関西で一人暮らし | わけあって銀行員

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30で転職し、はからずも銀行員になってしまった日記です。転職を考えていたころの回想から、切ない思い出を交え、筆まめを目指して日常を綴ります。

 転職後の話しに行く前に、前社の時代のことを少々振り返ってみたい。


 新卒で入社した会社で研修を受けた後、希望する勤務地についてアンケートがあり、さっそく大阪支店と書き込んだ。東京は渋谷区に生まれ育ち、ずっと家族と一緒に暮らしてきたので、このまま東京で仕事を始めたらマンネリになってしまうことを恐れ、遊びに行ったことすらない未知の土地、大阪に行って仕事をしてみたいと思ったのである。それに大阪支店は厳しいところで、営業として成果を上げ出世しているひとに大阪支店を経験した人が多いと聞いたことも、大きな理由だった。人事の話では東京本社はサークル、大阪支店は体育会系、名古屋支店は外資系、福岡支店は軍隊と例えていたが、まったく適当な話である。大阪出身の同期から聞いた話では、大阪の路線バスの運転席にはワンカップがおいてあるなどど脅かされつつ、これから始まる自由な生活と未知の体験に思いを馳せた。


 さっそく引っ越し作業に取り組み、初めての一人暮らしに心躍らせつつ、新幹線の席でインテリア雑誌を読みながら新大阪駅に着いた。そこから梅田に移動し、阪急乗り場を駅員に聞きながらアパートのある尼崎市塚口に着いたのは1998年5月のこと。その後の大阪での仕事と生活は、私にとって大変貴重な財産になり、社会人、営業マンとしての基礎をほぼここで学ぶことになった。いま思えば、あの時大阪に行ってよかった。


 丸4年を大阪で過ごすことになったが、営業エリアは近畿圏全体であり、東は滋賀、北は京都、西は淡路島、南は和歌山まで、電車や車で駆けずり回り、しかし私の顧客は当たり前だがほとんど大阪で、逆に京都はなかなか仕事にならなかった。大阪や神戸は話が早いし、よそ者でもすぐに受け入れてくれるが、個人的な感覚だが京都はなかなか入り込めない感じがした。京都でも数字の上がる営業マンもいたが、たいていは変わり者だった。


 私生活では神戸、京都は大好きで、よく車で遊んで回った。神戸は何といっても六甲の夜景がすばらしく、山は朝から空気が澄んで気持ちがいいのでドライブにはうってつけ。三宮で髪を切り、大丸のカフェでお茶を飲み、ショッピングを楽しんだ。そういえば元外資系の銀行が入っていたビルを改装してできた新しいカフェによくいった。東京に負けないオシャレな店がたくさんあるし、街の完成度が高い。横浜とは明らかに違う土地である。それにしても山が近いというのはうらやましい。神戸の町はすぐ裏にロープウェーで登る山がハーブ園になっていて、そこから六甲山が始まっている。東京で夜景を楽しもうと思えば、当然ながらビルに登ることになる。それらをさらに至近で上から見下ろす山からの夜景は、残念ながら東京にはない。関東は平地なので、山と触れ合うにはそうとうな距離を移動しなければならないが、神戸へいってそのことを知った。