更新大変遅れました。GWの震災レポートの続きです。

5月4日は塩釜→浜田→奥松島→石巻→女川→雄勝→北上と回ってきました。
鉄道以外の部分のUPです。

内部から見た学校-塩釜港北側岸壁①
塩釜港北側の岸壁です。崩れて岸壁がなくなっています。
東方向を向いて撮影しました。

内部から見た学校-塩釜港北側岸壁②
西方向(塩釜駅付近)を向いて撮影しました。

内部から見た学校-陸前浜田①
陸前浜田です。写真中心奥の建物の向こう側が陸前浜田の駅になります。

内部から見た学校-陸前浜田②
 同じ地点から海側を取りました。一昨年、この写真の右側にある食堂で昼食を取りました。そのときは店の前に桟橋と船、入り江にはのり養殖の棒が沢山ありましたが流されてありません。写真はありませんが食堂は無事でした。残念ながら昼食時ではないので食事はしませんでしたが営業しているようでした。松島湾では陸前浜田や松島海岸駅付近はあまり津波が高くなかったようです。野蒜や東名(とうな)、矢本などに比べると陸地の被害が少ないようです。

 この後、松島(瑞巌寺付近)は大渋滞でした。陸側に迂回し、愛宕、高城町商店街を通って東名駅を横切り野蒜の南側を通って奥松島宮戸島に向かいました。一昨年行ったところにもう一度行ってみました。
内部から見た学校-東名駅付近の住宅地
東名駅付近の住宅地です。ほとんど流されています。

内部から見た学校-野蒜の南①
野蒜(のびる)海岸南側に向かって行く途中です。
 付近は水没しています。元々荒地でところどころに家があったところと記憶しています。まるで湖の中を埋め立てて道を作ったように見えますが元々道があったところです。この付近は水没したところを埋め立てて道を復活させているようです。当然未舗装です。

内部から見た学校-野蒜の南②
道路を埋め立てた陸側です。この辺は元々道路が盛り土されていましたが、崩れて更に盛り土しています。溜まった水はポンプで排水していました。かなりの面積があるので全て排水するにはかなりの時間がかかりそうです。この道を進んで野蒜の南側を通り奥松島の宮戸島に向かいました。

内部から見た学校-宮戸島①
宮戸島北側の桟橋(岸壁?)です。一昨年来た時は観光船の発着場でした。自衛隊の船が着岸するようです。

内部から見た学校-宮戸島②
同じ場所を違う角度から。付近の道路は津波で一旦流されていて、盛り土をして道路をつないでいました。

内部から見た学校-宮戸島③
宮戸島南側の浜です。陸側に向かって撮影しています。ここには道があったのですが流されています。重機で埋め立てをしていました。元々入り江だったところではありません。

内部から見た学校-宮戸島④
宮戸島西側の浜です。この付近は島のかなり奥の方まで津波が入り込んでいるようでした。
浜田のあたりとはかなり状況が違います。

内部から見た学校-宮戸島⑤
同じく宮戸島西側です。ここは両側に家があってこの先の漁港まで続いていました。この辺は高台の家を除いてほぼ全て流されています。

 地元の人に少し話しを聞きましたが、地震の時は海苔の加工中でほぼ全ての島民が加工工場にいたとのこと。
あわてて乾燥用ボイラーの火を消して高台へ非難、ほぼ全ての島民が助かったとのことでした。橋が流されて陸の孤島になっていましたが、一週間後に自衛隊が来たとき、死者がほとんどいなかったので驚かれたとのことでした。
 自衛隊が来るまでは、気のみ気のままで逃げたので着るものも食料も無く寒くて大変だったとのことでした。
http://ganbappe.jp/archives/591
千人のうち数人の死者だったそうです。言い伝えがあるようです。
http://teishoin.net/blog/004213.html

島を出て野蒜へ戻りましたが海岸は立ち入り禁止、崩れた防潮堤の向こうに重機が見えました。(写真なし)
国道45号に戻って矢本から航空自衛隊松島基地の東側を通って海沿いに石巻港へ出ようとしました。
道沿いに見える松島基地には、津波でやられた車(一般車、たぶん自衛隊の家族のものでしょう)は並べられているのが見えました。(写真なし)

内部から見た学校-松島基地の東
航空自衛隊矢本基地の東側のあたりです。海沿いの橋が通行止めで石巻へ渡れず、北上して国道45号に戻って
国道45号に戻って石巻へわたりました。この後、日本製紙の石巻工場付を通って海沿いに東へ向かいましたが、途中の運動場にたくさんの穴が掘ってありました。・・・仮埋葬のようでした。(合掌。写真はありません)

内部から見た学校-石巻漁港周辺.JPG
石巻漁港付近です。タンクには鯨大和煮の文字が・・中身はどうしたのだろう。

内部から見た学校-渡波R398
国道398号線、渡波付近です。この辺が満潮時に冠水するようです。
この後、営業していたイオンに寄って(客であふれていました)、万石浦を通って女川へ向かいました。

続く。