11日間連続の外出 | 冥王星移住計画

11日間連続の外出

記憶がたしかなら、7月1日から11日までの11日間、毎日外出していた。なんやかんやと用事があったり、遊びに出かけたりしていた。

ふつうのひとにとってはふつうのことだろうが、元ひきこもりにとってはこれは異例中の異例といってもいいくらいのできごとだ。ひょっとすると、こんなに連続で外出したのは、六、七年ぶりかもしれない。

やはり部屋に閉じこもっているよりも、外に出たほうがたのしい。特別なところにいったり、特別なことをしたりしなくても、ただ外の世界をながめるだけでも、それなりにたのしめる。これはひょっとしたら元ひきこもり特有の感覚かもしれない。

難点は金がかかることだ。食事にすら金がかかるなんて驚きだ。金欠の身にとっては、たった数百円でも痛い。マクドナルドで涼むのにも、アイスコーヒー一杯分くらいの金がかかる。そんなのは贅沢だとわかっていても、ときにはやってしまう。

今日は特に用事もない。悲しいかな、仕事の予定もない。その気になれば、家に一日中いられる。が、それに耐えられるかどうか。

以前とは逆に、最近は部屋にこもっていることがつらいと感じる。部屋の中の変わらぬ風景をながめていると嘔吐感を感じる。どうやらすこし精神的な健全さを取り戻しつつあるようだ。それとも、これは過去の引きこもり生活への反動が強迫観念化しているということで、別種の不健全さのあらわれだろうか。

最近は部屋の中でPCで遊ぶことに罪悪感すら感じる。以前は日課のように見ていた2ちゃんねるのいくつかのスレも見なくなった。定期的に巡回していた娯楽系のサイトも見なくなった。一部例外はあり、いまでも見ているところもあるが、PCで遊ぶ時間は極端に短くなった。もっとも、以前が長すぎただけともいえるが。

いまは事業運営がおもしろい。まったく順調とはいえないが、それでもなおおもしろい。やればやっただけ、やらなければやらなかっただけ、ダイレクトに自分に返ってくる。そのような反応の直接性こそが事業運営のおもしろさの核にあると思う。世界に素手で触れている感覚、素手で触れられている感覚。

仮に今回の事業がだめだったとしても、たぶんまたすぐに何かやるだろうと思う。やはり自分で何かをするというのはおもしろい。案外やれてしまう、どうにか立ち回れる、ということもわかったし。

「男子の成熟——小児のとき遊戯の際に示したあの真剣味を、ふたたび見出したこと」(ニーチェ)

まさにそんな感じだ。自分にとって事業運営というのは一種の真剣な遊戯なのだろうと思う。