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少し前のことになるけど
10月27日は、私の父の18回目の命日でした
みんなで、お寺に行った後、久し振りにアルバムを開いたら
懐かしさが込み上げてきました
私の父は、中学校の教員でした
生徒と共に過ごしたいってことで
校長・教頭の試験を受けることもなく定年まで教員生活を全うしました
美術・国語を教えながら、陸上部の監督でもありました
昭和5年5月5日生まれの父は
その頃にしては、とても足が速く
100メートル11秒06の記録も持ってたみたいです
若かりし頃の父の写真や
初孫と一緒に、みんなで霧島が丘公園にピクニックに行った写真
とっても懐かしかったです
60才で定年後、教員指導の仕事をしていたけど
67才の4月に闘病生活に入り7か月間入院していました。
そして、10月27日に帰らぬ人になりました
とっても優しくて妻想い子供想い
孫想い
そして、うちの*ぺぺ*奈々*みるく*あみ*のことも可愛がってくれました
実は、危篤状態になる直前に、
「2冊目のノートを見なさい」って言葉を残しました
そこには、いつ書いたのか遺書がありました
母のことが、とっても心配だったみたいです
当時、66才だった母、
父の希望通りに、18年後の現在も元気でいます
ちょっと、重たい記事になっちゃうけど・・・・・
その当時の父から母への想いの遺書のみ抜粋して載せちゃおうと思います
今頃は、天国で、うちの虹の橋組 達の世話に追われてるかな
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