下に示したのは「定式幕」とよばれるものです。東京の歌舞伎座でも使われており、いわば歌舞伎のシンボルと言ってもよい引き幕です。茶・黒・緑の縦縞が使われている処から「ちゃ・く・み」と称されています。ただ、この引き幕、江戸時代から使われていたのですが、歌舞伎全体で用いられていた訳ではありません。ご存じかも知れませんが、江戸には「官許」の「江戸三座」というものがありました。則ち、中村座・市村座・森田座の三つの芝居小屋です。そして、それぞれの太夫元は、中村勘三郎・市村羽左衛門・森(守)田勘弥となっています。これら「三座」がそれぞれ独自の「定式幕」を持っていたのです。このうち、明治期になって、興行師として名を馳せたのが森田勘弥でした。それで、現在の「歌舞伎座」では、森田座の「定式幕」を使用するのが「常識」となりました。国立劇場でも「茶汲み」の引き幕が用いられていますし、関西の歌舞伎でも同様です。ただ、色は同じでも、ちょっと配列に違う処が有ります。これは、後で述べます。
さて、平成になってから、十八代目中村勘三郎丈によって「中村座」が復活されました。所謂「平成中村座」です。この引き幕は、下の写真のようになっています。
これを見やすく図示すると下図のようになります。
ご覧の通り「黒・白・茶」となります。中村座は「中村座の定式幕」を所持していたのです。さらに「市村座」は、どうでしょうか?下を御覧ください。
市村座の定式幕は、使用している「色」が森田座と同じです。しかし、順番が違います。実は、東京歌舞伎座や京都南座は、森田座の「定式幕」ですが、国立劇場や大阪新歌舞伎座は、市村座の「定式幕」、則ち、下図のような配色を用いています。
これは「茶・黒・緑」と呼んできましたが、本来は「柿色・萌葱色・濃紺色」で染めるものであったようです。猶、初期の「官許江戸四座」時代の「山村座」については、自宅に帰らないと資料がありません。山村座は・・・例の「江島生島事件」で廃絶となった芝居小屋です。また、都座・桐座・河原崎座の控櫓についてもいずれ述べる事にします。
授業の材料をここに写してみました(^o^)。少し、勉強しておかないといけませんからね。