを受け入れる心の隙間ができなかっただろう。
退院してから、この医師にお礼を言おうと思ったけれど、すでに他の病院へ異動されていた。
5年経つけれど、まだその医師にはお礼を言えていない。
命がある間に、お礼を言いたいな。
子供の頃から、詩やコトバが大好きで
コトバには感動する子供だった。
中学、高校の頃は、テレビドラマ「俺達の旅」
「俺達の朝」
「ゆうひがおかの総理大臣」のエンディングで流れる詩を
書きとめていました。